夏休み 3


「では、よろしくお願いします」
 最後にアイツがそう締めくくって立ち上がる。去り際、アイツの右手が撫でるように俺の髪に触れたのは、故意なのか偶然なのか。
 もちろん、問いただすことなどできはしないのだけれど。
 じりじりとしたものを胸に抱えたまま、保健室から出て行くアイツの背中を目で追う。すると、アイツと入れ替わるように再び扉が開いて、廊下から一人の先生が顔を覗かせた。
「あら、丸山先生」
「ああ、宮野先生。ええと……」
 養護教諭の呼びかけに答えながらぐるりと部屋を見渡していたその先生の視線が、俺で止まる。
「おお、十河、よかった、気がついたか。気分はどうだ?」
「あ……、大丈夫、です……」
 あたりまえのようにアイツが横にいたからすっかり忘れていたけれど、そういえば、さっきの授業の監督官はこの先生だった。
 ――あれ? じゃあなんでアイツがここにいたんだろう?
 俺がその疑問を口にしたわけじゃないのに、丸山先生は俺に向かって勝手に喋り始めた。
「いやー、お前、イスから落ちるし呼んでも返事しないし、こりゃまずいと思って宮野先生を呼びに来る途中で小宮先生に会ってな、事情を話したら、お前を抱えてここまで運んでくれたんだよ。いやー、本当、助かった」
「定年間近な丸山先生と違って小宮先生若いから」
 養護教諭がからかうように言うのを笑いながら受け流して、丸山先生が俺が寝ているベッドの横に鞄を置いた。
「一応、荷物をまとめて持ってきたから」
「……ありがとう、ございます」
「小宮先生にも、あとでよく、お礼を言っておくんだぞ」
「……はい」
 養護教諭と二、三言話してから、丸山先生が保健室を出て行く。
 静かになった部屋で、もう少し体を休めようと目を閉じる。思い浮かべるのはアイツのことばかりだった。





 来客用に用意されている、さほどスペースのない駐車場の一番端に停まっていたのは、前に一度乗ったことのあるシルバーのコンパクトカーだった。
「……つか、車、通勤には使わないんじゃなかったのかよ」
 送ってもらう立場だというのに真っ先にそんな言葉が口をついて出るあたり、我ながら本当に可愛げがないと思う。
 だけどアイツは別段気にした風でもなく、「夏休みだからね」と軽く流して俺に助手席に座るよう促した。
「もしまだ具合悪いようなら、後ろで寝ててもいいけど」
「……いや、いい」
 つうか、高校生の男が横になるには、狭すぎるだろう。
 もしかしてアイツの中では、今の俺よりも、小さい頃の俺のイメージのほうが強いんだろうか。例えば、車の後部座席で眠っている姿とか。
 俺もう六歳じゃないんだし。身長だってぐっと伸びて、体格もあの頃とはまるで違っているというのに。


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