5 | ナノ
「まーさおーかさーん!」
歌うように、ソプラノの声が自分を呼ぶのが微かに聞こえる。
その呼びかけに、当の征陸は苦い過去に思いを馳せた。

およそ三十年前。まだシビュラの手が司法に及んでいない時代、
新人として刑事課に配属されたのは征陸を含めてざっと十人程度だった。

半ば先輩刑事達に引きずられるように歓迎会として居酒屋へ行った帰り。二次会だ、カラオケだ、と酔っ払い達(現役刑事)が騒ぐなか征陸と、みょうじなまえの目がばちりと合った。

そのまま流れるように二人は喧騒の輪を抜け
(何の気なしに彼女はこちらに歩み寄り)、
そのまま流れるように二人は手を重ね
(何の気なしに彼は肩を触れ合わせ)、
そのまま流れるように二人は夜のベンチに腰掛け
(何の気なしに彼女は淡く微笑み)、
そのまま流れるように二人の影が重なり
(何の気なしに彼は心を奪われ)、

「まーさおーかくーん!」
そろそろ休憩にしたら?と征陸に珈琲を手渡してなまえは隣のデスクに腰掛けた。甘い匂いが鼻孔をかすめ、チョコでも持っているのかと隣の彼女を見やれば、ココアのはいったマグに口をつけたところであった。
「征陸くんはブラック珈琲なんだね。大人だあ。」
「現にれっきとした社会人だろ、俺達は。なまえの味覚が子供なんだよ。」
ひっどーい、とむくれる姿は現職刑事のものとも、婚期の大人のものとも思えない。これだけ細い体躯でよくまああんなにダイナミックな確保の仕方が出来るものだといつも感心させられる。
だが、恋人としては無理などして欲しくないもので。
「神田川の事件、今度は背負い投げで犯人確保したんだって?よくまあそんなほっそい腕で…」
「征陸くんはホント力強いよね。…逞しいし、色々。」
付け加えられた言葉に思わず珈琲を噴出しそうになる。くすくすと笑うなまえを、職場なのだから恥じらいを持てという意味を込めて軽く睨む。
不意に笑みを消して、なまえは甘ったるい息と共に言葉を紡ぐ。「…ね、征陸くん。」
「?」
「今はこうやって犯罪が後を絶たないけれど、きっと……私達の子供が大人になる頃には平和な世になっているのかしら?」
「…俺は神様じゃないから一概には言い切れないが、きっと、そんな未来があると信じていよう。」
そうね!と赤い顔を明るくほころばせたなまえが、途轍もなく尊いものに思えた。
嗚呼、なまえとの子の未来が明るくあればいい。笑顔で、人を心から信じられる未来が来ればいい。

「……今日からシビュラシステムを導入することにより、人事異動が決まった…っ。」
実態も何も見えない突然現れたシステムが、今まで数々の事件を解決してきた先輩刑事達を『潜在犯』として隔離し、我が物顔で世を闊歩し始めた。
「………今、なんて、」
「…悪いが、シビュラが君となまえの未来が芳しくないと判断してね…。なまえにはもう相性のいい相手がいる。」

彼女が結婚し子を産んだと、人伝てに聞いた。


「まーさおーかさー…あ!!居たー!!」
もう、居たらなら返事して下さいよ!とぷりぷり怒って去る、息子の恋人。そうやって子供っぽい仕草をするのもなまえによく似ている。

なあ、なまえ。
まだ、まだ犯罪は消えそうにないがお前の娘と俺の息子は明るい未来を築こうとしてくれているよ。俺達と同じ、刑事という役職に就いてね。

潜在犯になったけれど、俺はまだ刑事として頑張ってみるさ。

だからもう暫く見守っていてくれ。


お前の元にゆく時には胸を張ってみせるから。
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