6 | ナノ
私は彼の行動を書き留める役なのに、いざ何か大きなことをやらかす時は私を傍に置かなかった。

「少し出掛けてくる。僕がいない間は外を出てはいけないよ」

そう言って槙島聖護は出ていってしまった。
彼がこの台詞を言うときは家の玄関を厳重に鍵をかけているだろう。しかも内側から解除できない。本当に籠の鳥の状態。
それには理由がある。今の街は暴動が起きているから私を外に出さないため。その暴動の原因は彼とあのチェ・グソンという男の仕業。そして、これからあのナノタワーへ向かっている。
パソコンを開けば、争う人達の映像と流れる暴力的な文字。私は不安になりながら厚生省ナノタワーの写真を見た。しばらくは胸騒ぎが止まらなかった。



数日の時が経って彼は帰ってきた。
だけど、以前とは違う雰囲気を纏っていた。
頭に包帯を巻いていて出て行った時とは違う見慣れない服装。如何にも何かあったんだという姿。
帰ってきた彼は私の事など気にも止めず、そのまま資料室へ閉じ籠り何冊か本を取り出しては何か調べものをしていた。
声をかけても返事は無く今まで余裕だった彼の背中には“焦り”が見えた。
丸一日経って彼は何か決めたように大きな鞄に荷物をまとめると頭に纏っていた包帯が弛んで私は反射的に彼の髪にそっと触れると漸く彼は私の姿を捕らえてくれた。
そして、いつも通りの余裕ぶった顔を見せた。
あぁ…何だろう、間近に顔を見たらさらに胸騒ぎが大きくなる。これは罪悪感?まるであなたが消えてしまいそうに見える。

「次は何処に行くの?」
「此処から遠いところ」
「また私を置いていくの?」
「君が居るべき場所ではないからね」
「今度こそ死ぬわ」
「死ぬつもりはないよ」

そう言って私の横を通りすぎると私は急いで回り込んで出口のドアの前に立ち伏せる。
彼を行かせないようにしたそんな私の姿を見てため息を吐いては目を細めて初めて会った時と同じような冷たい視線を私に向けた。

「やはり君は僕の傍に置くべきじゃなかった」

すると左手で私の首を力一杯に掴みだしドアへと追いつめ、拍子に背中を強く打った。

「早く殺すべきだった。いま此処で殺してしまおうか」

痛い。苦しい。息ができない。彼は本気だ。

「わ‥‥た‥…し…は…ぁ……た‥が‥…心配‥‥な…の‥‥」
「心配だと?心外だな。君は亡くなった父親を僕に重ねて寂しさを埋めていただけだろ」

違う。だめ。声がでない。

「僕でなくても変わりなんていくらでもいる。いつか心変わりしてその“想い”も忘れる」

そう言うと片方の空いた右手は剃刀を持ち私の喉元に刃を宛てがう。その時の彼の瞳はなぜかとても悲しそうだった。

「この世界は恵まれ過ぎてる。この時代に生を授けた君も僕さえも愚かな人間だ」

悔しい。私の言葉も想いも全て否定された。
何でそんな風に言うの?どうして伝わらないの?
私は堪らず右手に力を込めて彼に向かって降り上げバシーン!と乾いた音を立てて彼の頬を叩いた。
いつもは返り討ちにされるのに今回は避けてこなかった。彼は私の喉元から手が離し剃刀は床へと落ちる。
私はしゃがみ込み咳き込んで堪えられずに涙と想いを溢してしまう。

「あなたがいなくなるのは嫌なの…此処にいて…。好きなの…一人にしないで…」

すると、突然彼は何も言わずに私の腕を引っ張ると私の身体を優しく腕の中に包み込んだ。
そこには殺意は感じられない優しい温もり、彼の温度、彼の胸の心音。
その突然の行為にわけがわからず、私は身動きが取れなかった。

