5 | ナノ
※監視官狡噛・監視官槙島設定

 公安局総合案内所の退勤時間はどこの部署よりも早く、定時で上がることのできる数少ない部署だ。
 残業することは滅多になく、あったとしても月に一度あるかないかの僅かな残業のため、ほとんど定時で帰宅していた。
 そんな総合案内所で受付嬢をしているみょうじなまえは、いつも通りの時間に退勤し、夕焼け色に染まる街並みを見つめながら帰路に着いていた。
 しかし、外気は思いの外冷たく、頬を撫でる風は肌を刺激する。
 ほんの数ヶ月前までは寒々しい冬の気候に支配されていたが、最近になりようやく春らしい陽気な温かさが漂うようになった。しかし、日が沈むと途端に寒くなり、防寒着がなければ凍えてしまう気温である。日中との温度差が恨めしく感じるのも仕方ないことだろう。
 なまえは寒いなあと小さく呟くと、薄手のレインコートのポケットに手を突っ込んだ。片腕にバッグを引っ掛けて、オレンジ色と藍色のグラデーションに染まった空を眺めながら、歩き慣れた道をゆっくりと進んでいく。
 いつもなら何気なく見ているだけの光景だが、こうして改めて目にしてみると、素直に綺麗だなと感じた。自然と頬が緩み、口角が僅かに上がる。
 こんなふうに普段通りの日常を穏やかに過ごしながら、温かい毎日を送れることは本当に幸せなことだと感慨深く噛み締めた。
 なまえはそっと息をついた。頬を緩めたまま笑みを浮かべると、今日の夕飯は何を食べようかなと考え出す。昨日は和食だったから今日は洋食な気分かも、とそんな和やかな思考を巡らせていると携帯端末に着信が入った。
 けれども、着信は直ぐに止み、それが電話ではなくメールだということに少ししてから気が付く。
 なまえは端末を取り出すと、メール画面を開けた。
 メールは二通届いていた。
 なまえはしばらくの間、画面をじっと見つめていた。だが、何回か瞬きを繰り返したあとに、指先をそっと動かし、メールを確かめる動作を取る。
 それから直ぐになまえの視界に飛び込んできたのは馴染みの深い名前だった。
 画面に表示されているのは、狡噛慎也と槙島聖護。どちらも公安局刑事課の刑事だ。ちなみに、狡噛が一係の監視官、槙島が二係の監視官である。
 なまえはこの二人と同期だった。それぞれ部署は違ったが、それなりの交流を持っていた。
 そして、同期三人は深い関係にあった。なまえと狡噛が恋人、なまえと槙島がセフレというなんとも歪な関係だ。
 槙島は観察眼に長けた男だった。というのも、なまえと狡噛が恋人になる以前から彼らが惹かれ合っていることにいち早く気付いていたのが槙島なのだ。おそらく、もどかしい二人を見て楽しんでいたのだろう。
 一方、狡噛はというと、当然ながらなまえと槙島の関係については知らないため、なまえと槙島が一緒にいてもこれといった感情を表に出さない男だった。二人を疑うような態度は一切取っておらず、確実に二人は仲の良い同期もしくは友人としか思っていないだろう。
 仕事に関しては頭の切れる男だが、恋愛には不向きな体質のようで、自分のことになると途端に鈍くなる傾向にあった。
 だが、なまえにとっては有り難いことだった。
 狡噛に浮気がバレないように上手く立ち回ってはいるが、細心の注意を払っていても粗というものはどこかしらにあるものだ。そこからじわじわと綻びが生じれば、隠し事が露見するようになるのは必至だが、狡噛の鈍さがそれを補強し、より強固にしている。このまま上手く事を運んでいれば、おそらくはこれからもバレることはないだろう。
 特に槙島はこの状況を殊更に面白がっており、退屈を埋めるためなら労力は惜しまなかった。そのため充分なほどに協力的で、二人きりで会う時も気遣ってくれるし、アリバイ作りも口裏合わせも手伝ってくれる。だから、遊ぶには丁度良かった。
 けれども、なまえが愛しているのは狡噛だった。素っ気なくて、無愛想で、気遣いの欠片もなくて、彼女よりも仕事を優先してしまうような仕事人間だが、そういうところも含めて全部が好きだった。たまに見せる分かりづらい優しさが物凄く好きだった。だから、別れる気は微塵もなかった。
 確かに、槙島とゲーム感覚で遊ぶのは楽しいし、彼の知識の多さや話題に事欠かないそれはとても有意義ではある。けれども、やはり本命と遊びでは持ちうる感覚が違うし、遊びは遊びだからとぞんざいになりがちだった。
 だが、槙島は黙認していた。いや、楽しむために黙認していた。そうして割りきった関係を求めるなまえを見るのが好きだったのだ。そして、自分という個が合わさって、なまえと狡噛の関係が歪んでいくのを観察するのが面白いと感じていた。実に変わった嗜好を持っている男だが、なまえはそんな槙島が結構好きだった。
 こんな歪な性格をしているくせに公安局に勤務していていいのだろうかと思うが、色相は濁るどころか鮮明になっていくばかりだ。
 疑問に思わないこともなかったが、ここは楽観的に考えようと判断し、深く突っ込まないことにする。
 なまえは浅く笑うと、槙島のメール内容を確認した。
 狡噛や他の誰かが見ても普通の文面にしか見えないそれだが、実は暗号文に近いものになっている。
 なまえはそれを読み解くと、槙島と同じく暗号文にして返信した。
 そして、その動作のまま狡噛のメール内容を確認する。

“今日は早めに上がれそうだ。お前の都合がつくなら会わないか?”

 なまえは何度もその短い文章を読み返し、それから返信文を打ち込んだ。

“わたしの家でいいよね? ごはん作って待ってるから仕事が終わったらもう一度メールして”

 間違いがないかを数回確認してからなまえはそれを送った。しばらくしてから狡噛からメールが届き、“分かった”と素っ気ない一文だけが添えられていた。
 狡噛くんらしいなあと笑いながら愛しげにその一文を見ていると、槙島からメールが届く。それを確認してから短い暗号文を送った。
 槙島とのやり取りはいつ会えるかの確認だ。なまえはそれほど忙しくはないが、槙島は多忙な身のため調整が難しいのだが、二週間後なら時間が取れるようだ。顔を合わせることはたくさんあるが、ゆっくりと話すことは随分と久しぶりのため少しだけ楽しみである。
 なまえは端末を仕舞うと、帰路を急ぐため、ほんの少しだけ歩調を早めた。

▼△▼△

 社会にシビュラシステムを導入して以来、家庭で食事を作るといったことは極端に少なくなった。ほとんどは管理システムに任せて、バランスの取れた食事管理を取るようにしているのだが、なまえは時折、自分の手で料理を作ることがあった。
 色相を濁らせないためには細部まで気を遣うべきなのだろうが、公安局に勤めていながらそういったことに関しては誰よりも希薄だった。だが、色相はこれといって反応を示さないし、何よりその料理を食す狡噛が全く気にしていなかった。いや、むしろなまえの手料理を楽しみにしている様子だった。
 なまえは帰宅して早々夕飯の準備に取り掛かり、狡噛の好物をあれよあれよと仕上げていった。
 そして、最後の三品目が完成したと同時に狡噛から仕事が終わったという連絡が入り、しばらくしてから狡噛が訪ねてきた。
 二人は和やかな食事を楽しみながら、色んな話に花を咲かせた。
 なまえが振った話に狡噛がぽつぽつと返し、狡噛が振った話になまえが楽しげに返す。とは言っても、ほとんどは狡噛が聞き役だ。なまえの話に耳を傾けながら、僅かな合間に相槌を打ち、気が向いたら自分から話題を振るといったそれである。
 心行くまで会話を楽しんだあとはベッドに雪崩れ込むのがいつものパターンだった。
 二人の間に沈黙が流れ、それが事に及ぶ合図だと気づいたのは随分と前だ。
 狡噛はなまえを抱き抱えると、寝室へと向かい、ベッドに沈み込んだ。二人分の体重が合わさり、スプリングが軋む。欲望と熱に濡れた視線を交わし、互いの名前を呼び合いながらキスを重ねた。それからは欲望のままに求め合った。肢体を絡ませ、温もりを重ねて、快楽を求め、愛を確かめ合った。
 長い情交は狡噛が満足して終わるか、なまえが力尽きて終わるかのどちらかなのだが、大半は後者の方だ。そして、今回もなまえが力尽きたため、狡噛が意を汲んで解放してくれた。
 なまえは滑らかなシーツに四肢を投げ出しながら、隣で煙草を燻らせている男を見やった。

