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※監視官狡噛



その日は一日中雨だった。だけど私は今日は晴れるでしょうと言ってた天気予報に安心しきって傘を職場に持って行かなかったのだ。 回りを見渡しても同僚たちはみんな直帰で一人もいなかった。帰りは土砂降りの雨に濡れる始末だ。
ようやく見つけた屋根のある場所に辿り着いた。少し雨宿りしよう。そう決意して上着を脱いで絞る。肌を伝う冷たい感覚に少しだけ身震いした。濡れていて気持ち悪い。髪は顔に張り付いてるしシャツは体に張り付くし。
さいあく、と思わず零れた愚痴は雨の音にかき消された。



「なまえ?」

「?」


「…覚えているか?」

「………慎也、くん?」


そこにいたのは、学生時代の同級生で、一時期恋人でもあった慎也くんだった。久しぶり、と苦笑して手を上げると、慎也くんは眉間にしわを寄せてこちらを一瞥して、いい歳した大人がずぶ濡れで何してんだよ、と呆れ顔で自分の傘を閉じた。


「エリートの監視官様がこんなとこでどうしたのよ」

「……いたら悪いか」

「別にそういうわけでもないんだけどね」


慎也くんは昔から頭がよかった。成績優秀で、公安局にもA判定で難なく入れたらしいと同級生から聞いていた。卒業するまではずっと恋人だったのに、社会人となってお互い忙しくなってしまい、ついには会わなくなってしまった。いわゆる自然消滅である。初めは涙に明け暮れる日々が続くほど寂しかったのに、今は本人を前にしていても平然としていられる。それは慎也くんも同じようだった。私たちは昔の恋を懐かしんだり悲しんだりすることも出来ないくらいに大人になりすぎていた。

「しかしまあ、雨が止みそうにもないし、これでも束って拭いとけ」


慎也くんはそう言うとどこからか取り出したタオルを頭に被せて髪に張り付いた水分を拭ってくれた。けれど拭ききれてない前髪から雨水が垂れる。冷たい水が頬を伝う感覚に顔をしかめる。上からの視線に気付いて、少しだけそちらを向く。



「……なに?」

「なんかまるで、泣いてるみたいだな」



こちらを見つめてそう言う慎也の表情からは何も読み取れなかった。
顔に添えられた慎也くんの手に自分の両手を重ねて笑いかけてみたら、目許に留まっていた雨水がまた頬を伝う。

本当、泣いてるみたい。
そう苦笑したけど、慎也くんの表情は眉一つ動かない。代わりに顔にあった慎也くんの手が私の顔を沿って下り、ゆっくり離れていく。暖かな体温が輪郭を滑り落ちる感触がひどく擽ったかった。


「、しんやくん?」

「………」

「どうし、ッ!?」



言葉が全て紡がれる前に、手首を勢いよく引かれた。いきなりな行動に驚く暇もなく、気付いたら慎也くんの胸元に引き寄せられていた。
どうしたの、と先程と同じ質問をしようとして口を閉じる。慎也くんが腕に込めた力を先程よりもさらに強めたからだ。言葉の代わりに視線で困惑を伝えてみたけど、慎也くんはこちらから見えないように俯いていて様子を窺うことも出来ない。

困ったなあ、と声を洩らした。こういう時の慎也くんは理由もなく寂しいときだったっけなと思い出しながら慎也くんの背中をゆるりと撫でる。
いつもはぶすっとして、大人っぽい癖に。今はまるで子供みたいだなあと慎也くんに気付かれないように笑った。



「慎也くん」

「…………」

「しんや」

「…………」

「こっち向きなって」




何度呼びかけても、駄々をこねるみたいに微動だにしない。こういうところも昔から変わらない。

そして、そこが昔からたまらなく愛おしいのだ。


仕方ない。そう思いながらも、慎也くんの顔を無理矢理こちらに向かせる。そして啄むかのように、何度も唇に触れる。何度も何度も、それこそまるで幼子のように。
唇を離して見上げれば、慎也くんが少しだけ目を見開いている。



「……随分可愛いらしいことをするじゃないか」

「まあ…いい歳した大人がする事でもないけれど、ね」



そう言って笑えば、慎也くんは喉を鳴らして「違いないな」と珍しく笑った。私は私で笑いを押し殺して慎也くんの頬に手を添える。お互いの瞳同士がかち合って、自然とお互いの顔が近付く。

唇の柔らかな熱が離れたとき、私の目の前にいたのは昔の無垢な子供の皮を剥ぎとった一人の大人の男だった。
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