第一印象は、お互いよくなかったと思う。
「執行官の縢秀星。よろしくね、みょうじ監視官サマ」
おちゃらけて言っているような彼の言葉には、確実に皮肉が混じっていた。
けれども、わたしと秀星はほとんど同じ時期に一係に配属されたこともあってか、組むことが多かった。
あの日も、わたしと秀星の2人だった。たしかエリアストレス警報によって、現場に向かうためわたしと秀星は公用車に乗り込んだのだ。
しばらく沈黙が続いたが、耐えきれなくなったのか秀星はいつものおちゃらけた様子で話しかけてきた。
「なまえちゃんはさぁ、なんで監視官になったの?」
「...刑事になりたかった、から」
「なんで?なにか理由とか、あったんじゃないの」
「...両親が、殺されたから。5歳のときに」
「5歳...」
「...そっちこそ、なんで執行官になったの?」
「オレも、5歳、」
「え?」
「5歳のときにサイコパス検診で弾かれて、それからずっと潜在犯。あの白い建物に囚われてるのは、もううんざりだった」
「...」
「恨めしかったよ、何もかも。だって5歳だぜ?5歳で人生の転機なんて、ちょっと早すぎだと思わない?」
なまえちゃんもそう思うだろ?そう言って秀星はくしゃりと笑った。
わたしと彼が徐々に打ち解け始めたのは、その日からだった。
どうして今、秀星との出会いなんて思い出すのだろう。
「なまえ、なまえ...!」
仰向けになっている私のすぐそばに、秀星はいた。 溢れる涙を拭おうともせず、わたしの右手をぎゅうぎゅう握っている。
彼の涙を見たのは、初めてだ。
「っ、執行官庇う監視官なんてっ…聞いたことねーよ!このバカ…!」
「…よっ、ぽど…はっ、飼い犬が、大事だったんじゃない…?」
うつむいていた秀星が、勢いよく顔をあげた。ほんとに犬みたいだ。
秀星のほうを向こうと身を捩ると、激痛が走った。ナイフの刺さった下腹部が、まるで燃えているようだ。
廃棄区画に逃げ込んだ連続通り魔事件の犯人を秀星と追い詰めて。そのあとどうしたんだっけ。血を流しすぎたのか、思考力まで低下してきたみたいだ。さっき秀星が庇うとかなんとか言っていたけれど、たぶん無意識に身体が動いたのだろう。
「犯人、追わなくて…い、の…?」
「もうコウちゃんたちが追ってる!それに、飼い犬が、っ飼い主放っといて他のやつ追いかけると思うのかよ…!」
「は、わるい子だなぁ…」
秀星に握られていない左手を、ゆっくりと持ち上げ、彼の頭に乗せる。そのままぐしゃぐしゃと、オレンジ色をかき混ぜた。わたしの手も、彼の髪も血だらけだけど、もうそんなの気にしていられない。
秀星が、泣きながら笑った。くしゃっと笑う、すこし甘えた顔。
同じ、笑顔だった。お互いの過去を話した、あの日と。
頭にちかちかと秀星の笑顔が浮かんで、もう止まらなかった。
レーニングルームでわたしにコテンパンにされたときの、悔しそうな顔。
潜在犯を追っているときの、真面目な顔。
2人でお酒を飲んだときの、ふにゃっとした顔。
一緒に外出したときの、キラキラした顔。
走馬灯ってやつだろうか。いろんな顔をした秀星が、浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
最後に、涙で顔をぐちゃぐちゃにした秀星が追加された。
どうしてこんなに、胸がはりさけそうなんだろう。秀星が、愛おしい。
「おれ、ね」
「う、ん...」
「なまえのことが、好き、」
鼻声で涙をぼろぼろこぼしながら、秀星が言う。
ああ、もうだめだ。
溢れた涙は、止まりそうにない。
「わたしも、ねっ、は...ずっとしゅう、せいのこと...ゴホッ、ゴホッ」
「っ、なまえ!」
わたしと秀星は、同じだったのかもしれない。わたしたちはきっと、愛を求めていたんだ。
「なまえ、なまえ…」
「ん、」
「いかないで…」
わたしの右手を握っている秀星の両手が、震えている。
ああ、死ぬんだと思った。視界が霞んできたのは、涙のせいだけではないだろう。秀星の顔がぐらぐら歪む。喉がからからだ。
わたしは秀星に、首輪を付けたまま逝く。一生はずれない、首輪を。
狡くて、最低な女だ。
そんなわたしが、心の底から秀星に伝えたかった、きっと秀星が一番言ってほしいだろう言葉をつむぐ。
「しゅ、せい...」
「なまえ…?」
「は、あ、うまれて、きてくれてっ…ありがと…」
「なまえ...!なまえ!」
視界が白んでいる。もう秀星の顔は見えなかった。わたしの名前を必死に呼ぶ声が聞こえる。
秀星、生まれてきてくれて、ありがとう。
意識が完全になくなる瞬間まで、右手はあたたかかった。
「ノンリーサル、パラライザー。慎重に、しょう、じゅ、を…」
「は、やってらんねーよ、クソが」
シビュラの正体。局長。槙島。コウちゃん。朱ちゃん。とっつぁん。ギノさん。くにっち。先生。
なまえ。
オレは、目を瞑った。
生まれてきてくれて、ありがとう。なまえの声が聞こえた気がした。
やっと、迎えに行ける。
「なまえのとこ行ってくる。あとは頼んだよ、コウちゃん」
右手が、あたたかい気がした。
いまは私だけを愛していて