3 | ナノ
※過去捏造

 わたしが5歳の頃、両親が交通事故で亡くなった。
 当時のわたしは何も分からない子供だった。両親が亡くなったことを聞かされても、それがどういうことなのか全く理解できなかった。
 そんなわたしに「なまえちゃんのお父さんとお母さんは遠いところに行ったのよ」と叔母さんが教えてくれた。

「遠いってどこ?」
「ここよりもずっと遠いところ……。わたしたちは行けないところよ」

 叔母さんは懸命に諭してくれた。でも、わたしは、その意味の半分も理解できなかった。遠いところにいるのなら、きっといつか帰ってきてくれる、迎えにきてくれると疑わなかった。
 わたしは叔母さんをじっと見つめた。「じゃあ、いつ帰ってくるの?」と無邪気に答えを求めた。
 叔母さんは堪えていた涙を流し、わたしの小さな体を抱きしめた。「もう帰ってこないのよ」と声を震わせた。叔母さんはとても悲しそうに泣いていた。そして、わたしもつられてわんわん泣いた。
 どうして泣き出したのかは分からなかった。でも、悲しかった。叔母さんがあまりにも悲しそうに泣くからわたしも悲しくなった。
 たぶん、子供なりに何かを感じ取ったのだと思う。
 ああ、もう父も母も帰ってこない。わたしを迎えに来ることも、父と母に逢うこともできない。これからもこの先も決して叶うことはのだと、それは感覚的なものだったけれど、強い確信めいたものを感じた。だが、半信半疑だった。まだ、心のどこかに、父と母は帰ってくる、帰ってきてくれる、そんな思いがあった。
 でも、葬儀が終わり、父と母にお別れする瞬間、その確信は間違いではいなかったのだと、現実を突き付けられた。わたしは悲嘆に暮れながら再び涙を流した。

▼△▼△

 わたしが引き取られたのは狡噛家だった。親戚の中で狡噛家が一番相性がいいのだとシビュラが判定したのだ。そのことに誰も意見する者はいなかった。それが普通のことで、当たり前のことだったからだ。
 狡噛夫妻はとても優しい人だった。「わたしたちを本当の両親だと思って甘えていいのよ」と包み込んでくれた。
 そして、夫妻の実子である狡噛慎也も優しい人だった。不器用で無愛想だったけれど、わたしが生前の父と母を思い出し、泣き崩れたり、落ち込んでいたりすると、いつも不器用な手つきで頭を撫でてくれた。わたしはその手が大好きだった。温かくて、優しくて、安心できる手だった。
 それから何年もの月日が流れた。
 わたしは高校生になった。義兄は訓練施設に入ることになり、家族とは離れて、施設指定の寮で暮らすことになった。義兄の引越しは2週間後に迫っていた。
 大学教育がなくなった今は、それが当たり前のことだった。訓練施設で修学し、そこで得た知識と経験、そして学業を修め終えて得た成績と適性でシビュラから職業選択範囲を割り振られる。
 義兄はそうして社会人になり、社会に貢献する人になっていくのだ。そして、どんどん遠い人になっていく。手の届かない人になっていく。わたしの知らない人になっていく。そんな錯覚めいたことさえ思考するようになった。
 何れわたしも訓練施設に行くことになる。そうすれば、義兄の隣に並ぶことも、追いかけることもできる。義兄と同じ道に進むことも、同じ道を選べることもできるのだ。
 だが、義兄と離れるのは嫌だった。離れて暮らすことをどうしても受け入れられなかった。
 わたしは義兄が好きだった。それは親愛や家族愛といった愛情ではなく、異性として義兄に強く惹かれていた。
 いけないことは分かっていた。義兄に寄せるべき愛情でないことは充分に分かっていた。
 けれども、惹かれた。酷く焦がれた。自分を叱咤する度に、愛しい気持ちが大きくなっていった。その度に、傍にいたい、離れたくない、一緒にいたい、そんな強く激しい想いに駆られた。
 感情が混ぜこぜになる。わたしの頭と心を掻き乱していく。
 義兄にこの想いを告げたい。想いを告げて受け入れられたい。でも、そんなことはできない。するべきではない。そんな葛藤を抱くようになり、わたしは義兄と過ごす日々に苦悩し、苦悶した。
 わたしは、何が正しくて、何がいけないのか、全てが分からなくなっていた。

▼△▼△

 その日は穏やかとは言い難い天気だった。
 朝は曇っていただけで、雨は降らないだろうと思っていたのだけれど、午後になった途端、その雲行きが一変した。ぽつぽつと小雨が降り出し、次第に雨の勢いが増していき、授業が終わる頃には、傘なしでは帰れないほどの雨が降っていた。帰り道が同じ方向の友達が駅前近くまで送ってくれたけれど、残念なことに頼みの綱としていた駅の売店にも、近くのコンビニにも傘はなかった。品切れだった。考えていることは皆同じということだろう。
 わたし渋々、雨の降る中を走って帰った。
 だが、帰宅した頃には全身ずぶ濡れで、見るも無残な姿になっていた。髪からも、制服からも、滴がぽたぽたと落ち、水気を吸った靴下とローファの中に溜まった水が気持ち悪く感じた。
 わたしは見慣れた玄関を見ながらスカートの裾を手に取ると、雑巾を搾るようにスカートを絞った。スカートから水がぼとぼとと落ちていく。それを眺めながら、わたしは玄関の扉を開けた。

「……ただいま……」

 小さく呟いた声が静かな空間を震わせる。ホログラムが使われていないそこは、少しばかり質素に感じた。
 わたしは目を眇めると、茫然と立ち尽くした。これからどうするべきかと考えてみる。

「…………」

 おそらく、このまま家に上がると水浸しになることは必至だ。だからといって、いつまでもここにいるわけにもいかないだろう。早く体を温めなくては風邪をひいてしまうかもしれない。だが、体を温めるにはやはり家に上がらなくてはいけない。だったら、ここで制服を脱いで、そのまま脱衣所に行けば――そんなことをぐるぐると考えていると、先に帰宅していた義兄がリビングから出てきた。そして、ずぶ濡れのわたしを見て、目を見開き、呆れた様子で口を開いた。

「お前、なんて格好をしてるんだ」
「………だって、」
「……、そこで待ってろ」

 義兄はそう言うと、脱衣所に行き、タオルを持ってわたしの前に来ると、それをわたしの頭に被せて、ぐしゃぐしゃと拭いてくれた。力が強くて少し痛かったけれど、こうしてわたしを心配してくれて、世話を焼いてくれることがすごく嬉しかった。でも、あと数日もすれば、義兄は寮に入ってしまう。それが、すごく悲しかった。こうして心配されることも、世話を焼いてくれることもなくなってしまうと思うと、無性に切なくなって、酷く苦しくなった。

「っ、ぃ、痛いよ、義兄さん」
「ちゃんと拭かないと風邪ひくだろ」
「でも、痛い」
「我慢しろ」
「うー」

 わたしはタオルの端から覗く義兄の顔をそっと盗み見た。
 ぐしゃぐしゃと拭かれる度に、タオルから柔軟剤の香りと義兄の匂いがわたしの鼻腔を擽る。まるで、義兄に包みこまれているような、抱きしめられているような、そんな錯覚に似たものに襲われた。
 それが偽りの感覚ということは分かっていたけれど、わたしは幸せだなと思った。この一瞬の幸せを抱きしめて、放したくないと思った。

「あの、義兄さん」

 尚もわたしの髪を拭き続けている義兄にわたしは言葉を発した。義兄は「どうした?」と訊いてきた。わたしはそっと口を開き、長年の想いを義兄に告げようとする。だが、躊躇われた。
 もし、この想いを告げて、義兄を苦しませることになったら、義兄妹の関係が壊れてしまったら、わたしを避けるようになってしまったら、そう思うと、どうしても言えなかった。

「……ありがとう」
「ああ、」

 わたしは、義兄に笑いかけたあと、そっと顔を俯かせた。義兄に顔を見られたくなかった。わたしが涙を滲ませているところを見せたくなかった。

「風邪ひかないようにしろよ」
「うん」

 義兄の優しさが痛い。でも、それ以上に嬉しくて、わたしはぎゅっと目を瞑った。目尻からぽろりと涙が零れる。
 耳には雨の降る音が響き、まるでわたしが幼子のようにわんわん泣いているような泣き声に聞こえた。
 わたしは浅く笑った。本当に心の底から義兄を愛しているのだなと切なくなった。どうしようもなく恋焦がれているのだなとその想いを噛み締めた。そして、目の前の義兄の存在を確かめるように心の中でそっと告げた。「好きだよ、義兄さん」と――。
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