距離 1


 大人って、やっぱり大人なんだな。
 教壇に立つアイツを眺めながら、漠然と考える。
 あの日以来、俺は社会化準備室へ行くのをやめた。
 ノートもやめた。
 アイツからは、二、三度呼び出しされたけど、無視していたらそれもなくなった。
 言うつもりのなかったことを口走ってしまった気まずい思いと、会いたい気持ちとを天秤に掛けて、それでもやっぱり会いたい気持ちのほうが勝っていたから、逃げ出したくなる気持ちをなんとか抑えて授業にだけは毎回出ていた。
 アイツは俺の姿を見ても何事もなかったかのように、涼しい顔で教鞭をとっている。
 教室全体を見渡す時の真剣な顔。教科書を読む良く通る声。板書の字。
 目線を合わせないように注意しながら、意識では、ひたすらアイツの姿を追いかける。
 会いたいと。
 ずっとずっと会いたいと、強烈に思っていた。
 一目会えればいい。それで満足するつもりだった。なのに、会えたら今度は欲張りになった。ただの教師と生徒ではなく、アイツの特別になりたいと、そう思うようになってしまった。だけど、会えば会うほど、近づくのが怖くなる。
 アイツとの距離が縮まることが――今は、とてつもなく怖い。
「――それじゃ、今日の授業はここまで。それと期末の範囲は――」
 黒板に書かれた最重要連絡事項に慌ててメモを取る生徒たちをぐるりと見渡してから、アイツの視線が最後、俺で止まった。
「中間だけじゃなく期末も赤点だった者には、夏休みに追試と補習が待っているので、よく勉強しておくように」
 ざわめく教室の中で、それはおそらく、俺だけに向けられた言葉。
 そうして迎えた期末考査。結果は自分の想像以上に悲惨なものだった。





「十河、ちょっと」
 SHRのあとで担任に呼ばれて教卓の前まで行くと、一枚のプリントを手渡された。
「非常に残念なお知らせだ」
 担任の言葉にプリントに目を落とす。そこにあったのは、案の定追試と補習の日程案内。ある程度は予想していたことだから、それについては特に驚きも不満もない。
 わかりましたと機械的に返事をしてプリントをふたつに折りたたむ。そこへ、担任が声色も硬く付け加えた。
「あと、小宮先生から伝言だ。あとで社会科準備室に来るように、と」
「……え……?」
「大変気落ちしておられたぞ。十河のことは、特に気にかけていたようだったから」
 ――気にかけていたようだったから。
 アイツが、クラスで最も成績の悪い俺を哀れんだのか、弟としてさすがに目に余ったのか、その両方だったのかはわからない。
 けど、アイツが俺を気にかけてくれていたのは、紛れもない事実。
 それなのに俺は、自分勝手な一時の感情でアイツのことを無視してひどい点数をとって、教師としてのアイツの心配りを踏みにじっていたのだ。
 担任の一言で、今更ながらに後悔が押し寄せてきた。


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