4 | ナノ
夢を見た。目覚めたばかりの意識はまだ正常に機能してはいないが、夢の内容だけは何となく覚えている。横になったまま窓の外へ視線をやれば欠けた月がそこに存在していた。先程までは赤い夕焼けだった筈だが、予定よりも大幅に眠ってしまったのだろうか。暗闇の中に月がひとりぼっち、星なんてこの明るい街じゃ見えやしない。

そう、夢のなかも夜だった。私は必死に街中を駆け回っていて、何かから逃れようとしていた。何かとは、一体何だろう。得体の知れない恐怖に襲われたアレは断定することはできないが、何となく「死」だと思った。もしくはそれに直結する何かだったような気がする。実態の無いものに怯えるなんて私らしくない。思わず体にかかっていたブランケットを掌で握りしめた。

「………あれ?」

はた、とそこで違和感に気づく。…私はブランケットなんかをかけて眠りについただろうか?確か、ソファの上で雑誌を読んでいたら睡魔に襲われ、毛布をかける気力もなくそのまま横たわったはずだ。

「お目覚めかい?」

次いで聞こえてきた声に思わず肩を跳ねさせ、勢いよく視線を窓から声の主へと移した。
私の横たわっているソファの向こう側、ガラス張りで作られたテーブルを一つ隔てたもう片方のソファに、声の持ち主は腰かけて本を読んでいた。

「槙島さん…いつ帰ってきたの?」
「三十分ほど前かな」

先ほどの言葉も、今の返事も確実に私に向けられている筈なのに彼は私の方を見向きもせず膝に置いている活字を追っていた。それが何となく悔しい。話すときくらいこちらを見てくれてもいいのに、彼は相変わらず本を愛している。

「毛布、ありがとう」
「どういたしまして。でも何も掛けずにこんな所で寝ていたら風邪をひいてしまうよ」
「はぁい」

気の抜けた返事をした後、私は起き上がって掛けられていたブランケットを畳んだ。温もりがなくなり少し肌寒く感じるが、すぐに慣れるだろう。

「そういえば、うなされていたようだけど」
「えっ」

夢見でも悪かったのかい?と彼は続けた。私は何て返せばいいかわからなくて口籠ってしまう。夢の内容を話すのが嫌な訳じゃない、ただ何をどのように説明をすればいいのかわからなかった。私はただ走り回っていただけだ、よく理解出来ないものから…「死」であろうものから、ひたすらに。

中々答えない私を不思議に思ったのか、槙島さんは視線を本から私へとゆっくり移動させた。私はずっと彼を見ていたので必然的に目と目が合ってしまう。それが酷く嬉しい。彼の興味を大好きな本から私へとスライドさせることが出来たのだ。口が緩んでしまうのを私は止めることが出来なくて、ますます彼に疑問を抱かせてしまった。いけない、真面目に答えなければ。

「ね、槙島さん。もし私が死んだらどうする?」

真面目に、と思った矢先に出てきた言葉がこれだからどうしようもないと自分でも思う。夢見たことと遠くはないが近くもない話を切り出してしまった。少なくとも夢の中の私はまだ死んでいなかったのに。

「死に直面する夢でも見たのかな?」
「多分ね、そんな感じ」

私の夢見た内容に納得してくれたのか、彼は私の投げ掛けた質問に対する答えを考え始めたようだ。数秒間考え込むような仕草を見せた後、彼は困ったような顔で口を開いた。

「君が死んだら…か。その時が来ないと分からない、が答えかな」
「えぇーつまんないなぁ。でも、まぁ私も同じかも」

彼の答えに私は脱力してポスンとソファの背に寄りかかってしまう。それは納得できる答えではないし、欲しかった言葉でもなかったが、共感できるものではあった。
確かに私だって槙島さんが死ぬだなんて考えたくないし、考えられない。私はこれからも彼の隣に居たいと思うし、彼のやることを見届けたいとも思う。第一、私は槙島さんが居るからこそ生きていられるようなものであり、彼がいなかったらシビュラシステムによってこの世には存在できないだろう。

そこまで考えて、ある一つの希望が私のなかに芽生えた。とても愚かで、とても甘美な希望が。

「もし……」

言葉を形作るも、続きを口にしていいものかと戸惑う。すると槙島さんは私に続きを促すかのように少しだけ目を細めた。
私は座っていたソファから立ち上がり、彼の隣へと移動してから改めて続きを口にする。

「もし私が公安の人達に追い詰められて、あの鉄の塊を向けられるような事態になったら、そうなる前に槙島さんが私を殺してね?」

笑みを浮かべながらそう言えば、細められていた槙島さんの目が今度は少しだけ見開かれた気がする。ちょっとは彼を驚かせることが出来ただろうか。基本的に何事にも動じない彼を動かせたなら嬉しいのだけれど。

「君は死にたいのかい?」
「うーん、そういう訳じゃないけど……」
「死にたくないのに殺してくれ、か。普通は助けを求めるところだと思うけどね」
「あはは、私は犯罪係数ぶっちぎってる時点でもう普通じゃないから」

自嘲気味な笑いがこぼれてしまうが、決して後悔しているわけではない。だって私の犯罪係数が逸脱していなかったら私は槙島さんに会えてはいなかっただろうし、こうして隣にいることも当然叶わないからだ。


「それに、どうせ死ぬなら槙島さんの手で死にたいって思ったんだよね」
「何故?」
「槙島さんが直接手にかけた人って…少ないじゃない?だから、私もその数少ない中に入りたいっていうのと……あとは、愛する人に殺されたいってやつかな」

槙島さんが居なければ私は存在しない。槙島さんが私の世界を構築していると言っても過言ではないと思うのだ。私は彼によって生かされている、彼の意思で生の道が決まるのならば彼の意思で死の道が決定されても何も不思議ではない。

「なるほど」

彼は私の答えに微笑み、その手を私の頬へと滑らせた。

「確かに、今こうして心身共に僕へと寄りかかっている君はとても魅力的で好ましいと思う」

そのまま親指の腹で彼は私の下唇をゆっくりとなぞる。それが気持ちよくて、少しだけくすぐったくて、今度は私が目を細めてしまった。そんな私の仕草に満足したのかは分からないが、槙島さんは笑みを少しだけ深いものにして、更に言葉を続ける。

「けれど、僕の手によって死にゆく君も……また一段と僕を魅了し、楽しませてくれそうだ」

今の槙島さんの言葉、これは肯定の意と受け取っていいのだろう。彼は今度こそ私の欲しがっている言葉をくれた。嬉しくて心臓が高鳴るのが分かる。思わず私は両手を彼の頬に伸ばして包み込むように触れた。

「じゃあ、約束ね」
「ああ。だから君も僕が手にかけるまで死んではいけないよ?」

そう言い終えると彼の顔は私の両手をすり抜けて、そのまま私へと近づき今まで撫でていた唇に自分の唇を重ね合わせた。私は余らせることとなった両腕を彼の首へと回して目を閉じると、彼はそのまま私をソファに押し倒す。その一連の動作は甘いキスに加えて、甘い時間がやってくることを私に予感させるのに十分だった。


彼が作り上げた私の世界。何故彼が私を近くに置くのかは分からないし、いつまで隣に居られるかは分からないがそれでいい。彼自身が私を壊すその時まで、私は彼の傍で甘く楽しい時間を過ごせばいいのだ。彼が私に終止符を打ってくれるのならば、どんな最期であろうとも私はきっと幸せであるだろうから。
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