「……狡噛くんは元気だね」
「お前が体力無さすぎなんだ」
「そうかな……。普通だと思うんだけど…」

 言って、ふかふかの枕に頬を押し付けた。
 体力を根こそぎ奪われた体は気だるくて、思うように動かないが、なまえはそっと手を伸ばした。狡噛の手に重ね合わせると、指を絡ませる。そうして甘い時間を堪能しながら薄く笑みを浮かべた。

「……なまえ……」

 狡噛が名前を呼び、顔を寄せてくる。そして、そっと唇が重なった。
 ふわりと煙草の香りが鼻腔を擽る。
 そのまま啄むように何度も繰り返していると、満足した狡噛が唇を離し、なまえと視線を合わせながら言葉を発した。

「……聞いてもいいか?」
「んー、何?」
「太腿に赤くなってる箇所があるんだが……どこでつけたものだ?」
「……ぇ、」

 なまえは僅かに目を見張った。平静を装おっていたが、内心は穏やかではなかった。
 狡噛の視線をひしひしと感じたまま、太腿に目を向けると、確かに赤い痕がそこにあった。
 ふいに脳裏を過ったのは槙島だ。痕は付けないでほしいと言っておいたはずなのだが、聞き届けてはもらえなかったようだ。何故、槙島がこのような突拍子もないことをしたのかは分からないが、こっちの身にもなってほしいと心の中で悪態をつくと、なまえは赤い痕を指先で撫でながら狡噛に視線を戻した。

「えっと……たぶん、この間、本棚の整理をしていた時にぶつけたんじゃないかな。ぶつけた覚えもあるし……」
「へえ」
「えー、何よ。その反応ー」
「……いや」

 狡噛は目を細めた。なまえを見据えながら煙草を灰皿に押しつけると、何も身につけていないなまえの体をベッドに縫い付けて押し倒すような体勢に変える。そして、なまえを見下ろしながら小さく呟いた。

「……キスマークに見えたが…………まぁ、お前がそう言うならそれでいい」

 そう言った狡噛の目は笑っていなかった。

「……俺を裏切るなよ」
「………っ…そんなこと……」
「ああ、お前のことは信じてるさ」

 狡噛はなまえを見つめたまま、丸みを帯びた頬に手を添えてそっと撫で付けた。

「だが、覚えておけ。お前は俺のものだ。他の誰かに触らせるな」
「……狡噛、くん……」
「分かったか?」
「うん、」

 その返答に満足した狡噛はなまえに口づけを落とした。額、瞼、鼻筋、頬、唇、顎、そして首筋、鎖骨、胸元へと、まるで自分のものだとマーキングでもするように優しいキスを繰り返し、赤い印を刻んでいく。
 そんな狡噛の姿を見つめながらなまえは頭の隅にちらつく槙島の影を追いかけた。
 槙島が付けたキスマークは誤算だった。気付かなかった自分も自分だけれども、こうして執着心を剥き出しにする狡噛を見れたことは大きかった。
 なまえは、至福とばかりにほくそ笑んだ。
 両腕を伸ばし、狡噛の首に腕を回すると、甘えるように縋りつきながら何度も「狡噛くんが大好き。狡噛くんだけだから」と告げる。それはなまえの偽りなき言葉だった。
 けれども、槙島との関係を改める気はなかった。こんな背徳的で官能的な愉悦が味わえるなら止めようがなかったし、止める気にも到底なれないというもので。
 それに、感情に乏しい狡噛が執着や独占欲といったそれを剥き出しにしたのだ。今後もこれらが見れるのだと思うと愉しさしか浮かんでこない。
 なまえは狡噛に抱きついたまま、狡噛の耳元近くに唇を寄せた。そして、唇を嘗めずりながら「もう一度抱いて、狡噛くん」と甘ったるい声で囁いた。
 それを受けて狡噛は一瞬動きを止めるけれど、直ぐに性交の態勢へと持っていく。

「明日起きられなくなるぞ」
「……いいよ。明日は非番だから……」

 その言葉に狡噛はにやりと笑った。

「だったら遠慮はいらないな」

 そうして二人の唇が重なった。潜んでいた熱が再び沸き上がってくる。
 下腹部に甘い疼きが走り、その感覚に目を細めたなまえは「優しくしてね」と告げると狡噛に全てを預けた。
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