1 | ナノ
 8歳の頃に父親が潜在犯の認定を受け、親族や周囲の人たちからの辛辣な言葉に精神をやられた母親は隔離病棟へと収容された。こうして一人ぼっちになったわたしはシビュラシステムをに支えられながら生きることになった。料理洗濯掃除など家事全般は全てドローンの補助で簡単にこなせるし、福祉のおかげで住居やお金に困ることはない。ただ一つ問題があるとしたら、わたしに向けられる視線や言葉が苛辣なこと。半世紀前によくいた"近所のおばちゃん"のような世話焼きな人はどこにもいないし、小学校へ行くと病原菌みたいな扱いを受けて、何か話したり、歩いているだけでも気持ち悪がられた。自分は潜在犯じゃないのにどうしてこんなにも虐げられなきゃいけないと世間の理不尽さに反感を覚え、そのはけ口として父親を憎んだ。しかし面会で会う度にどんどん老けていき、ごめんよと泣きそうになりながら謝ってくる父親を見ていると攻める気が失せ、やり場のない怒りが深々とわたしの心の中に積もっていった。


 わたしは学校に物を置かない。置いたとしてもわたしの知らないうちにそれが虐めの対象となってボロボロにさせるだけだからだ。ついでにわたしは学校が大嫌いだったので、よくマンションの近くにある公園で時間を潰していた。学校はどうしたのと話しかけてくる人は勿論いない。カタツムリの殻のようにリュックや荷物を肩身はなさず身につけ、公園の砂場で山を作っては崩すというつまらない遊びをする。わたしは寂しかった。その寂しさをシビュラが癒してくれる。けれどそれでもわたしの寂しさは消えなかった。人の温かさを絶えず求め、裏切られて、後悔して一人でいる、けれど寂しくて、砂遊びをしながら涙で頬を濡らした。誰でもいいから、傍に居て欲しい。優しく包んでくれる誰かが欲しくて仕方がなかった。そんなわたしの目の前に現れたのが彼だった。ギノとわたしは呼んでいる。あの運命の出会いは今でも鮮明に覚えている。晴天、公園にていつもと変わらず一人で遊んでいたわたしの目の前に犬を連れて現れた少年。その瞳の色は鏡越しにみるわたしの瞳とそっくりで直感で、この人はわたしと同じだと思った。わたしはギノと出会い、以前のように寂しいと強く感じることはなかった。彼がわたしの孤独を癒してくれた。

▼△▼△


「あのねギノ、今回の考査、実は……なんと!五位!」
「残念だな、俺は一位だ」
「また?!何回やってもギノに勝てない……色相濁しそうになりながら勉強頑張ったのに……!」
「五位なんて中途半端だろう。目指すなら一位を狙え」


 ギノは五位でも褒めてはくれない。自分がいつも一位をとっているせいか、一位以外に価値はないと思っているらしい。そこらへんがギノらしいといえばギノらしいけれど、元々凡才なわたしは死ぬ気で勉強を頑張っても一位にはなれない。わたしの努力は褒めてはくれないくせに愛犬のことは褒めまくる。ただいまギノの愛犬の散歩中であり、愛犬が信号待ちのときにお座りをして待っているとギノはすごく嬉しそうな顔をして頭を撫でる。不満気にそれを睨みつけているとギノが呆れた表情で言って来た。


「そんな険しい顔をしてどうした」
「……犬のことは褒めるのに、わたしのことは褒めてくれないの?」
「五位は褒めるものなのか?」
「褒めてほしい!」

 駄々をこねるとギノはいつも「しょうがないな」と呟いてアイスを買ってくれる。ギノはわたしと同じように虐められた経験があるので、人に対して警戒心があるし、素直になれないところがある。だからこうしてわたしのためにアイスを買ってくれるのは、どこかでわたしに気を許してくれている証拠で隣でアイスを頬張ることもできるのはきっとわたしだけだと思っている。その喜びを噛み締めながらアイスを食べているわたしを見て、ギノは僅かながら目を細める。その瞳を見ると胸がキュンとして、ギノのことがもっと好きになって、わたしの顔は綻ぶ。


「ギノはいつも一位ですごいね」
「それ相応の努力をしているからな」
「努力家なんだね!」

 そう言うとギノは目線をはずして「別に大したことじゃない」って犬の頭を撫でる。本人はすまし顔のつもりだけれど、撫でながらちょっと嬉しそうな表情をするのをわたしは盗み見る。ギノの一つひとつの表情にときめいたり、落ち込んだりすることが楽しくて、もっと彼を独占したくなる。わたし以上に仲の良い人を作ってほしくないし、隣にいる権利も渡したくない。わたしにはギノしかいないから、他に代わりがいくらでもいるような人にのうのうとこのポジションを譲るつもりはない。時々嫉妬が行き過ぎて色相が濁ったりもする。ギノに色相の濁りを心配されるのも心地よくて、定期的に色相を濁したくなる衝動に駆られる。シビュラシステムのストレスケアがなかったら、わたしの色相は嵐のようにけたたましく色を変えるだろう。

▼△▼△

 ギノが中等学校を卒業し、日東学院へと入学した。私は年下なのでまだ中等学校に居座らなければいけない。非常に苦痛だった。それに加えて今世紀最大の出来事が起こった。学校が別々になってもわたしとギノは定期的に会っていたが、そのたびに彼はコウガミという人のことを楽しげに話す。彼の口からコウガミという言葉が出てくるたびにとても苛々が募って、嫉妬心がめらめらと滾るのを感じた。


「そのコウガミって人のこと、すごく気に入ってるんだね」
「どうしてか、あいつと一緒にいると楽しいんだ」
「楽しいかー、良かったね」


 わたしは血がでるんじゃないかってぐらい唇を噛んで、無理やり笑みを浮かべる。むかつく、非常にむかついた。部屋にある物を無性に投げ壊したくなった。ストレスケアをしても、コウガミという言葉がまるで黒カビのように脳にこびりついて離れない。むかつく、むかつく!今までギノが嬉しそうな顔をするのは愛犬かわたしの前かどちらかだったのに、コウガミの出現でその鉄則が崩れてしまった。これは非常に危険だ。わたしとギノの相性はけっこう良好。でももしコウガミという人物がギノと相性を診断してわたしよりも上の数値を出したときのことを考えると、血の気がさっと引くのを感じた。女でも男でもどっちでも危ない。シュビラが男でもOKと判定を出せば、ギノはきっと付き合ってしまうだろう。コウガミとギノの二人がこれ以上仲良くなることを防ぐためにわたしはストレスケアのサプリメントを片手に猛勉強し、考査で日東学院の判定を見事得た。



 ギノを追いかけて日東学院の法学部に入学しようとしたけれど判定によって社会心理学部になってしまったことは悔やむことだが、無事に入学できたことにとても満足していた。ギノは入学祝いにアイスではなく、食事へと連れて行ってくれた。本当に嬉しかったけれどコウガミの単語が出るたびに不機嫌のメーターが上がっていった。入学して最初の任務はギノの言うコウガミを探すことだ。幸いにもわたしと同じ社会心理学学部らしいが、学年が違うためかなかなかコウガミを見つけられなかった。わたしは学院内のベンチに座り、パンを片手に授業の参考書を読む。コウガミを見つけることも大切だが、学院内で成績を落としてギノに失望されることは避けたかった。入学しても昔の経験から人一倍警戒心のあるわたしは誰とも友達になろうとはしなかったし、それで構わなかった。わたしにはギノがいればいい。ギノ以外いらない。しかしこうして一人でいると害虫如くわたしを蔑む人たちが現れる。リーダー格と思わしき男が群れを成してわたしの前に立つ。


「潜在犯の娘ってやっぱりこうして色相が濁るもんなんだな」


 スキャナを目の前に突き出してくる。色はコバルトグリーン。中途半端な色合いだ。コウガミに対する嫉妬心でこんな色になったと理解しているし、わたしにとってはサプリメントを摂取すれば次の日ぐらいには大丈夫だろうと大して気にならない色だった。けれどこいつらにとってはちょっとした濁りでも揚げ足を取る重要な材料になるらしい。


「やっぱり潜在犯って遺伝するもんなのか?」


 煽ってくるやつらを一度睥睨し、目線をすぐに本へと戻してパンを食べ続ける。こういう奴らには何を言われても人形のように無関心でいるのが一番効果的だった。どんなに罵倒してもうんともすんとも言わないのにイラついたのか、怒鳴ってきた。


「いい加減すましてないで何とか言えよ!」


 声と共に肩を力任せに掴まれ、思わず本を落としてしまった。予想以上の力の強さに顔を顰め、やっと表情が変わったことに肩をつかんできた男がにんまりとし、ふと視線をわたしの背後にはずした瞬間、顔色を青くして蜘蛛の子をちらすかのように逃げ出していった。何事かと思い、背後へと振り返るとそこには黒髪の短髪の男がいた。背はギノと同じぐらいで高かった。その男は穏やかな表情をして話しかけてきた。


「大丈夫か?……ったくあいつらも将懲りないな、前に他のやつにも絡んだことがあってな、まあ、そのなんだ。気にするな」
「別によくあることだから……気にしてはいないです」


 わたしは落ちてしまった本を拾い、また一人の世界に没頭する。見知らぬ人と話すことは苦手だった。けれどその男はそんなわたしの様子なんてお構いなしに話し続ける。


「お前、よくこのベンチにいるな。そんなに一人でいるのが好きなのか?」
「……別に。助けてくれてありがとうございました」


 話すことが面倒くさくなったわたしはそう吐き捨て、ベンチから立ち上がる。男は気さくに言ってきた。


「邪魔して悪かったな」


 去る前に改めて男の姿を頭の天辺からつま先まで見る。どこかで見たことがあった。もしかしたら社会心理学部の人かもしれない。けれど男なんて沢山いるのでいちいち見分けがつくはずがなく、今日限りの出会いだと背中を向けたとき、声が聞こえてくる。


「見つけたぞ、コウガミ!」


 よく聞きなれた人物の声が聞こえてきて、咄嗟に振り向く。そこにはギノがいた。ギノはわたしがいることに驚いた顔をしていた。それよりもギノが発したコウガミという言葉、ついさっき私を面倒くさい輩から助けてくれた人物がずっと探していたコウガミだったのだ。衝撃のあまり滅多に出すことないほど大きな声で思わず叫んでしまった。


「コウガミ!?」
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -