3 | ナノ
真っ白い壁に真っ白い天井に真っ白いシーツ。全てが白、白、白。味気なさ過ぎる光景にただ溜息をつく。この部屋には何もない。…おまけに薬品独特のツーンとした匂いがするし。あー辛い。早く退院したいなあ。けど、怪我の具合からして退院にはまだ無理だと判断されるだろう。吊り上げられた右足と左手、首と、肋骨のあたりには白い包帯がぐるぐると巻かれている。医療技術が発達した今でも、こういった外傷には自然の治癒を待たなきゃいけないところを思うと、生身の人間がどれだけ脆い生き物か実感する

「…私も医者に病院へ火つけるぞ!って脅して退院してやろうかな」
「も、って何だ。俺はあの時ちゃんと医師を説得して許可をもらっていた」
「どうだかー。狡噛のことだから信用ならないなー」
「……」

首を痛めてるために隣にいる狡噛の方をしっかりとは向けないが、多分呆れた表情してるんだろう。「…思ったよりは元気そうだな」なんて言って、彼はガタタとパイプ椅子を引き寄せて腰を下ろした。…あ、今タバコをポケットから取り出したな。こいつ、病室で吸う気なのか

「怪我人の前でタバコ吸うとか有り得なくないですか?」
「……まだ吸ってない」
「屁理屈はいいから。てか、吸うなら私にも頂戴。私もう1週間も喫煙してない」
「腹に穴あいてる奴が煙草吸うか?悪いこと言わないからやめとけ。医者やらギノやらにどやされるのはどうせ俺なんだ」
「じゃあ此処で吸うな嫌がらせか」
「かもな」

くそう…狡噛ムカつく。狡噛は知ってるだろうに…私はれっきとしたヘビースモーカーで!既に煙草は私の生活必需品なの!だから吸えないのが本当辛いんだよう…!…いや、これは私の苦しみが分かっててやってるのかそうなのか。白い煙がもくもくと目の前を漂う。あっマジで吸いやがったコイツ。「狡噛のばかばかばか」と恨めしく呟けば、狡噛は軽く苦笑いをし「分かったよ」と申し訳なさそうなニュアンスでもって返した

「ほら」
「ん」

狡噛の長い指が私の口に吸いかけの煙草を器用にも差し込む。口内いっぱいに感じるこの味が懐かしすぎて。本当に、今の社会から淘汰された代物だというのも納得できる。なんと言っても中毒性がある。狡噛が煙草を取り出し、私の口から白い煙が吐き出される頃合いには、既に私の機嫌は良いものになっていた。「単純なやつ」とバカにしたような呟きは聞かなかったことにしてあげよう。ジュ、と灰皿に煙草が押し付けられる

「…煙草一本まともに吸えないぐらいにはボロボロってことか。腕も足もどこもかしこも」
「煙草を吸えば治ります」
「あーそうかい。で、医者はどれくらいかかるって?」
「えっと…1ヶ月くらい?けど、もっと早く現場復帰出来るよ。私だけあんまり休暇もらってちゃ悪いしさ」

ギノさんには小言言われるだろうななんて想像して苦笑いを溢せば、頬に温かな感触。ぐぐぐ…と少しばかり強引に首を動かすと、どうやら狡噛の大きな手が私の頬を包み込んでいるらしいことが分かった。…さっきよりも距離の近くなった彼の顔はなんだか難しい顔をしていた

「…狡噛?」
「悪かった」
「へっ?」
「…あの時、通信をジャミングされていたとはいえ俺達は現場に既に駆けつけていた。近くにいたんだ。あと数秒早くお前のところに行けていれば、お前がこんな怪我を負うこともなかった」
「…あはは、後悔はそこなんだ?」

「意外」と声を出して小さく笑う。…この人が真っ先に私に怪我させたことへの後悔を述べるのは、正直意外だった。むしろ、この病室に入ってきて早々に"彼"のことを口にするかと思ってた

「狡噛にとっては違うでしょ。後悔は…そう、槙島を取り逃がしたことへの後悔。それ一点。というか、ごめんね?私槙島を目の前にしていたのに、取り逃がしちゃったうえに殺されかけた」
「…お前…」

チッと苛立ったように舌打ち一つ、狡噛は低い声で「謝ってるんじゃねえ。お前が生きて帰って来れただけで良かったに決まってる」やら「俺は今お前を守れなかったことに後悔して、謝罪をしてる。槙島の件は今関係ない」やら捲し立てる狡噛に、私はまた目を細めて微笑んだ。そして痛む自分の右手をこれまた強引に動かし、狡噛の大きな手に重ねた

「違う、違うよ。狡噛。分かってるから」
「全然分かってないだろ。俺はただお前を…」
「…シビュラシステムに管理されたこの世のなかじゃさ、人の言葉なんて真実味を帯びないんだよ。機械の叩き出した数値の方が信頼されるし、そっちのほうが簡単で目に見えて分かりやすい」

「狡噛の色相、今かなり濁っちゃってるんじゃない?ドミネーターがなくても分かるよ」とからかうように軽口を叩けば、狡噛はそんなことはないと言いたそうな表情をするも押し黙ってしまった。…別に狡噛の言葉が信用出来ないわけじゃない。けど、彼の本心にはいつだって槙島の存在が先立ってあることは事実で。それは狡噛が監視官から執行官へ成り下がった時には、誰もが分かりきっていたことで。…黙認は否定か肯定か。もしかしたら狡噛自身も混乱してるかもしれない

「別にいいんだ。狡噛が誰より何より槙島聖護を捕まえたがってることは知ってるもの。私のことなんかは二の次…いや五の次くらいでいいかな。あはは。狡噛が助けに来てくれたってだけで十分。何より生きてまた会えたし」
「……」

ピピピという電子音が狡噛の手首のデバイスから響く。「暇だったから私が槙島聖護と遭遇した時のこと思い出せるだけまとめといた。今そっちに送信しといたからさ、ほらもう仕事戻りな」なんて、手首だけでしっしっと追い払うようにすれば、暫く沈黙が続いた後、頬をむにっとつねられた

「!?いひゃい!な、何すんの!」
「あんだとコラ、ムカつく顔しやがって」
「いやムカつく顔ってなに!?失礼な!」
「そうやってな、人のこと勝手に分かりきったようにペラペラ語るな。くそったれ」
「は、はあ?気使って言ってあげてんじゃんか早く仕事戻りなって」
「お前が俺に気を使うなんざ百年早え」

「いらねェ気ィ回してるぐらいなら早く治せ。お前が休んでる分の雑務、ちゃんとお前用にとっておいてあるんだからな」となんだか物騒な台詞を吐いて、狡噛はパイプ椅子にどっかりと腰を下ろし、足を組み、自分は長居しますとでも言うように煙草をまた吸い始めた。な、何で怒ってんのこの人…

「ちょ、狡噛ってば」
「ー…確かに、お前の言ってるのは事実だ。俺は今槙島を捕まえること以外は眼中にない」
「…でしょ」
「けど、お前が傷付けられて腸煮えくり返ってるってのも事実だ。もうこんな目には絶対合わせねえ」
「!」

骨張った大きな手が今度は私の頭を撫でる。まるで小さな子どもにするように、優しく。「俺も腹の内明かしたんだ。お前ももう強がるな」なんて言われれば、自然と瞳から涙がぽろぽろとこぼれた。っ、なんだ、これ…止まらない

「っふ…せ、かく…我慢して、のにい…!狡噛のばかあ…っ!」
「何で我慢なんかするんだ。馬鹿はお前だろ」
「だっ、てえ…心配かけたく、な…」
「だから、そういのが馬鹿だって言ってんだ。怖かったなら怖かったって言っても恥じゃないし、泣きたいなら泣け。胸ぐらいいつでも貸してやる」

……全部全部、狡噛にはバレてる。そうだよ、怖かったよ。ドミネーター向けてもセーフティロックされたまんまだし、そしたら私丸腰だし、槙島は真顔で人のことぼこぼこにしてくるし、普通に走馬灯どころか三途の川見えたし…!そう言って大きな声で泣き喚けば、「三途の川見るだなんて俺でもまだ経験したことないな」と慰めにもならない言葉でもって頷き、何でか笑いだした。いや、笑いどころじゃないから今!

「〜っ…今度は…もっと早く助けに来いや、ばか」
「その場に行けたならな」
「狡噛まじムカつく」
「冗談だよ」

ー…それでも、あと数分もしたら彼はこの病室から去って、足早に槙島聖護のことを調べに行ってしまうだろう。彼は変わらず槙島聖護にしか関心はない。…そんなの分かってる。けど、今こうして私のために数分間割いてくれる。今こうして私のことを気にしてくれる。私を見て馬鹿だなって笑ってくれる。それだけでいいんだ。それが私の幸せなんだ
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