4 | ナノ
※執行官主


三年。私の同僚で唯一の異性の友人であった笹山執行官が惨殺されて、それだけの年月が経過した。
たった、されど。人は皆、色々な表し方をするけれど、私に言わせてみれば、この三年間は、ひどく覚束ないものだったと思う。いわば、生きているのか、死んでいるのか、時折自分でも解らなくなっていたのだ。だからたまに仕事で無茶をして、怪我をこさえては周囲に怒られる事はよくある事で。

けれど私は、生きているのか死んでいるのか、よく解らない割には自らの身を、無意識のうちに大事にしていた。死にたくないと、本能が願っていたのだと思う。
例えば、数日前の事件。現場にて犯人と一対一の状況で相手にドミネーターを弾き飛ばされ、なにやら鈍器を振りかぶられたその瞬間、私は、相手を、半殺しにした。常守監視官も、狡噛達も正当防衛だと私の肩を持ってくれたけれど、正直、私は犯人を暴行してる最中の記憶がひどく曖昧で、自分のこの手がひどく恐ろしく感じた。
だけど、まぁ、現在はなんとか監視官様達が頑張ってくれたおかげで私は謹慎処分なんていう、軽い罰則で済んだのだけれど、――私は、心の何処かで、今回ばかりは執行されても仕方ないかなぁと思っていたんだ、なんて。口から零れそうになったそんな言葉を、先程からてのひらに泳がせていた白い錠剤を水と一緒に飲み込んで、そしてそれから、私は錠剤とおんなじ色をするシーツへとダイブした。



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「――おい、みょうじ、みょうじ執行官、おい起きろ」

ぼんやりとした意識に響く声。未だ覚醒しきらない意識の中で反響する声を聞きながら、かろうじて理解したのは薬を飲んだ後、すぐに眠り込んでしまったという事と、それから、

「不法侵入どーも、宜野座監視官様」

目の前にいる人の正体で。その人は皮肉を滲ませた私の言葉に眉を寄せると眼鏡のブリッチを中指を使って押し上げた。その癖、一々感情が見て取れてしまうから、あれほど直せと言ったのに。三年前を境に、注意しなくなった事を思いながら彼へ、何故ここに?と再び問えば、彼は言い難そうに口籠る。私は内心一つ、溜息を零した。

「言いたくないなら、別にいいよ」
「……あぁ」

彼はばつの悪そうな顔をする。あぁ、なんだよ。私達は猟犬だって朱ちゃんに言っておきながら、貴方の方がいざという時、私達を猟犬扱いできてない。三年前からずっと変わらず、甘い人。無意識に周囲の人間が変化していくのを見て、自分も変化しようと努力しながら誰よりも変わってない。彼はその事に焦っているようだけど、私はそんな彼がひどく羨ましい。
そんな彼へとふと笑いかけてみれば、彼の目に、悲しみの色が浮かぶのを見た。上手く笑えていなかったようだ。そういえば、この前、普通に笑ったというのに朱ちゃんからひどく心配されてしまった事を思いだした。なんだか、疲れすぎちゃって死にそうな笑い方してるって、縢にも割と本気で心配されたっけ。
そんな今更な事を思いだしながら苦笑を零して、同時にベットサイドに置いておいたピルケースへと手を伸ばせば、私の指先がそれに触れる前に、それは誰かの手によって攫われてしまった。

「宜野座監視官、」

誰かなんて聞くまでもない。

「ちょっと」
「駄目だ」
「それ、精神安定剤なんだってば。貴方には必要ないでしょう?ね、たのむよ、返して」
「……駄目、だ」
「宜野座監視官…」

ベットに腰掛け手を伸ばすだけの私と、立ったまま薬の入ったケースを高く掲げる彼。ただでさえ背が高いっていうのに、わざわざ持ち上げられちゃあ私に勝ち目は無い。早々に諦めて、目と言葉で訴える事にした。かえして。駄目だ。たのむよ。駄目、だ。埒が明かない。

「おねが」
「お前は、」
「…なに?」
「これが、なんなのか解っているんだろう」

人の言葉を遮った彼の声は少し震えていて。彼の言う、これ、とは即ち薬の事だろう。なんなのか、とは。――さあ?と白々しい棒読みで彼に言えば、全て伝わったようだった。彼は眉を寄せて、私を見下ろす。何故、と彼の唇が震えた気がして、私はそれに笑いかけた。やさしい彼の目の悲しみの色が深くなる。

「ねえ、」
「…なんだ」
「ごめん、ね」

ごめん、ね。それは最近、よく呟く言葉だった。
朱ちゃんに心配された時も、縢に笑顔の指摘をされた時も、征陸さんに気をつかわせてお酒をおごってもらった時も、弥生ちゃんに任務中に助けられた時も、狡噛に危うさを注意された時も、そして志恩さんに精神安定剤――に偽ったビタミン剤を処方された時も。あの事件に固執している狡噛ですらに注意されるなんて、随分な事だと自分でも思っていたが、志恩さんですらこんな事をするなんて、自分はかなり危ういらしいと気付いたのは随分前の事。
そう、気付いてから私はよく呟くようになっていた。ごめん、ね。彼らはこれを聞く度、複雑そうな顔をする。それにまた謝ってしまいたくなるけれど、自分はただ情けない顔で笑うほか、逃げ道はないのだ。

私は、ただただ生きる事を渇望している。笹山のように、あんな惨い殺され方はしたくない、それ以前に、死にたくない。どう足掻いてでもいい、この世に生きていたい。この理不尽な世の中でも、私は心臓を動かし、息をして、思考する。そうしていたいと、望んでいる。
だから、生きているからこそ、私は私であろうと無意識のうちに思っているのだろう。数日前のあの事件の如く、我を忘れる事を恐れている。そんな恐れを和らげられるのは、今現在の所、宜野座監視官の手の中にあるそれだけだ。偽りだって、気休めだっていい。それで私の精神がなんとか保ってくれるのであれば。

「宜野座監視官」

いまの私にできる、精一杯の笑みを浮かべた。なるべく優しく、柔らかくを心がけて、彼に微笑みかける。そうすれば、彼の端正な顔はくしゃりと歪んだ。あぁ、そんな顔をしてほしかったわけではないのに。ごめん、ねと彼に呟けば、ピルケースを握りしめていた手が、渋るような動きで私へと差し出された。それを受け取る最中、彼の手が震えていた事に気付く。本当に、やさしいなぁ、なんて。
ふと気を抜いて笑いを零したら、目の前の彼は私に覆いかぶさってきた。私達は共にベットへと倒れるはめになったけれど、別にいやらしいとか、そういう雰囲気じゃない。彼はただ、私の耳元で馬鹿野郎と呟いて、震えていた。…大丈夫、か。
彼に、そう問おうにも、彼の抱きしめてくる腕によって私は潰されてしまいそうで。ぎしぎしと体の骨が軋む音を耳が拾いながら、私はまたごめん、ねと呟いて、涙も流さず泣いている我が上司の頭を撫でた。あぁ、なんだかとても、苦しい、な。


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