6 | ナノ
「何処かで聞いたことのある話ね、ギノ先生?」

久々に会った彼女は、俺を認めるなり、口を開いた。
休憩から戻れば、2ヶ月ぶりに見るパンツスーツに仁王立ち。
不機嫌そうに眉間に皺を寄せたかと思えば、鼻で笑った。

「君は二係だったろう」
「誰かさんが降格した所為で異例の人事異動って訳」

彼女が指差すのは、俺が以前使っていたデスク。
今は大掛かりな段ボール箱が2つ。
今日の宿直で新たな監視官が投与されるとは聞いていた。
故にその新任と俺で宿直だと。
しかしながら、やって来た監視官とは、見知った顔であった。
かつて同僚だった女性、――しかし今は……。

「飼い主と猟犬の関係、なんてね。なかなか笑えない冗談」
「いっそ笑えるがな」

彼女は――特殊なサイコパスの持ち主である。
免罪体質とは異なるが、如何せん犯罪係数の変動幅は極端なのである。
普段は数値的に0に極限まで近い数値だが、現場に入ると一気に300を裕に越える。
そして、現場を離脱すれば、また普段の数値に戻ると言う。
それが分かったのも、この職に身を置いてからであった。
俺は以前、彼女のサイコパスを危惧し、刑事課から外そうと上に掛け合った事がある。
しかしながら、変動は一時的な物と処理され続け、今に到る訳だが。

「『君は飼う側か、飼われる側か』、久しく貴方の口から聞けていない言葉をそのまま貴方に贈るわ」
「まるで返す言葉も無いな」

猟犬の思考など、一生かけても理解出来ない、いや、理解したくない、そんな事を吐き捨てていた俺ではあったが、いざ猟犬に成り下がってしまえば、何となくだが――親父の考えも、狡噛の思いも分かるような気がしてきたのだ。

「……何か吹っ切れたみたいね」

すると彼女は、先程までの険しい表情を和らげた。
その反応は意外だった。
彼女も監視官だった頃の俺のように、叱咤するのかと思った。
彼女は元俺のデスクであり、新たに彼女に与えられたデスクの上の荷物に手をかけ始める。

「とやかく言わないわよ。それを求めるなら、私はお門違いだわ。他の監視官当たって頂戴」

『君は人でもなく、猟犬でもないな』
『なりたくてなった訳じゃないわよ、こんな化け物に』
『化け物、か……?』
『だって、貴方はそう言っているんでしょ?』

化け物に訊かないで頂戴、そう聞こえて、また後悔した。
……傷付けてばかりだ。
彼女は然程気にしてはいないだろうが、皮肉を投げ返される度に、自分に嫌気が差す。
俺が彼女に与えたいのは、そんな言葉ではないというのに。

「ギノ先生」
「……君は、まだ俺をそう呼ぶのか」

彼女は同期、しかも当時は監視官同士、今なんて俺は執行官だと良いのに――確か、佐々山が呼んでいたのが気に入って、彼女も呼び始めたのだ。
彼女は監視官だと言うのに、担当の係は関係無しに、執行官と仲が良かった。
佐々山からはセクハラされていたが、気が合っていた。
縢とは姉弟のようだった。
親父には、刑事の先輩と言って、教えを乞うていた。
狡噛とは、元より優秀な奴等だ、狡噛が猟犬に成り下がっても、対等な立場を保っていた。
――皆、居なくなってしまった。

「寂しい、ね」

彼女は曖昧に笑った。
俺は彼女を傷付けてばかりだ。

「ねぇ、伸元君」

そんなことを考えてたら、彼女は何年ぶりか、懐かしい呼び方をした。

「明日は宿直無いでしょ。あまり強くないのは知っているけどさ、飲まない?征陸のとっつぁんの部屋、今使ってるの、伸元君でしょ?」
「俺の部屋で飲むのか」
「良くやってたのよ、秀君とおこぼれ貰ってとか。どうせ、飲まないで部屋に置きっぱなし埃被っちゃうのがオチよ。飲もう飲もう」

何やってるんだ、監視官が執行官と――監視官の頃の俺だったら間違いなく言っていたであろう言葉が一瞬思い浮かんだが、飲み込んだ。

「何やってるんだ、女が男の部屋で」
「この歳にもなれば、事故も何も無いわよ。しかも慎也君がいれば尚更だった」

『コウちゃんって、やっぱデキてんの?』
『アレと、か?そんなんじゃねぇよ』
『でも、イイ女じゃん』
『イイ女だからだよ』
『そんな事言ってると、オレ、貰っちゃうよ?』
『生憎、俺もお前もアレの好みじゃねぇよ』

そんな話を縢と狡噛がしていたのを1度聞いた事がある。
彼女は優秀でいて、凶暴な監視官である。

『現場で私の命令が聞けないって言うなら、撃ちなさい。これこそ命令よ。私は私の事、間違ってないと思ってるから』

彼女が二係に来た新人に必ず告げる言葉である。
そんな事したら――今頃彼女は肉片と化しているであろう。
しかし、それ故なのだ、優秀で凶暴。
いっそ清々しく美しいと、狡噛が苦笑していた。
狡噛は彼女を愛していた。
彼女の幸せを願っていた。
執行官に降格した時、狡噛は俺に言った。

『アイツを頼む』

それは執行官の自分では幸せに出来ないから、と言う意味ではない。
狡噛はあの時から分かっていたのかも知れない……槙島を、刑事課を、シビュラを。
そして知っていたのだ――俺が彼女を密かに愛していた事を。
それは憧憬なのだと自己暗示を掛けていた。
だが、自らの事だ、都合の良いように解釈してしまう。
生憎、憧憬では片が付かなかった。

「別に、伸元君なら何が起きても大丈夫だけど」
「ッ!?貴様!!何を言っているんだ!!」
「あはは、さては童貞だな、ギノ先生は」
「少しは恥じらいを持て!!」
「はいはい、花をも恥じらう乙女なんてやってられないのよ、こんな職だと」

話しながらも手は進んでいたらしい、いつの間にか彼女は段ボール箱を畳んでいた。

「で、どうする?明日。辞めておく?ギノ先生」

なんて後ろに回り、肩叩きし始める彼女は俺の返事を伺う。

「……何が起きても責任は取れないからな」
「何か起きる予定なんだ?でも、責任は取って欲しいなぁ」

慰めてよ、とか耳元で囁くものだから、実に理性が危ない。
眼鏡越しではなく見る彼女は、犬歯がなかなか尖っていた。

「誰にでも同じ事言ってるんじゃないだろうな?」
「信用出来ないんだ?猟犬の鼻ってヤツ?」
「馬鹿言うな」

信用出来ないのは俺自身だ。
様々な物を失い過ぎた、それも自らの判断の結果で。
これ以上は御免だ。
ましてや彼女を失ったとしたら、次こそ俺は使い物にならなくなるだろう。
この2ヶ月の俺は、我ながら酷い有り様だった。
失った左腕以上に、精神的に参った。
義手のリハビリの痛みでも気は紛れない、むしろ、親父の死に際がフラッシュバックして……。
そう言えば、入院中、刑事課の奴等の殆んどが顔を見せに来てくれていたが、

「君は俺の入院中、来なかったな」

彼女とは親父の喪の席以来1度も顔を会わせていなかった。
常守監視官が彼女から預かった見舞いの品は持ってきたが。

「何人もで行く必要は無いでしょ。そもそも、秀君のデスクや慎也君の部屋、一係なのに残業して片付けたの、私なのよ?あと新任執行官の指導も私がやったの。そりゃもう忙しくて忙しくて」

俺より仕事を優先した辺り、彼女らしいと思う半面、少し……いや大分寂しいと思ってしまう。

「まぁ、建前は、ね」

しかしながら、それも彼女の続けた言葉に、失せた。

「伸元君が会いたくない、かな、って」
「は?」
「だって、学生時代からの付き合いよ。こう言う時、深く色々知ってる人には会いたくないかなって」

つまりは、かける言葉が見付からなかったのだと、彼女は曖昧に微笑んだ。

「君の自己満足じゃないか」
「うん、ごめん。これ以上、傷付いた伸元君を見て、私自身が傷付きたくなかったんだと思う」
「いや、すまない。俺もなかなか荒れていたのは事実だ」
「でも、実際、どうだったの?……なんて、訊いても答えてくれないだろうけど」

実際は、――会いたくないようで、会いたかった。
自分も彼女も傷付きたくない、傷付けたくなかった。
だが、それでも、俺達は……残されてしまったのだ。
痛みを共有して分け合いたかった。
他人の心配をしている分には楽になれる。

「伸元君」
「今度は何だ」

返答してから、しまったと思った。
彼女の表情を伺えば、泣きそうな笑みを浮かべていた。
でも、彼女の方が何倍も心が広かった。
彼女は座っている俺の正面に回り、両手を広げた。

「……手」
「手?」
「手、触らせて欲しい」

手――つい先月失った左手、義手。
俺は恐る恐る左腕を彼女の前に伸ばす。
彼女はその手を両手で包み込む、彼女に初めて触れる。
触れているはずなのに、感覚が無い。

「……伸元君」
「何だ」

彼女は左手を俺に伸ばす。
彼女は――俺の右手を取った。
『手』とは言ったが、どちらだかは言わなかった。

「手。ちゃんと伸元君の手」

次は、しかとばかり感覚があった。
以前、冷え症だと言っていた彼女の仄かに冷たい手。
触れてみて初めて気が付いた……彼女の手は震えていた。
彼女の表情を再び伺えば、涙腺が決壊していた。

「……良かった、っ、良くはないんだけど、……良かったぁ」

どっち付かずの言葉を溢しながら、彼女は俺の両手を胸に抱え、膝から崩れ落ちた。
俺も引き摺られるように、床に雪崩れ込み、座り込む。

「伸元君まで、っ、居なくなっ、ちゃうかと……思った」

嗚呼、嗚呼、傷付けた。
強くしなやかな君が泣いているなんて。
目の前で起きている状況を理解する事を、俺の脳が拒絶する。
俺は壊れ物を扱うが如くの彼女の腕から左腕を抜き取り、震える彼女の背に回した。
感覚が無いのは相変わらすだが、彼女の身体が、か細く温かいのは何と無く分かった。
彼女の見開かれた両目から雫が伝う。
次々と溢れ落ちる。

「すまなかった」
「本当だ、馬鹿」

声を殺して咽び泣く。

「すまなかった」
「……いや、伸元君が、謝る、っ、事じゃ」

執行官になった事に対しては後悔らしい後悔はしなかったが、

「本当にすまなかった」

こんな不毛な恋愛になる事だけは心底悔やまれた。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -