距離 3 父親と兄に会えない日々が続き、不安になった俺はとうとう母親に尋ねた。「いつ帰ってくるのか」――と。 六歳の子供の言った言葉に、言葉以上の意味はない。なのに母親は何をどう解釈したのか瞬く間に顔を怒らせはっきりと言い放ったのだ。「純平には二度と会わせない」――と。 あんなに一緒に遊んでくれたのに、もう二度と会えない。 その事実は、まだ幼く狭い世界で生きていた俺を強烈に打ちのめした。 隠すことも、ごまかすこともしなかった母親は、規定どおり父親とは会わせてくれた。そして兄とは、言葉どおり二度と会わせてくれなかった。 なぜ? どうして――? そんな疑問から、両親を恨んだこともあった。 それでも、胸の中をやるせなさと悲しみが支配しても、兄を恨む気持ちは生まれてこなかった。 思い出の中の兄は、いつだって優しいばかりで。いつも、いつでも、他の誰よりも俺のことを――。 「もっと……もっとちゃんと勉強するから……あんたの授業を受けられないなんて嫌だ……!」 言いながら、まるで駄々っ子みたいだと頭の片隅で思う。 きっとアイツもそう思ったのだろう。またひとつ、溜め息を落として咎めるように俺を呼んだ。 「十河」 「…………はい」 「何度も言いたくはないが、今のままじゃ本当に」 「わかってる! 頑張る! 頑張るから……!」 困ったように深く息を吐いたアイツがしばらく逡巡した後、口を開いた。 「――わかった。そのかわり、本当に『頑張る』こと。まずは補習と追試。それから――」 接点をひとつでも多く。そう思うからこそ、俺は必死だった。 アイツが挙げる事柄にひとつひとつ無言で頷き返す。授業は真面目に聞く。授業中はきちんとノートを取る。その日のうちに復習を必ずする。 そこまで言い終えたアイツが、机の引き出しから一冊のノートを取り出す。あの、俺だけの、特別課題。 「――これも、忘れずに――な?」 接点は、ひとつでも多い方が――。 「……わかりました」 素直にそう答えて、アイツの手からノートを受け取る。アイツは満足そうに微笑んだ後、ぱん、と両手を打ち合わせた。 「さ、教師の時間はこれでおしまい。――勇翔」 呼び方が変わった。それだけで、俺の心臓がひとつ跳ねた。 「な、なんだよ」 動揺が、声にも表れる。だけどアイツはそんなこと気にした風でもなく、軽い感じで夏休みの予定を尋ねてくる。 「夏休み、どこか出かける予定は?」 「追試が終わんなきゃ、予定なんて立てらんねーよ」 「それもそうか。まあ、頑張れよ」 アイツの励ましを背に、社会科準備室を後にする。 教師の時間とか、兄弟の時間とか。 区分けできるってことは、それだけアイツが俺よりも大人だってことなんだろう。 たとえ「勇翔」と呼ばれても、アイツとの間にはまだまだ距離があるようで、なんだか切なかった。 距離・END [戻る] |