距離 2


 俺の心を知ってか知らずか、担任が慰めるように俺の肩をぽん、と叩く。
 まったく慰めにならないその仕草を受け流して、俺は喉の奥からなんとか言葉を搾り出した。
「……あとで、いきます……」
 今度ばかりは、さすがに応じないわけにはいかない。わかっていても、社会科準備室へと向かう足取りは重かった。





 ノックをして、「失礼します」と声を掛けながら引き戸を開ける。中にいたのはアイツ一人だった。
 他の教師がいないことにほっとしていると、アイツがちら、と目だけで俺を見、短く言った。
「十河か」
 ずいぶんと久しぶりに聞くような、その音。
 ほんの何日か前は、あんなにたくさん「勇翔」と呼んでもらえたのに。
 授業中でもないのに俺を名字で呼ぶアイツに、勝手だとわかっていながら、それでも俺の胸は小さく痛む。
「まあ、そこへ座りなさい」
「……はい」
 後ろ手に戸を閉めて、指示されたとおりアイツの向かいにある空席に腰を降ろす。いい話じゃないのはわかっているから気が重い。
 そういう気持ちがおそらく態度にも表れていたんだろう。俺の姿を見てアイツがひとつ溜め息を落とした。
 俺とアイツしかいない、静かな部屋。それに気づかない距離でもないし、俺の心は余計に重くなる。
「伊藤先生から、話は聞いたと思うけど」
「……はい」
 顔を上げてアイツを見る勇気もなく、俯いたままで受け答えをする。
「補習の日程については、プリントをよく確認して、欠席することなく来るように」
「……はい」
「補習以外の時間でも、部活動もあって学校は毎日開放しているし、俺はもちろん、他にも誰かしら教師がいるようにはなっているから、質問等あればいつでも聞きにきて」
「……はい」
「追試で基準に達しなければ、再追試もありうるから」
「…………はい」
 そこまでよどみなく説明した後、アイツが不意に押し黙った。
 狭い部屋に嫌な沈黙が流れる。
 居心地の悪さに気持ち肩を竦ませて堪えていると、先程と同じように、アイツが溜め息を落とした。
「なあ、十河」
「……はい」
 そこでまた、僅かな沈黙が降りる。
 アイツは言葉を選ぶように逡巡した後、重々しく口を開いた。
「このままの成績じゃ進学に響く。今からでも遅くない。地理か日本史に……」
「そ……それは嫌だ!」
 俺は、反射的に叫んでしまっていた。
 アイツが驚いたように目を見開いて、まじまじと俺を見つめる。
 優しくて頼もしくて、大好きな兄だった。理想の兄だった。自慢の兄だった。
 かなり年が離れていたからか、ケンカらしいケンカもしたことはなかった。
 それがある日突然、父親と一緒に出て行ったかと思うと、それっきり二度と帰ってこなかった。
 当時まだ幼稚園に通っていた俺には、両親が離婚したという事実を本当の意味で理解できてはいなかった。


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