4 | ナノ
 槙島聖護という男は、見た目よりも遥かに精力的だ。
 容赦ない責め立ては拷問のようなそれで、体力の無いわたしにとっては責め苦のようなセックスでしかなかった。
 けれども、そんなセックスの中から生まれる快楽と悦楽は何よりも甘美だった。甘い痺れと甘い疼きと心地いい倦怠感、それらに包まれ、それらを味わいながら快と悦に浸るのがわたしの愉しみだった。
 しかし、彼は違う。
 槙島はわたしが快楽に溺れ、乱れ狂う様を眺めるのが好きだった。
 その瞳には欲望と狂気が入り混じっており、泣き叫ぶわたしを見ながら、日に日に狂っていくわたしの姿を観察し、そこから生まれる愉悦をあの男は心底愉しんでいた。
 彼はわたし以上に狂っていた。
 表面は静かで穏やかだったけれど、槙島は間違いなく可笑しい男だった。
 わたしは恐怖を感じずにはいられなかった。
 今は彼という存在に慣れたけれど、当時のわたしは槙島が怖くて堪らなかった。仕草も、口調も、言葉も、全てが優しかったけれど、畏怖の対象でしかなかったのだ。
 そんなわたしに槙島は言った。これが僕の愛し方なのだと、これが君を悦ばすことのできる唯一の手段なのだと、恍惚とした表情で告げたのだ。
 その瞬間、わたしは堕ちた。言葉の鎖に絡め取られ、残酷なまでの支配に屈服するしかなかった。そして、理解した。この男から離れられない、離れることはできないのだと、わたしの中の何かが叫んだのだ。
 わたしは漂う意識の中で幾分か前のことを思い出していた。
 遠い昔のような感覚だが、実際には数年しか経っていない。
 それらを追いやるように、わたしは重い瞼をそっと押し上げると、見慣れた天井が視界いっぱいに拡がった。
 瞬きを何度か繰り返す。気だるい体を静かに動かし、視線をシーツに向けると、使い慣れたベッドに寝ていたのだと気付き、同時に、昨夜の情事が頭の中に流れ込んできた。何回体を繋げたのだろうかと考えてみるが、途中で数えることを放棄したのだと、しばらくしてから思い出した。
 わたしは小さく息をつき、浅く笑みを浮かべた。そっと上体を起こし、爪先を滑らせると、肌触りの良いシーツがするりと流れ落ち、何も身に付けていない裸体が露わになる。
 微動だしただけで腰に鈍痛が走ったけれど、わたしは気付かないふりをして、一歩二歩と足を踏み出した。けれども、その度に節々が悲鳴を上げた。
 わたしは眉を寄せ、痛みを振り払うように浅く息をついた。
 何気なく視線を彷徨わせると、鏡張りの壁際が目に留まり、そちらに目を向ければ、部屋の背景と共にわたしの姿が――頭から爪先まで――映っていた。それを見ながら、苦笑を洩らし、鏡の近くまで歩み寄る。
 じっと自分自身を視界に収めながら、体のあちこちに赤い花が散っているそれが目に入り、そして小さく瞠目した。

「…………」

 こんなことをせずとも、わたしは彼のものなのにと嘯きながら、赤い花に指を這わせた。
 指の腹でなぞり、強く擦ってみる。けれども、それは依然としてその存在感を彷彿とさせていた。これがあの男なりの愛情表現なのだと思うと、何故だかむず痒い気持ちになり、同時に虚しくなった。
 わたしは鏡の中に映る自分を見つめながら、何度目か分からない溜め息をついた。
 途端、後方から聞き慣れた声がわたしの聴覚を震わせた。鏡越しから視線を向けると、ノブに手を掛けて、その場に佇む槙島を視界に捉えた。

「起きたようだね」
「………」
「あまりにも煽情的な姿だったから一瞬見惚れてしまったよ」

 彼は微笑みながらそう言うと、わたしの下まで歩み寄り、肩にガウンを掛けてくれた。
 着心地がよく、肌触りの良いその感触に微笑を浮かべると、わたしはそっと彼に御礼を言った。そして、鏡に映る自分と彼の姿を見つめつつ、首筋辺りに散った赤い痕に視線を這わせた。
 こんなところにも付いていたんだと心の中で呟き、シャワーでも浴びようかと思考を巡らせる。
 昨夜はシャワーを浴びずに眠ってしまったため、下肢に違和感があった。その違和感は小さなものだったけれど、一端気になり出すと止まらなくなるため、だったら直ぐにシャワーを浴びようと考え、そして、その場を後にしようとする。けれども、寸前のところでふわりと何かに包み込まれた。それが槙島の腕だと気付いたのは少ししてからだった。
 心地いい体温が背中越しから伝わり、柔らかい匂いが鼻腔を擽る。
 わたしは目を眇めた。そして、鏡に視線を走らせると、彼がわたしを背中から抱きしめている光景が飛び込んできた。
 彼はキスマークが付いたそこを楽しげに見つめながら顔を寄せた。鏡越しからわたしに視線を送りながら、赤い痕に唇を寄せ、口元に弧を描く。
 信じられない光景を目の当たりにしたわたしは、一瞬息を止めるけれど、視線をそのままに彼に向って言葉を発した。

「こんなものを付けても……意味なんてないでしょ?」
「そんなことはないさ。君が僕のものだという証にはなる」
「…………」
「消えたらまた付ければいい」

 その言葉にわたしはそっと瞼を閉じた。
 こうして彼に求められ続けるのは、あとどのくらいなのだろう。飽きられて、捨てられるのはいつなのだろう。
 今は良くても、いつかきっと終わりはくる。
 その時になったらわたしはどうするのだろう。彼はわたしを繋ぎ止めてくれるだろうか。それとも――。
 自身に問いかけ、そして答えの見つからない答えを探しながら、自分は細部まで彼に侵蝕されているのだなと改めて実感し、終焉が来るその日をどうしようもなく恐怖した。
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