「よし、行くあんに!!」


ガタンと隣で大きく音が響いた。授業中独自の静寂にやけに不釣り合いのそれが、隣席である甲斐裕次郎が何かの勢いのあまりイスを後ろにひっくり返した音なのだと認識した時、


『ぇ…?』


私の右手を無造作に掴んだ甲斐は徐に席から起立させ、思考の働かない私をグイッと引っ張っては教室の外までダッシュした。教室を出る際に捕らえたあまりにも突然すぎる逃走劇に呆気にとられた担当教諭のポカンとした顔は、未だかつてないほどの間抜け面であったことは心優しい私の胸の奥に仕舞っておくことにする。


何が何だか分からない私は、兎にも角にもこの目の前の男の全力疾走に着いていかなければ確実に負傷することが目に見える。そのこと一心にただただ必死に足を動かした。


『ちょ、っ、か…、甲、斐!』


息も切れ切れに叫んでも前の男に届かない。ただズイズイと颯爽と坂道を下っては、燦々と照りつける太陽に身を晒しながらひたすらに前のみ見て走る。繋がれた右手は意志を持てずに甲斐の思うがままに引っ張られ、それに伴い私の身体は否が応でもついて行かざるおえない。何がしたいのか掴むことも出来ず、足を動かす私。

一応私の存在は頭の片隅にあるようで、セーブしながら走ってくれているのは分かっているものの、方や運動部の副部長で方やお気楽な帰宅部。基礎的な性差すら考えれば、時間が増せば増すほどこれが私にとっての苦行にしかならないことは最早考えることすら今更だった。


それから更に5分は走らされた私は足を動かすことすら困難な状態に強いられ、そんな私の状態を感じ取ったのかようやく前の男は顔を私の方へと向けた。


『…は…っ……はぁっ…』


こんの馬鹿、何考えてるんだ!心の中では多大なる悪態を付いているにも関わらず一向に言葉にならず、息も切れ切れに整えるばかり。今まで足りてなかった酸素をここぞとばかりに補おうと、肺の奥の奥まで空気が行き渡る感覚がなんとも気持ちが悪い。視線を斜め上へと持ち上げれば、どうしてといった具合にポカンと私を見つめている甲斐の姿。そんな甲斐の顔を見ると無性に腹立たしさを感じた。


『アンタな…「見ちみ、やまだ」


息がようやく整い今度こそ心の赴くままに文句を言い放とうと思った所、私の言葉に被さりながら甲斐が私を促し左手で前を指す。何かと思い甲斐から視界をズラせば、水面にオレンジの夕景がキラキラと光る一枚のパノラマ写真のような景観が視界一面を覆う。


『うっわぁ〜…!』


思わず言葉を失う程あまりに幻想的な景色。先ほどまで感じていた憤りも、心臓が破れるほどの疲れも全てが吹き飛ぶほどのモノに素直に感動を覚えた。


「ちゅらさん?」

『うん!』

「最近ぬわんぬお気に入り。疲れも吹っ飛ぶだろ?」

『本当に!綺麗過ぎてビックリした…!』

「今日は絶対ちゅらさんやと思ったんばぁよ」


“やまだに見せたかったから良かった。”そう言い放つ甲斐の笑顔にクラクラしたのは、海面に反射する夕日の照り返しだと、一気に熱を感じる頬を両手で覆いながらそっと自分に言い聞かせる。

明日二人して説教は免れないものの、今はこの景色を心行くまで堪能しよう、そう心に決めた私は制服のポケットから唯一の手荷物であった携帯を取り出し、この瞬間を切り取るべくシャッターを切った。


授業→逃走劇
(今日のこの時がいつかの思い出に変わる)

20131010

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