第4回 | ナノ
雑賀はいつも通りに授業を始めた。いつも通りに起きて、いつも通りに出勤して、いつも通りに始めた授業だった。一人の生徒の端末から、警報のような音が聴こえるまでは。
事態は目まぐるしく動いた。ドローンに連れられ生徒は退室し、もう二度と雑賀は教壇に立つことは無かった。
これで終わりだと思っていた。咬噛が逃亡して、罪滅ぼしのように公安入りした時、雑賀はあの時去った生徒の行方を、自分が未だ知らなかったことを忘れていた。
「お久しぶりですね、雑賀先生。」
にこりと笑うみょうじに、雑賀は息を忘れた。品と思慮を合わせもつ瞳はそのまま、長かった髪はベリーショートになっていた。一切の隙無く着たスリーピースのスーツは、男物のような細いストライプのスーツに。どこか怯えていたような雰囲気は消え去り、余裕さえを匂わせる微笑みを浮かべていた。照明のひかりを反射して、彼女の、飴色の双眸があやしい光を灯している。
「執行官に、なっていたのか。」
ようやっと絞り出した問いに、みょうじは笑みの種類を変えた。眉をハの字にし、困ったような、少し驚いたような、そんな笑みと共に唇を動かす。
「ご存知かと思っていました。その…咬噛に聞いているとばかり。」
そうだ。咬噛は彼女と同期だったのだ。あの時の講義にも居た。もう雑賀があの家を出ることはないと考え、教える必要がないと思ったのだろうか。それか、恩師の古傷を抉るような真似を控えたのか。なんにせよ、何の心構えも無しに雑賀はみょうじに会った。会ってしまった。気をきかせたのか宜野座にそれとなく連れられて一係のオフィスを出て行く。大方、分析室に行くのだろう。

「こんにちは、先生。」
これは、嫌がらせなのだろうか。
聞けば、みょうじは最近やたらに分析室への使いを申し出るらしい。毎回毎回出くわすわけではないが、会った時に心臓を鷲掴まれたような感覚に陥る。あくまでも、筋肉が動いているだけのように表情が変わり、目だけが爛々と輝く彼女。嫌がらせのような行動に反し、穏やかで裏もなにも感じさせない声色。雑賀の洞察力をもってしても、理解し難かった。
「先生、これ、常守監視官からです。」
そう言って資料を手渡した彼女の笑顔は、ひどく作り物めいていた。人が、笑顔と言われ思いつくような表情。非の打ち所のない、完璧な。少しだけ、怖いと思った。
「お前さん、何を考えている?」
がち、と耳障りな音がして硬くもろいマグカップがみょうじの足元で割れた。中にはなにも入っていないようだった。緩慢な動作で破片を拾いながら、みょうじが口を開く。
「先生は魂の重さを知っていますか?」
「…大昔にあった俗説だ。」
「在ったということは、起源があるのでしょう。…先生は信じてないんですね。」
「…さあな。」
破片を拾うみょうじを見つめていると、彼女は徐に一番大きな破片の先をその首筋、頸動脈に当てた。また笑う。だけれど、それは。
「先生、私の21グラム貰ってください。」
さっくりと簡素に首をきってみょうじがどさりと倒れた。いつもとちがう、雑賀にも見覚えのある圧し殺したような笑顔のまま。雑賀の顔から血の気が失せた。持っていた自分のカップが床にかしゃんと落ちた。腰を少しあげた状態で固まる雑賀を余所に、倒れた筈の、死んだ筈のみょうじがあははははと笑い声をあげた。にこにこと笑ったまま、首からだらだら血を流して立ち上がる。
「ホロです。嘘です!びっくりしました?」
「…」
脱力した雑賀に微笑みかけてホロを消すと、真っ赤だった首は白い肌に、血の色に染まっていた襟はもとに戻った。疲れたように椅子に深く腰掛ける雑賀に近寄って、みょうじが小さく囁いた。
「私はいつも、どうやったら先生にこの21グラムを貰っていただけるのか、それだけを考えてるんですよ。」



死にたがりベティー

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