6 | ナノ
出勤してきた朱は普段通りに挨拶をしようと、職場に一歩踏み出した。



しかし、そんな彼女の声からは挨拶は発せられず、代わりに数秒置いてから口を開いた。



「どうしたんですか?」



冷や汗を流しながら尋ねる彼女にはこの場の異常に気づいてしまったのだ。



普段と違って明らかに空気が張り詰めている。



「気にするな、ただの喧嘩だ。」



そう答えたのは普段と変わらぬ様子の狡噛だ。一体誰が喧嘩をしたのだろうと朱が気になった時、怒声が聞こえた。



「喧嘩じゃないもん!絶交してやるんだから!」

「臨むところだっつーの!」



子供のような喧嘩をしているなまえと縢。普段は結構仲良しの筈なのに今日は珍しく喧嘩をしていた。



がみがみと口論を繰り広げる二人に思わず溜め息をつきたくなりながら、朱は狡噛に耳打ちする。



「何が原因なんですか?」



彼女がそう質問すると、彼は心底面白そうに口角を吊り上げた。



「常守監視官、あんただ。」

「え!私?」



狡噛の答えに朱が思わず声をあげると、今まで現状を堪えていた宜野座が声を荒らげた。



「いい加減にしろ!喧嘩するなら外でやれ!」

「「だから喧嘩じゃない!」」



なまえと縢は揃って批難の声を上げるが、宜野座は「黙れ!」と怒鳴って二人を追い出してしまった。



バチバチと火花を放ちながら去っていく二人を心配そうに見つめる朱。そんな彼女の気持ちが理解できたのか、狡噛は余裕のある笑みで言う。



「あんだが気にすることはない。もうあの二人もただの子供同士の友達っていう関係じゃいられないだけだ。」





* * *




なまえと縢は口を効かなかった。監視官が同伴ではないので、ウロウロできない。



「ねぇ、口論してないから戻ってもよくない?」



暫くの沈黙の後、最初に切り出したのはなまえだった。



時間が経ったせいもあって、大分二人の気持ちは落ち着いている。だけど、どうしようもないわだかまりがあった。



縢は彼女の言葉に返事をせず、代わりに別のことを尋ねる。



「何で朱ちゃんの話をしたら怒ったわけ?」



休息場の椅子に座っていたなまえは縢と目を合わせようとしない。そんな彼女の気持ちを薄々理解しているのか、縢は彼女の手を引くと歩き出す。



あまりに不意打ちすぎて払いのけることができなかったなまえはただ彼のあとをついていくことしかできない。



たどり着いたのは縢の自室。彼はなまえを部屋に入れると彼女を食卓の椅子に座らせた。縢は一旦キッチンに行ったかと思うとすぐにあるものを用意して持ってくる。



それはホールケーキだった。なまえはそれを見て思わず息を呑む。そこには「happybirthday」とデコレーションが施してあった。



「今日、誕生日だろ?」



縢はそう言うと、彼女に向き合う。



「俺も伊達になまえちゃんと友達やってるわけじゃないから、なんとなく分かるんだよ。だから、代わりに正解を言ってもいいんだけど?」



なまえには、縢の言葉が、先程の「朱の話題で怒ったこと」について言っているのだと理解できた。



だから余計彼の顔を見ることができない。何故なら彼女も本当は自分の気持ちを知っているから。



「嫉妬ってやつ。」



なまえの気持ちをそのまま言葉にする縢。今までは友達という関係だった。そこに嫉妬などという感情は芽生えなかった。だから恋愛関係になることはないのだと思っていた。だけど、朱が来てから妙に彼を意識するようになった。



そう、なまえは縢と朱の仲良しさに嫉妬していたのだ。



「俺たちももう二十歳過ぎたんだから、子供じみたことはやめようぜ。」



先程まで熱くなって口喧嘩していた口がよく言う、なんて思いながらもなまえは今から告げられる言葉がなんとなく予想できた。



「俺は、なまえのことが好きだ。勿論恋愛対象として。」



予想できた言葉なのに、思わず彼の視線を見つめてしまうなまえ。彼の瞳は真剣そのもので嘘ではないと理解できた。ちゃん付けがないことからも同様のことが伺える。



だから、彼女はゆっくりと言葉を紡ぐ。



「私も、好き。」



しっかりと彼の瞳を見つめる。今までは友達としてどこか距離を感じていた。間接的な繋がりしか感じなかった。



だけど、これからは新しい関係を築いていきたい。



その気持ちが伝わったのか、または彼も同じ気持ちなのか、縢はニッコリ笑う。



「誕生日おめでとう。」



今まではケーキをあーんしてもらうのが精一杯だった。だけどこれからは、



「大好き。」



ありがとうの代わりに伝えたい言葉を届けて、身を乗り出すなまえ。彼女の唇に温かい感触が伝わった。それには今まで我慢していた気持ちが沢山こもっていた。縢はそれを感じ取ったのか彼女の後頭部に手を添えてキスを繰り返した。



二人の間にあった友達という壁はとうとう崩れる。それが二人の望んだことだった。これからは恋人として一緒にいることができる喜びを感じながら、その一時を過ごしていた。
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