「……行くの?」
「……………ああ。」
「そう、」
「…………」
「……っ、また……んだね。」
「…………」
―――沈黙が部屋を包む。
夜。慎也の部屋を訪れて開口一番がこれだった。責めに行きたかった訳じゃない。ただ確かめたかっただけ。
招き入れた慎也は私がなぜ来たのか、問いの意味を理解していたらしい。とはいえハッキリとは答えてくれないから、この沈黙はきっと肯定を意味しているのだろう…そう思った。そして彼の様子から上司にも他の仲間にも伝えていないだろうことは直ぐに判った。またあの時のように独り突き進もうとしているのだとも。
征陸さん辺りは気づいていそうだけれど。
3年前のあの日から、ずっと追っていた幻影のような存在がようやく姿を現したのだ。必死になるのは理解できる。きっとこの機を逃したら、もう二度と巡って来ない。
けれど、公安局にいてはその人物を裁けない、慎也の望む裁きを受けない…となれば、彼がとる行動は一つしかないだろう。
最も分かり易く、最も危険で、最も私が望まない方法を…―――
あの時と違って私は行動を起こすだろうとする彼と向かい合っている。3年前とは違う、全てが終わった後に知ったあの時とは。今の私なら慎也を止めること、思い留ませることが出来るかもしれない。
それなのに、そうすることができない。慎也を目の前にして動揺してるのか、彼の性格を知ってるが故に諦めているのか、それとも取るだろう行動に気づいた瞬間に覚悟を決めてしまったのか…
「―――すまない。」
「え…っ」
そんな迷いの中ポツリ、と呟かれた声が静寂を破る。なぜ謝るのかと慎也に視線を向けるも彼は私を見ず顔を伏せたまま。
「結局、俺はお前を…なまえを幸せにはしてやれなかったな。」
「っ、」
「あの時も今も、俺はお前を巻き込むだけで」
「なに、それ…」
思ってもみなかった言葉に驚きと怒気を孕ませて返す。
「っ、なまえ…?」
「私は…―――巻き込まれたとか、不幸だとか思ったことないのに。」
なのになんで、そんな言い方するの。
「だが、俺と出会わなければなまえは今頃、ごく普通のこんな檻の中の生活は送っていなかったろ?」
「それ、はっ」
確かに、そう言われてしまえばそうかもしれない。3年前のあの日。慎也が潜在犯になるまで私はごく普通のOLで、慎也とは幼なじみで恋人…ただそれだけの、ありふれた幸せの中で生きていた。
でも、
「でもね、私は幸せなんだよ。環境は変わったけど、ここでの生活も悪くはないって思ってる。」
外で天涯孤独に生きるより、一係のみんなや唐之杜さんが居るこの場所の方が何倍もいい。
ゆっくりと慎也に近づき、顔に手を伸ばす。一瞬だけビクッとした彼は驚いたような眼差しを私に向けた。
「それに…私にとって住む場所は関係ないの。ただ、」
「ただ、?」
「……………、」
そう言いかけて、私は口を閉じた。今言おうとしたことは慎也を引き止めようとする言葉になってしまうと気づいたから。言ったところで慎也の意思が揺らぐとは思えないけれど、それに気づいたら途端言葉に詰まってしまった。
「…なまえ?」
本当は、場所なんか関係ない。ただ、慎也が傍に居てくれればよかった。慎也が私の居場所だったから。そう言いたい。
本音を呑み込んで、小さく深呼吸をすると私は代わりの言葉を口にした。
「―――ねえ、慎也。」
「っ、」
私を見つめる慎也の瞳が揺れる。もしかしたら、揺れているのは私の瞳の方かもしれない。込み上げてくる感情を押し殺すのに必死だから。
「ひとつだけ、お願いがあるの。」
私は貴方に行かないで、とも。行ってらっしゃい、とも言えないから。
「…私を、ギュッと抱きしめて」
きっと、これが最後になる…だから―――
「キス、し…っ、ぁ…しん、や。」
言い終わる前に強く引き寄せられる身体。顔を上げれば慎也の顔が近くに見えて、なんだか凄く久し振りに見たような気がする。ゆっくりと慎也の手が私の頬をなぞるように触れた。温かい。
見つめ合って少しして、どちらからともなく唇を重ねた。触れ合うだけの、啄むような口づけから次第に深くなって強く求め合っていく。痛みさえ感じる口づけは、まるで付き合い始めたばかりの頃に戻ったみたい。
違うのは、あの頃は恥ずかしくて甘酸っぱい感情だったこと。
「っ、ん…ぁい…(愛してる…慎也)」
今は、
今はね、凄く悲しくて泣きたい。泣きたくてたまらなくなるの……
▲▽▲▽
「―――ッ、んん…っぁ。」
瞼を開けて最初に視界に入ったのは天井だった。いつもとは違う寝心地にぼやけた視界を動かしながら、ゆっくりと思考を巡らせていく。
ああ…そうだ、慎也と
「っ、!!」
引き出した記憶に一気に頭がクリアになった。横になっていたソファーから飛び起き辺りを見回す。そこに慎也の姿はなくて、他の部屋を捜すもやっぱり何処にも居なかった。
「…ばか…置き手紙くらい、残して行きなさいよね。」
身なりを整えて部屋を出る。と、私に向かって…正確には慎也の部屋にだろうけど、やや駆け足で向かってくる朱ちゃんと伸元くんの姿があった。
私の前で足を止めた2人に「ごめんね」と言えば、2人は黙ったまま顔を伏せたる。きっと2人も慎也がいなくなった理由を知っているのだろう。
「みょうじ、これでいいのか?」
そう言った伸元くんに私は言葉を返せなかった。
正しいかなんて、わかりっこない。愛する人が死地へと向かったようなものなのだ。いつか私は、それを悔やむ日が来るかもしれない。
それでも、今は
今は、慎也が残してくれた思い出を糧に生きよう。
(ねえ、慎也。そういえば、此処での生活を送るようになってから貴方は一度も口にしてはくれなかったね…“愛してる”って)
―――なまえ、
「っ、…?」
「どうした、みょうじ。」
「ううん、なんでもない。」
愛してる、