「君は   」

彼は静かに私を引き離す間際に何かを呟いていた気がするけどよく聞き取れなかった。
立ち尽くす私の横を通りすぎて彼は外の世界に行ってしまった。
追いかけたくてもやはりドアは閉ざされしまって追いかける事もできなかった。
あの時と変わらずに私は置いてきぼり。
そして彼の姿を見たのはそれが最後だった…。


彼が出ていってから何時間経っただろう。
日が沈むのも気にも止めず、何も食べずにずっとリビングのソファーの上でうずくまっていた。
オレンジ色の夕日は沈み、月が出て夜に差し掛かると急に何処からか電子音が聴こえる。

ピピピピピピ―――ッ!

でも動きたくなくて数分間無視していたが音は一向に鳴り止まず、音は大きくなる一方で私を呼び続ける。
それに苛立って足音を鳴らせながら音が鳴る方へ向かった。

音の出所は彼の部屋だった。
普段は入ることはできない。彼に言われているし、以前から鍵がかかっていて開かないからだ。
試しにドアノブに手をかけて捻ると今日は鍵はかかって無く簡単に入れてしまった。
違和感に思いつつも中に入ると部屋は机と本棚に壁には彼の愛用する剃刀が飾られている。彼の匂いと大量にある古ぼけた本の香りが漂う。辺りを見回して音の出所を探すと音は本棚の奥から聞こえた。
棚に並べれる本達をよく見ると私は背表紙に何も書かれていない真っ白な本から音が強く鳴り響いててその本を手に取った。
すると、ずっと鳴っていた電子音は止まりカチャリと金属の歯車の音が聞こえて、まるでからくりのように本棚はゆっくりと横に動き出すとそこには金庫が表れる。
それを戸惑う事も無く導かれるままに開けるとそこには鍵と小さなカプセルと一通の手紙があった。
私はまず手紙を手に取り中を開けた。
そこには細く綺麗な文字で書かれた私宛の手紙だった。


===============

Dear みょうじなまえ,


これを君が読んでいるということは僕はもうこの世にはいないのだろう。
これは僕の心音でロックされている。
詳しく書かなくても今の君ならわかるだろう。

僕は最後まで君を愛することはできなかった。誰かと共に生きるより、僕は僕の人間性に従いたかったから。

でも正直、君を好きだと問われれば君を好いていたのだろう。
時折、涙する君を見ると僕は戸惑ったりもした。心から優しくできなかった事を後悔している。

でも君は強い女性だ。
その鍵で此処から出て僕を忘れて自由に生きるといい。
これからの日本に希望が満ちているのなら。

もし、僕がいない世界でも君は僕だけを選んでくれるのなら。
僕は最後の問いを君に託そう。
代用の利かないそのカプセルにある“命”を君は守ることができるのか。
これをどう使うのかは君次第だ。

遠くから君の幸せを心から願うよ。


槙島聖護

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読み終えると涙が零れた。手紙を強く握り締めた。
見てもいない。確かめてもいなくても彼は死んだのだと私にはわかった。感じた。もう会うことはできないのだと。



二年後――――――――――。

冬の海辺を一人の女性が歩いていた。
命を宿した膨らむお腹を大事そうに抱えて。
あのカプセルには精子が入っていた。
医師に調べても身元は不明のもの。
だってこれは彼のだから。何となく予想はついた。それを使って人工受精をし、私は赤ちゃんを授かった。
我ながらなんて無謀なことをしたのかと周りは反対されたけど私は後悔してない。
大丈夫、大丈夫。お母さんは強いんだからね。
交わりをしなかったマリアがお腹にイエスを宿した気持ちはこういう事を言うのかな。
きっとこれは世界で一番のプラトニックだろう。

彼女は希望の満ちた顔で今の状況では似つかわしくないジムノベティ第一番を口ずさんでいつまでも浜辺を歩いていった―――。


私は最初で最後の優しさが離れるときに彼が囁いた言葉を思い出した。

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