「あー、疲れたー。」
縢がいつものように仕事もしていないのにそのような言葉を口にする。そんな彼を可愛いと思いながらもなまえは監視官としての責任を果たそうとする。
「縢君が疲れてるのはゲームのやり過ぎでしょ?」
横からそう言ってやれば彼は拗ねたように唇を尖らせる。
「なまえさんは真面目っすよねー。」
皮肉ともとれるその褒め言葉を、彼女はとりあえず受け取っておくことにする。
「真面目さだけが取り柄だかね。」
パソコンに目を向けながらそう答えると、縢は先程より余計唇を尖らせた。
「そんなことないっすよ!自分を卑下するのはよくないんじゃないっすか?」
後輩、そして部下というのはこういう心配りが大切だ。そう思った瞬間なまえは「え?」と思わず隣の縢に目を向けてしまう。
なまえの知っている縢秀星という人物はこのような発言をする子だっただろうか?相手が先輩であり上司であっても、必ずどこかなめたような口調で話しかけてくる子だったはず。
「私に自慢できるところなんてないから。」
なまえがそう言うと、縢は普段よりやや真剣な面影で口を開いた。
「だったら俺が教えてあげますよ。」
仕事中にですら見せない真面目な表情をする縢になまえは少しだけ身構えてしまう。
(こんな顔もできるのか…。)
少しズレたところに感心する彼女に、縢は芝居がかった仕草で咳払いをした。そういうところはなんだか子供っぽい。
「じゃあなまえさん、その椅子に正座してもらえます?」
彼の発言に少々驚きながらも、なまえは靴を脱いで素直に椅子に正座した。くるくる回る椅子は安定させるのが難しい。それにしても、これから説教でもされるのだろうか?そんなことを彼女が考えていると、
「よっしゃ!」
歓喜の声が聞こえたかと思うと、途端膝に感じる重みと触感。気づいた時にはなまえの膝に縢の頭が乗っている状態となっていた。つまり膝枕である。
「ちょ!縢君!?」
突然の出来事に動揺を隠せない彼女の顔は真っ赤になる。しかし縢はそんな彼女を面白がった。
「俺、今、疲れてるんすよ。だから、おやすみなさい。」
彼はそう言うと目を瞑る。
「ええ!こんなところで寝るの!?」
勘弁してよ!と言いたげな表情も目を瞑っている縢には見えない。
なまえはなんとか膝から縢を退けようとするがバランスが悪いのでなかなか難しい。幸い今は部屋に誰もいないが、皆が戻ってくるとややこしいことになる。
「起きてよー。」
監視官でありながら執行官の一人の世話もできないとは我ながら情けない。そんなことを思いながら彼女は縢に言う。すると目を瞑ったまま彼は口を開く。
「目覚めのキスしてくれたら起きてあげてもいいっすけど?」
その口元が意地悪そうに笑っていて。
「馬鹿なこと言わないで!」
顔を真っ赤に染めて言い返すと、彼はクスクス笑った。というか今まで縢がこういう言動をとったことがなかったので、なまえは相当焦っていた。
「寝るなら自室か休憩室で寝ればいいでしょ。」
まるで縢のサボリになまえも無理矢理付き合わされているような気がしてならない。
「嫌っすよ。俺、なまえさんの膝の上が一番好きなんすから。」
それはセクハラ発言ではないのか!そんなことを思った彼女に縢は言葉を付け足した。
「あ、違うや。一番好きなのはなまえさんそのものだった。」
「え?」
彼の発した言葉があまりにも衝撃的だったので、なまえの頭は真っ白になった。
先程、彼はなまえのことが好きだと言った。それはつまり…。
「俺が目覚めるまでに答え決めておいてくださいよ。」
声が出なくなってしまっている彼女に彼はそう言う。このタイミングでそれを言うということはまんざら彼も子供ではないらしい。それはそうだろう。年齢的には彼はもう大人だ。
だが、なまえは真面目だった。真面目さが取り柄だったこともあり、先程の言葉が冗談かもしれないという疑いをもたなかった。彼のとこをどう見ているのか彼女もよく分からなかったが、例え彼のことを好きだとして、彼との関係を築くことができるのか。監視官と執行官で恋愛関係になることができるのか。真面目な彼女にはよく分からない。
そんな感じで悶々と悩んでいると、
「まぁ、キスしてくれたらその時点でオッケーってことで退いてあげてもいいっすよ。」
と、寝ているはずの縢が提案する。その言葉自体に彼女の葛藤を悟られた気がして、なまえは顔を赤くした。
「もう!考えるから黙ってて!」
机にあった書類で縢の頭をパシンと叩くと、彼はクスクス笑った。そして「了解しましたー。」と面白そうに言うと、そのまま黙る。
彼が本当に寝てしまったのかは分からない。なまえにはそれを確かめる余裕がなかった。彼女は真面目な頭で彼の告白を反芻する。
そう、彼女は真面目ゆえに彼の告白を真剣に受け止めたのだ。そのことを彼女自身は知らない、ということを縢は知っている。だって縢は本気で彼女のことが好きで彼女のことを見ていたのだから。だから彼女のことを知っているのだ。
さて、どのくらい時間が経っただろう?縢はなまえのことを考えながら半分寝ていたようだ。目を開ければ顔を真っ赤にしたままのなまえと目が合う。目覚めて視界に入ってくるのが愛しい彼女だという事実があまりにも素晴らしい。
「…縢君は狡いよね。」
彼女がポツリと言葉を漏らす。縢はその言葉を黙って聞くことにした。
「縢君、さっきはなんだか大人っぽい発言したくせに寝顔はとても子供っぽいし…。だから、なんというか…。」
萌えた、のか。真面目な彼女の代わりに縢がそう代弁しておく。萌えるといえば、なまえの葛藤姿も萌えるんだが、とひっそり思った。
こういうところは普通の女なんだなと感じる。普段の威厳とカリスマ性に満ちた彼女は今の状況からは欠片もない。でも、だから彼女のことが本気で好きなんだと再確認できる。人間らしさは素晴らしいことだ。
「なまえさん、俺のことどう見てました?」
羞恥心と緊張感で言葉を紡げない彼女の代わりに縢が口を開く。彼女は一瞬キョトンとしたあと、ボソリと答える。
「部下、後輩。」
「そうっすよね。けど、俺はなまえさんのことすげー好きだから。だから男として見てほしいんすよ。」
縢の言葉は真剣そのものだった。どうやら疑う余地はないらしい。ここで首を縦に振れば関係は成立するのだろうか?禁断の恋…とまではいかないが宜野座のような人が知れば良い顔をしないだろう。
なまえは真面目だ。規律に従う。だけど、たまには自分の気持ちに真面目に向き合うのも悪くないと思った。
だから、彼女は首を縦に振る。なんやかんや思い返せば、彼のことを真剣に考えていた時点で答えは既に出ていたのかもしれない。
縢はなまえの答えに嬉しそうに笑顔を花開かせる。そんな表情に見とれそうになりながらも彼女は途端に仕事場の顔になる。
「とりあえず今は仕事中だから退いて。」
「えー。そりゃないすよ。」
あからさまにガッカリした口調で言う。そして「あれしてくれてないじゃないっすか。」と言った。なまえは首を傾げながらも数分前の会話を思い出し、途端顔を赤らめた。
思い出したのは彼がキスしてほしいと言ったことだ。まさかキスをしないと退いてくれないのだろうか?焦る彼女に対して、縢はこれから起こる出来事を楽しみにしている顔を向けてくる。
これはもはやいじめではなかろうか?そう思いながらも彼女はおそるおそる彼の唇に自分の唇を近づけようとするが、
「やっぱり恥ずかしい!」
初ななまえは顔をピークまで紅潮させたまま固まってしまった。そんな彼女が愛らしくて、縢はくすくす笑う。そして素直に彼女の膝から頭を退けた。
なんだかからかわれたような気分になりながらも、なまえはホッと胸をなで下ろす。ひとまず、この恥ずかしい大勢からは解放された。そう思って、正座していた足を伸ばすが、
「足、痺れた…!」
くぐもった声で辛そうに訴える。長時間正座をしていたせいだというのは言うまでもない。するとその様子を見ていた縢がわざとらしく溜め息をつく。
「仕方ないっすね。」
彼の声が間近で聞こえた瞬間、なまえの体が宙に浮く。というのは流石にものの喩えだが、それでも彼女の体は縢によって浮かされていた。詳しくいうなれば、お姫様だっこによる。
「可愛すぎっすよ、俺的には今すぐ押し倒してキスしちゃいたい気分なんすけど。」
縢の言葉があまりにも本気に聞こえたので、なまえは慌てて自らの真面目さで訴える。
「今、そんなことしたら蹴り飛ばすから。」
そう言って脅す彼女だったが、不真面目な彼はその言葉を本気にしない。例え、本気にしたとしても次のような言葉を返すのだろう。
「いいっすよ。俺、なまえさんの足好きですから。」
「っ!!へ、変態!!」
やっぱりただのセクハラ発言じゃないか!!そう思ってしまうのに、その言葉に喜んでしまっているなまえだった。