7 | ナノ
「残念だわ、槙島君。とても、…残念。ああ、そこは右に曲がって」

端末のカメラ越しに彼は訝しげに目を細めてみせ、大人しく私の指示に従った。

「何が?」
「神聖なる信託の巫女の腸を引きずり出してしまったことよ。槙島君風にいえば、真実なんて醜悪で悪臭を放つばかりなのにってところかしら」
「人はいつだって隠されたグロテスクなものを暴きたがる生き物だとは思わないかい?」
「本当にあなたって人はああいえばこういう。三メートル先のビルから地下に入って」

頭に包帯を巻き、薄っぺらい検査服に身を包んだ彼を監視カメラに写らないよう誘導していく。これがおそらく私が彼に出来る最後のことなのだと思うと、背筋の伸びる思いだ。いや、伸ばす背筋はもうないのだけれど。

「でも、悪いことばかりじゃないさ。長年謎だった君の正体もわかったことだし」
「……」
「君も、シビュラなんだろ?」

数年前の話である。たまたま見た街のカメラに写った青年に一瞬で心惹かれた。平和ぼけした中身のすっからかんな人間達の中、鋭利な刃物のような危うさと、陳腐な世界に絶望したような退廃的な様子。そして何処か寂しげで挑発的な瞳に、私の脳内で何かが炸裂した。きっと心臓があれば早鐘のように忙しなく脈打ち、カッと体が熱くなっていただろう。残念ながら私は脳ミソだけになってしまっていたのだが。それは私がシビュラシステムの一員として迎え入れられて、ちょうど十年目に突如訪れた出来事だった。それから私は膨大な演算処理をこなす傍らずっと彼を追い続けてきた。カメラが無い所に彼が行けば誰にもバレないようにこっそり彼の端末や近くのパソコンなどを遠隔操作して見つめ続けた。こんな気持ちは初めてだった。自分でも気持ち悪いことをしているとはわかっていたが、0と1だけの無味乾燥な電子の海を脳だけになって生き続ける生にほとほと絶望していた私にとって彼の存在はまさに光であった。私は彼に、槙島聖護に恋をした。モニター越しにしか見ることの出来ない彼に、直接その美しい手に、髪に、顔に触れることすら出来ない存在で、恋をした。

そんな事が三年も続き、遂に私はネット上で活躍する情報屋として彼に接触した。そしてシビュラの目を掻い潜る抜け道や、彼の興味を引くであろう人々、ありとあらゆる情報を教えた。まさに好きな人の気を引こうと躍起になる思春期の少女みたく彼に尽くした。その甲斐あってか私は彼からの信頼と好意を得ることが出来た。いくら二人の仲を縮めたってこれ以上、どうにもならないことくらいわかっていたと言うのに。

「いくつか質問があるんだけど、いいかな」
「どうぞ…」
「君はどれくらいの力を持っているんだい?」
「シビュラは一つの統合意思だから、それぞれが同等の権利を持っていて、また持っていないと言えるの。それに脳の寿命は決まってるから、古くなって回路の鈍ったものは破棄されるわ。だから私は莫大な権力を持っているとも言えるし、持っていないとも言える」
「へぇ」

あまり興味が無いといった風に彼は相槌を打った。

「じゃあ、本題だ。君はその統合意思とやらを裏切ってまで、どうして僕を逃がそうとする?」

そんなもの決まっているじゃないか。

「愛よ」

無機質なジメジメした地下道に、合成された私の力強い声が響いた。槙島君はまさにぽかんと呆気に取られていた。しばらくすると、小さく肩を揺すって笑いだし、私に言った。

「そこまで想って貰ってる以上、僕が何もしないのはフェアじゃないな。全部終わったら、友人として君を迎えにいくよ。君の気持ちに応えられるかはわからないけれど、ね」

彼が私の脳を抱き上げているところを想像してみる。脳の奥底が痺れるような感覚がする。もし体があったなら、一体どんな生体反応が起こっただろうか。あまりの喜びに手足が震えでもしただろうか。

「ねぇ、槙島君。愛ってどこにあるか知っている?」

私は断言できる。十年間犯罪係数算出で鍛え続けた脳でたどり着いた答え。愛とは、0と1の間。全と無の間に確かに存在している。
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