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ビルの明かりや街灯がイルミネーションの役割を果たす中、奴は通りの中央で空を仰いでいた。淡く降る雪に傘を差す人間は少ないけれど、その雪が降る様を見上げる人間は奴くらいしかいない。少し駆け足であいつに近付く。何となく嫌な予感がした。約束を違える筈ないと信じたいけど、絶対なんて存在しないから。

「やぁなまえ。お迎えかい?」
「いーえ。ケーキ買った帰りに、偶然」
「そこは嘘でも迎えに来たって言って欲しいな」
「迎えに来たよ」
「うん、ありがとう」

厭味をそれと受け取らない槙島は精神が屈強だなぁ。少し羨ましいけど、見習いたくはない。雪景色を背景に微笑みながら立つ槙島はとても綺麗で、男にしておくには非常に勿体ないと思った。その儚い美しさはどこから来るのだろう。このシビュラに支配された世に諦念しているから?達観とか、悟りとか、そういう境地に達したら槙島のような美しさが手に入るのだろうか。じゃあ私には無理だ。子供の頃から大人になった今も、私はシビュラの赴くままに生きてきた。シビュラの言う通りの学校に通い、シビュラの言う通りの職に就いて、シビュラの言う通りの人間に恋をした。その恋をした男が槙島だったというのは、シビュラのただ一つの間違いのようにも思えるけど。

「ホワイトクリスマスなんて何年振りだろ」
「さぁ。あまり気にしたことがないから」
「廃れちゃったしね、クリスマスって行事自体」
「そもそも君が生まれた時にこんな行事があった?」
「なかったけど、母ちゃんと父ちゃんが大好きだったから」
「“いい”お父さんとお母さんだったんだね」
「含みがあるなぁ」

とぼとぼと歩く歩幅は狭い。寒い日は動きが鈍くなる。こんな風に雪が降ってる日は尚更。それに歩調を合わせる槙島は、そういう意味では“いい”奴だ。多分私の母ちゃんと父ちゃんと同じ意味で、でもきっと、ほんの一般的な善意。槙島の奥底にある悪意は、こんなちっぽけな善意とは比べ物にならない。ふと、隣を歩く槙島を見上げる。正面を向いて背筋を伸ばして、いかにも好青年というような表情で歩いている。街灯スキャナーに映ろうと、常にクリアカラーの色相を保つ槙島が引っ掛かる筈もなく。勿論、ただの一般人である私が引っ掛かることもなかった。

「なぁ、槙島さんよ、」
「何?」
「自分の手、汚しましたよね」
「……うん。よく分かったね」

やっぱり、か。紡いだ言葉に後悔する。様々なことが機械化された今だけど、こういう人間の第六感とやらには機械も敵わないだろう。嫌な予感、不吉の前兆、胸のざわめき。家を出る直前に感じた妙な違和感は、確かに現実のものとなった。
槙島と私は、言葉には表せない関係をずっと続けてきた。小さい頃からの幼馴染みと言えば聞こえはいい。けど、家が近いとか、槙島が他の友人より私のことをほんの少し優遇してくれたとか、そういったことしかない。それを幼馴染みと言うのは、何と言うか、憚られる。家が近かったのは偶然。私だけ優遇されたのは都合がいいから。子供にしては無愛想で不干渉だった私を、やたらと容姿のいい槙島が他の人間と自分の隔たりとなるように宛がっただけ。大人になった今もずっと、それを続けてる。私は槙島に恋をした。シビュラ様の仰せのままに。でも本当の私の意志は?槙島は悪い人間だ。合わせてはいけない人間同士を引き合わせる、周旋人という立ち位置にいる。シビュラがもたらした安寧を崩す、人道に悖る存在。きっと、恋をしてはいけない存在。分かってるけど、自分の本意が分からない。……そんな槙島と交わした、たった一つの約束。

「“自分の手で人を殺さないこと”」
「……覚えてはいるんだ」
「守れなかったけど」

昔からの知り合いである槙島。まっさらで美しい槙島。誰もが意識せずとも惹かれる槙島。そんな彼の手が汚れることを想像するのはとても苦痛だった。物理的にも比喩的にも、彼の手は真っ白であって欲しかった。10代の終わり頃に交わした約束だから、その前に彼の手が一度も汚れなかったとはきっと言えない。それでも約束した今は守ってくれるだろうと信じていた。信じて、いたのに。

「ごめんね?」
「謝る気ないなー」
「ごめんって」
「……嘘吐きめ」
「ごめん」

槙島の足が止まる。その前に私の足が止まったから。通りの中央で足踏みするのは他の人間に迷惑だ。況してやこんな寒い日、早く家に帰りたいと望む人は何人もいるのに。頭で常識を考えてはみるけど、寒さに悴み、心と同調して石のようになった足は動いてくれない。

「ほら、行こうなまえ」
「…………」
「そのケーキ、今は廃れたクリスマスを祝う予定で買ってきたものだろう?今日は24日だからイブと言った方が適切だけど。早く帰って一緒に祝おうじゃない」
「……、バカ」
「僕にバカなんて悪態吐けるのはなまえだけだよ」
「…………バーカ」
「悪かった。ごめん。もう二度と――……という約束は、しない。一度違えた約束をもう一度するのは愚か者のすることだから」
「しないじゃなくて出来ないって言ってよ。罪悪感で、同じ約束は出来ないって、言うの」

まぁ、無理だろうね。
最後の一言は言葉にならず真っ白い息となって宙に舞う。罪悪感という言葉が似合わないにもほどがある。そんな男、槙島聖護。バカバカと散々悪態を吐いたけど、自分も充分バカだと思う。何でも出来そうな槙島にだって出来ないことがたくさんあって、それが罪悪感を覚えることとか、人に心から謝ることとか。何でも出来る天才の槙島は、普通の人間に出来ることが出来ないのね。槙島よりずっと頭の悪い私でも、バカ、なんて言えてしまうくらいには。

「なまえ、」
「ねぇ槙島」
「……何だい?」
「あの時とは違う約束、してよ」
「……いいよ。新しい約束なら、僕もきっと守ってみせよう」

10代の終わりなんて、子供だ。今はもうあれから何年も経って、ちゃんと大人と呼べる歳になった。お酒も美味しく飲めるし、仕事の辛さも楽しさも理解してる。槙島の都合に合う行動、発言を繰り返し、槙島と似たような思想を持たされた子供の時とは違うの。今度は私が、槙島を利用してやる番。


「主導権はあたしに頂戴」
(なまえが言うなら仰せの通り)(槙島は笑顔でそんなことを言ったけど、彼は覚えていないのか)(同じ表情、同じ言葉でいつかの約束も返したことを)(何だ、どれほど願っても)(結局全部、破られる)
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