2 | ナノ
すれ違い様に現場帰りのレイドジャケットの腕を取っても宜野座は表情を変えなかった。捕らわれた腕を軽く揺すって、汚れるぞ と呻くように漏れた声はいつもより低い。執行の名の下に人間を肉片に変えてきたばかりなのだろう、宜野座の細い身体を包んでいるジャケットには目立った汚痕など見られなかったけれど、彼は汚いものを見るように自分の濃紺の上半身を見下ろしている。長い前髪が落とす影が陰鬱な印象を作って、彼を知らない者が見ればいかに公安局監視官と言えどもやはりあんな風に簡単に人間を殺すことに無感情ではいられないのだろうと思うかもしれない。執行官を率いる身でありながら、けれど宜野座は自らで潜在犯を執行することを厭わない。エリミネーターであろうがパラライザーであろうが構わず、迷わず、撃つのだ。鋭い視線はただ執行対象だけを深く貫き、きつく結ばれた口元はとびきりの無表情に。宜野座の氷のようなうつくしさは、潜在犯を前にして一層際立つ。
掴んだ腕を引き、壁伝いに設置してある自販機の陰に入ると宜野座は静かに眉をひそめて眼鏡を指で押し上げた。
「…おい」
「大丈夫よ宜野座」
何が大丈夫なのか、宜野座は問うてはこなかった。たださっきから嫌に青白い顔を僅かに緩めて短い息をつく。親指と中指で眼鏡のフレームを押さえるようにして目を伏せるのは彼の癖だ。とりわけその心中の落ち着かないときの。
宜野座という男は放っておけば損な役回りばかりを背負い込む面倒な性分で、周りもそれを疑いやしないから尚のこと巡りが悪い。宜野座自身が望んだことではあるのだろうが、わたしにはどうにも割り切れないのだ。
「おい。汚れると言っているだろう」
宜野座がわたしに掴まれている腕を引く。きつく寄せた眉は長い前髪の奥で、複雑を極める彼の本心を覆い隠すように仮面の表情に張り付いている。
「…大丈夫よ宜野座」
わたしは同じ台詞を繰り返して、宜野座は一層苦しげに眉間の皺を深くした。その眼に写るのは、恐怖と不安と。
サイコハザードという現象が事実この世界を脅かしている以上、わたしたち監視官は任務執行と自らの色相管理という、ともすれば相反するような性質のその両方を同時並行的にこなさねばならない。犯罪と真っ向からそして最前線で向き合いながらもその影響を受けることなく、時には監視官でなく刑事として。
一係の監視官を卒なく務め上げる宜野座が彼のその経験則で恐れているのは、潜在犯を執行するそれ自体ではなく、その行為が自分や引いては自分の周りに与える負の影響なのだと思う。父親と相棒を失くした宜野座の傷は、未だ癒えることはなく。
「宜野座」
「…離せ」
掴んだままの腕を今度こそ強く引いて宜野座の体ごと引き寄せる。わたしの耳元で低く震える拒絶の声がした。宜野座の前髪が首筋を擦る。その目蓋は小刻みに震えて眼鏡のレンズに当たる睫毛を弱々しく揺らしていた。構わず抱き込んだままの宜野座の背中はひどく薄っぺらで、彼がここに背負い込んでいるものの大きさを想うとなんだか無性に泣きたくなった。だってそれらはあまりにもアンバランスで、いつかきっとあっけなく折れてしまう。

「やめ…てく、れ…」
わたしに埋められた宜野座の顔が拒絶でも命令でもなく懇願する。わたしが触れること、わたしに触れること。宜野座は不自然なほど綺麗なままなのに、血肉を吸い込んだばかりの彼の体躯は宜野座にとって汚らしく恐ろしいものであるようで、わたしに触れまいと触れさせまいと必死で距離を取ろうとする。それがわかるからわたしはなおさらその手を離せない。
「宜野座」
「……てくれ…」
懇願は力無く項垂れて、宜野座は冷たい床に膝をつく。胸元に預けられていた宜野座の頭部がずるずると臍のあたりまで滑っていった。縋るように強い力で掴まれた内腿はきっと彼の指の痕がついている。まるで口付けの痕のような、鬱血。ほんの小さなその痣で、そうしてわたしは宜野座に支配される。支配されて、やる。それで宜野座が、例え弱々しくとも前だけを見つめて立っていられるのなら。
わたしは、わたしだけは宜野座を裏切らず真人間のままでいてやろう。あちらに落ちることもなく、こちらに絶望することもなく、ただ宜野座と同じであってやろう。いつか失う恐ろしさを、つめたく横たわる漠然とした不安を彼に植え続けるために。そのためだけに。
宜野座がそれを、望むのだから。

「宜野座。宜野座はわたしを失わないよ」
「…は…自惚れるなよ」
「いくらでも自惚れるよ、それで宜野座がこっち側に居られるなら」
何かを言いたげに上げられた宜野座の瞳と眼鏡それぞれにちいさなわたしが映る。宜野座に負けず劣らず情けなく歪んだその顔を、見たくなくてわたしは目を伏せて、その鴉色の髪にそっと頬を押しつけた。内腿の痣は、きっと何日もしないうちに肌の奥へ消えてゆくのだろう。わたしのこの想いを連れて、奥へ、奥へ。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -