1 | ナノ
 こうしてわたしは狡噛慎也と出会った。


「お前、もうちょっと愛想よくならないか?さっきの奴らだって仲良くしようと思って話しかけてきたのにあんな対応はないだろう」
「ほっといてください。どうせわたしと仲良くなろうなんて考えているやつらは裏に何か隠し持ってます」
「人間誰しもそういうわけじゃないだろ?現に俺とは仲良くなったじゃないか」
「狡噛は勉強教えてくれるから仲良くしてるだけです」
「狡噛さんだろ?」


 学院内の食堂にてわたしの正面に座る狡噛さんはハンバーガーを片手に「この教授はこの文献からよく引用する」とわたしの目の前にある電子端末を空いている手でいじる。わたしはサンドイッチを頬張りながら文章に目を通す。何かと狡噛さんとは授業が重なることがある。会うたびにちょくちょく話しかけてくるもんだから無視するのも面倒くさくなり、いつの間にか仲良くなっていた。今までギノとしかまともに話したことがないわたしにとって狡噛さんの存在には自分でも驚いている。狡噛さんには裏が全くない。嫌味な面がなく爽やかで、何でも率なくこなして弱点がないんじゃないかって思ってしまう。ともあれわたしにとっては初めて出来た友達だった。狡噛さんと一緒にいるとどこか新鮮で、初めてギノ以外の人と一緒にいて楽しいと感じた。ギノが狡噛さんと一緒にいると楽しいと連呼するのも頷ける。けれど仲が良すぎるのはいけ好かない。


「狡噛さんはギノのこと、まさか好きになったりとかしてないですよね?」
「いきなり何言い出すんだ」
「もし狡噛さんがギノのことを好きになったとしたら、狡噛さんがライバルになるっってことじゃないですか……!」
「お前は本当にギノが好きなんだな」


 狡噛さんは呆れた様子でハンバーガーに喰らいついた。そのとき、長引いた講義が終わったのか法学部の生徒たちが食堂に押し寄せる。その中にギノの姿があった。ギノは狡噛さんとわたしの姿を見つめると、少し驚いた様子で近寄ってくる。フードサーバーのドローンに昼食を頼み、椅子に腰を下ろした。

「お前たち、いつの間にそんなに仲よくなったんだ」
「狡噛さんがいちいち鬱陶しいから仲良くなった」
「そうか、なら今月末にある小テストのヤマはお預けだな」
「意地が悪いですね、狡噛さん」
「お前はもう少し素直になることを覚えたほうがいいぞ」


 余裕綽々と言わんばかりにすかしている狡噛さんをわたしはむっとした表情で睨みつけた。ギノはちょうど運ばれてきた昼食に手をつけていた。他愛のないことを話しているとあっという間に昼休みは終わり、わたしたちは食堂を出て、次の授業のある教室へと向かう。狡噛さんとギノに別れを告げて、踵を返して数歩。ギノに呼び止められた。振り向くと狡噛さんの姿はない。先に行ってしまったようだった。


「最近、勉強はどうだ?」
「勉強?うーん、大変だけど狡噛さんがいろいろと教えてくれてるおかげで何とかついていけてるかな?」
「そうか……それなら、よかった」
「ねえ、今度の小テストが終わったらどこかへ行こうよ!久々に!」
「そうだな、久々に出かけるのもいいかもな」
「やった!あっでも御礼を兼ねて狡噛さんも呼んだほうがいいかな?一応小テストを助けてもらう予定だし……」
「そう……だな、確かに呼んでもいいかもしれない」


 ギノは目を斜め下に逸らす。表情が曇ったようにも見えたけれどほんの一瞬だったためわたしの見間違えかもしれない。現に今はとても穏やかな表情をしている。


「それじゃあ、午後の授業頑張れよ」
「うん!じゃあね、ギノ!」


 背を向けて去っていくギノに向かって手を振って別れた。後日、狡噛さんのおかげで小テストは何とかクリアできた。約束したとおり、ギノと狡噛さんとわたしの三人で出かけるはずだったが、突然狡噛さんに用事ができてギノとわたしの二人で出かけることになった。狡噛さんも見たいと言っていた話題の映画を見にいくつもりだったので、久々にギノと二人きりにも関わらず狡噛さんが来ないことを少し残念に思った。別の日にずらそうかと提案しても狡噛さんは「そんなことしたら三人の予定が合う前に映画が終わるだろう」と言うだけだった。というわけでギノと学校が終わったあとに行くことになった。しかしここで緊急事態が発生。最後の講義が予想以上に伸びてしまい、電車で向かうと映画の時間に間に合わなかった。タクシーを使おうとしてもそんなにお金がない。どうしようと頭を抱えていると、学校にいないと思っていた狡噛さんと運よく出会った。訳を説明すると、狡噛さんは「バイクの後ろに乗せてやる」と快く助けてくれた。狡噛さんのバイクの後ろに跨り、ショッピングモールを目指す。狡噛さんがかっ飛ばしてくれたおかげで何とか映画が始まる前には間に合った。狡噛さんにお礼を言って映画館へと早足で目指す。予告を映す大きなホログラムの前に腕時計で時間を気にするギノの姿があったので、わたしは急いで駆け寄った。


「遅れちゃって本当にごめん!」
「いや、講義が長引いたなら仕方がない。タクシーでここまで来たのか?」
「ううん、狡噛さんのバイクに乗せてもらったの」
「そうか」


 ギノはこの前みたく目線をずらした。そのまま目を合わせることなく、背を向けて言った。


「もう開場しているから行くぞ」
「あっ……チケット!」
「心配しなくとももう買った。それとチケット代は俺が払うから気にするな」
「そっか……ありがとうギノ!」


 場内へと行き、ふかふかな椅子に座り映画が始めるまで軽くお喋りをした。久々にギノと二人で話すのはとても楽しくて、嬉しくて心が弾んだ。もしも狡噛さんがいたら二人っきりの幸せを味わうことが出来なかっただろう。これはこれでいいけれど、やっぱり狡噛さんのことが気になった。この映画を見に行くことが決まったとき、あんなにも目を輝かせてこの映画の魅力について語ってくれたのに。わたしはふと思っていたことをぽろりと零してしまった。


「狡噛さんも来ればよかったのに」
「そうだな」
「用事かー……でも狡噛さんが来ないと映画の話出来なくなっちゃうじゃん。あのね、この映画の原作について何だけど、知ってる?」
「……いや、知らないな」
「この前教えてくれたんだけどね」
「狡噛がか?」
「うん、それでね、この映画の魅力がね」
「もうそろそろ始まるから静かにしろ」
「あっごめん」


 場内が暗くなってきて、ホログラムが現れ、予告が流れ始め、数分後本編が開始した。映画は狡噛さんの言うとおり面白かった。原作の知識やその他オマージュについて事前にいろいろと教えてもらっていたおかげか、狡噛さんの言うこの映画の"渋さ"がよく味わえた。心を揺さぶるラストが思わずわたしの涙腺を刺激し、終わったあとも余韻が心に残っていたわたしは思わず頬が緩んだ。


「おもしろかったねー、久々に当たりの映画だったよ」
「俺は普通だったな」
「ギノは中々手厳しいねー……」
「まあ、原作を読んでみる価値はあるかもな。このあと、どうする?」
「お腹が減ったからご飯食べたい!」
「わかった、行こう」


 ギノはこのときやっと優しそうに目を細めた。ギノも楽しんでくれていると目でわかって、わたしはどこかほっとした。映画館を離れ、巷でオススメされているレストランで夕食を取った。お金はギノが出してくれて、ご褒美でもないのに何だか申し訳なく思ったがギノは「男が奢るものだ」と一点張りだった。夕食後、ギノは車でわたしをマンションまで送るといった。助手席に乗って、窓から外を眺める。大きな橋の上を走っており、ネオンライトの集合体とホログラムの喧騒が映画のワンシーンのように思える。エンジンに揺られ、ぼんやりとしているとギノが話しかけてきた。


「今日は楽しかったか?」
「うん、久々だったね。こうして二人でどこかにいくの」
「そうだな、最近は狡噛と一緒にいることが多かったからな」
「ねえ、ギノって狡噛さんのこと好き?あの、これは恋愛として」
「なっ何をいきなり言い出すんだ!」


 ギノは目を見開いて一瞬、こちらへと顔を向けた。わたしは予想以上の反応に少し驚く。


「いや、その、だってギノ狡噛さんのことばっかり話すから、てっきり好きなんじゃないかって」
「狡噛は友達としては好きだ。だがそれ以上の感情はない」
「そうなの?よかったー」

 わたしはほっと胸を撫で下ろす。これで狡噛さんのことを好きだとか言われた日には色相がクリアカラーから一気に濁っていただろう。ギノは車を自動走行へと切り替える。


「お前は……狡噛のことをどう思ってる?」
「別に……ギノと同じように友達というか……でも初めてできた友達だか新鮮というか、とにかくすごく楽しいよ」
「そうか」

 ギノは正面を向く。瞳の色ががらりと変わった。氷壁のように冷たい色だった。

 
「なら俺なんかじゃなくて狡噛と一緒にいればいいだろう?」


 わたしは突きつけられた冷淡な言葉に一瞬身体が固まる。ギノはそんなわたしに目もくれず言った。


「大体、今日の映画だって本当は……変な気を使いやがって……どいつもこいつも……!」
「あの、えっと、確かに狡噛さんとの三人もいいけど、わたしはギノと二人でいるのも好きだよ」
「狡噛と二人のほうが楽しいに決まってるだろ。あいつは俺よりも話術が巧みで、すぐに人気者になれるタイプだ」
「だから狡噛さんといるときとギノといるときの楽しさは違うんだって!」
「なら俺といるときはどんな楽しさだって言うんだ?」
「それは」


 胸がきゅんとする楽しさ、ギノのことが好きだから。そう言えたらよかったのに、ギノと面と向かうと気恥ずかしさに喉元で言葉が詰まった。心の準備など到底できていない。今まで何回も好きだというアピールをしたり、雰囲気に出してみたりしたけれどはっきりと好意を告げたことはなかった。いや、告げようとしたことはあった。自分が中等学校を卒業した記念のデートの帰り道に意を決して告白しようとした。けれど、その直前でギノが「妹がいたらきっとこんな風なんだろうな」とばっさりと切り捨て、私の告白はお蔵入りとなってしまった。口を開閉してまごつき、しばし沈黙が流れる。ギノは小さく溜息をつき、伊達眼鏡をはずして目頭を指で押さえる。


「すまない、少し言い過ぎた」
「ううん……大丈夫。もしかしたら少し疲れてるのかもね……」
「帰ったら、ストレスケアでもするか」


 車は流れに乗って走り続ける。車内に気まずい空気が流れ、お互い口を紡いだまま移ろいでゆく景色を見つめる。一分一秒が非常に重たく感じたまま、わたしのマンションへとついた。助手席から降りる直前、わたしは咄嗟に口を開いた。


「あの、ギノ」


 迷って、有耶無耶になるくらいならもう好きだとはっきり言ってしまおうと思った。わたしが狡噛さんのことを好きだと勘違いされているように感じて、悲しみと苛立ちが胸の中をぐるぐると駆け巡る。今までどんな想いで隣にいたと思ってるんだこの鈍感野朗!と罵ってしまいたくなる衝動を抑え、気持ちを心の中で整理する。沈黙の中でシュミレーションは十分重ねた。噛まずにいえる自信はある。踏ん切りをつけて、ギノの瞳を見つめる。


「わたし、ギノのことが!」
「今はそういう話はなしにしよう」


 ギノの顔から拒絶の色を感じた。聞く気がない、いや聞いたとしても答える気がないようだった。告白する前からフラれたみたいだ。正直、少しだけ自信はあった。なのに。張り詰めていた糸が切れる。硝子細工の心が音とともに崩れ落ちる。しばらくショックのあまり声を出せなかったが、振り絞る。今、涙腺をつつかれたらどっと涙が溢れ出しそうだった。

「どうして……?」
「こっちにもいろいろあるんだ」


 ギノはこっちを見ようとしない。わたしの顔を見て、わたしの話を聞いて。目で訴えかけてもギノは一向に応えようとしない。今までこんなに壁を隔たれたことは初めてだった。想像していた以上に心に堪える衝撃だ。独りにしないで欲しい。寂しいと泣きついてしまいたくなったが、触れるどころか手を伸ばすことさえできない。いよいよ涙が零れそうになったが、ギノの目の前で泣くことはしたくなかった。妙なプライドがわたしを刺激し、雫が垂れる前に急いで車を降りて、駆け足でマンションの入り口を目指した。背を向けたことに安心したのか、顔が涙でくしゃくしゃになった。背後で車のエンジン音が聞こえ、去っていくのを耳で感じると、わたしは本格的に咽び泣いた。


▼△▼△


 正直に言うと俺はあいつのことが好きだった。小中学校の頃は漠然と、日東学院に入学してからははっきりと気持ちを自覚した。狡噛とあいつが知らないうちに仲良くなって、俺にしか見せなかった笑顔を狡噛の前でし始めた頃から居心地の悪さを感じた。あいつが俺のことを置いて、どんどん先へ行ってしまうような気がして。しかし付き合えといわれても躊躇をしてしまう。交際をすれば、他愛のないことで喧嘩をしたり、馬鹿げた嫉妬を抱いたりとプラスに作用することばかりではない。だから失わず、得ることのない、いつまでも友達以上恋人未満とも言える関係のまま隣に居てほしかった。俺もあいつもお互いに依存していたに違いない。もしかしたら俺たちの関係の本質は潜在犯の親族を持ち、虐げられ、孤独を味わった者同士が傷を舐めあうだけのものだったかもしれない。

 俺はこっそりと狡噛とあいつの相性をシビュラに診断してもらったことがある。結果は予想通り、俺とあいつの結果よりも良い判定を出した。シビュラは俺ではなく、狡噛を祝福した。はっきりと諦めるべきだと理解していたが、俺だけの笑顔や言葉が二桁の数字のせいで狡噛に独占されることは悔しかった。狡噛は何事もそつなくこなし、かといって器用貧乏ではない。こいつはすごいと胸を張って誇れる友人だが、俺にだってプライドがある。負けたくないものはある。あいつのことに関しては一歩先んじていたかった。けれど俺の我侭は幸福な未来をぶち壊す要因だとシビュラは言った。

 映画を見に行くと決まったとき、狡噛は急遽約束をキャンセルした。その理由は大体予想がつく。悔しいほどに狡噛は何事も勘が冴えている。


「あいつはお前に一緒に来て欲しいと言ってる……もしもお前が行かないなら、俺も行かないぞ」
「そうなったら、悲しむだろうな」
「だからお前が行けばいい」
「おいギノ。何を考えてるか知らないが、少なからずあいつはお前のほうが好きだよ」
「好きでも、それが幸せに繋がるとは限らないだろ」


 思わず口から出てしまった本音に狡噛は一瞬目を見開いたが、すぐに細めた。

「シビュラの相性診断は絶対じゃない。参考程度にしとけよ」


 狡噛はそう言ったが、あいつはいかにシビュラが絶対だかをわかってはいないから安易に言えたんだ。シビュラは全てを見通していた。俺とあいつの関係はお互いに執着するだけのもの、しかし狡噛との関係は新たな絆を構築するものと。大切なものを奪われた気がして、切なくなった。けれどこれがお互いのためだと自分に言い聞かせ、ストレスケアとともに何もかも心の底に押し込め、固く封をした。

 車から降りたあいつの後姿をしばらく見つめる。今にも泣きそうな顔をしていたから、きっとロビー辺りで耐え切れなくなって泣くだろう。俺だって泣きたい気分だった。けれどこの悲しみはいつか幸せになるための糧となる。シビュラは絶対だ。疑うことなく、信じていれば幸福と繁栄をもたらしてくれる神のような存在だ。いつまでもあいつが去っていった方を見ていると、どんどん陰鬱な気持ちになっていくので俺は意を決して車を走らせる。脳裏に狡噛とあいつが微笑みあっている光景が浮かんだ。俺は苦虫を潰したような表情をしたが、悔やんでいけない。もう俺は大人なんだ。
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