電車に乗るのなんか一体いつぶりか覚えてなくて、とにかく久しぶりな感覚にドキドキとワクワクと、ほんのちょっとの緊張をかばんに詰めてホームに立った。こんな田舎町の朝一番の電車に乗る人はそういなく、一人きりのホームには小鳥の囀りと青々と繁る葉が擦れ合う音しか聞こえない。夏を目の前にしたこの時期も、早朝ともあらばまだまだ涼しくて、爽やかな空気をひとのみ。頭上に広がる薄紫色の空には雲一つなく、今日はおそらく晴天だろうとわたしの胸は踊る。けれどそれ以上に、風に乗って遠くから微かに聞こえてきた電車の音にわたしの胸は自分でもびっくりするくらいに高鳴るのだった。



ガタンガタンと揺れる車内に人影はなく、一人ぽつん。こんな長時間座っているのは久しぶりで少しおしりが痛くなった。もう少し高いお金を払えばもう少しふわふわのイスに座れるけれど、わたしみたいな農家のイモ娘には縁のない話。けど今の彼はきっと、そんなふわふわのイスになんの躊躇いもなく座れちゃうんだろうな。そう思うと少しだけ寂しくなった。一緒に泥団子を作ったり、どんぐり拾いをしたりしたのはかれこれ10年くらい前の話。このくらいの時期になったら川まで遊びに行ったりもしたなあ。昔はあんなに近くにいたのに、なんだか今はすごく遠くの人になってしまったみたい。たまに新聞で彼らの記事を見かける度そんなことを考える。もしかしたら彼の記憶の中から、わたしという存在はとっくの昔にいなくなっちゃってるかもしれない。
けれど落とした視界に映る淡いピンクの着物は何度見てもやっぱり可愛くて、そんな寂しい気持ちは少しだけ和らいだ。さりげなく散りばめられた桜の花びらの刺繍は、わたし好みど真ん中。去年のクリスマスに近藤さん名義でわたしの家に届いた着物は、筆跡から誰が送ったのかすぐにわかった。まったく、昔から照れ屋なのは変わらない。すぐにわたしの一番のお気に入りになったそれを着て出掛けるのは、実は今日が初めて。この着物見たら彼はびっくりするかしら?寂しい気持ちを振り切るかのようにそんなことを思った。
お礼にしては質素すぎるけど、隣に置いた風呂敷に包まれるお重の中には徹夜して作った煮物や山菜の混ぜごはんがたんまり詰まっている。お料理はどちらかと言えば苦手だけど、今回ばかりは頑張った。昔みんなで食べた味をどうしても再現したくて、わがまま言ってお母さんに教えてもらった。味の保証はある。彼は素直じゃないから、きっと嬉しい感想なんか言ってくれないだろうけど、それでもいいの。文句の一つでも言いながら頬張ってくれればいい。その時に泥団子を作ったりどんぐりを拾った記憶を、ほんのり思い出してくれたらいいな。



だんだんに外は明るくなって、予想通りの青空が目に眩しい。景色は見慣れた緑一色から徐々に建物が増えはじめ、ターミナルが見える頃には、わたしはすっかり知らない世界に運ばれてきてしまったのではないかと錯覚をおこしそうになる。江戸に来るのは初めてではないけれど、毎回この街の大きさと人の多さには驚いてばかりだ。胸の高鳴りは朝とは比べものにならないくらいになっていた。もともと人混みは好きじゃないから、こういう栄える街もあまり好きじゃない。けれど江戸は別だ。だってここは彼のいる街。彼の住む街。彼の守る街。



長い長い電車の旅を終えて、お重片手に足早に駅を出る。わたしが駅から直接向かう先なんて一つだけ。それは一昨年も去年も変わらない。迷子にならないように記憶の糸を辿って辿って。ようやく見えた立派な建物は相変わらずそこにどっしりと構えている。その門の前に立つ男の子こそ、わたしの心臓をくすぐって、ちょっぴりつねって、だけど最後は必ず優しく撫でてくれる張本人。懐かしい蜂蜜色の髪の毛は朝日を浴びてキラキラと輝いている。踊る胸。早まる足。眠そうに大きく欠伸をする彼は、ここ数年は連絡なんてしなくても待っててくれる。よかったね、わたし。ちゃんと覚えててくれたよ。数時間前の自分に向かって心の中でそう唱える。わたしの足音に気づいた彼が顔を上げるとなんの躊躇いもなく視線はぶつかった。ああ、なんて憎たらしい笑顔なのかしら!



「ほんと毎年毎年ご苦労なこって」

「あんな田舎から始発に乗ってわざわざ会いに来た乙女に、その台詞はないんじゃない?」

「誰も頼んでなんかいやせんよ」



一年ぶりに会うっていうのに、彼は最初から意地悪ばかりだ。けどこれも愛情表現だって受け取るからね。気付いたら目の前には彼がいて、手を伸ばしたら頭を撫でることも抱きしめることも出来ちゃう距離。そんなことは小っ恥ずかしいからしないけど、目の前にいる男の子のせいでわたしの心臓は今にもひっくり返ってしまいそうだ。



「総悟くん」

「なんでィ」



この一言を誰よりも早く言いたくて。直接顔見て言いたくて。その為に毎年、始発の電車に乗ってわざわざ会いに来てるのよ。それを知ったら総悟くんは笑うかな?いやいや、笑うなんてそんな生温いことで済むはずない!バカにするに決まってる!だからそんないじらしい女の子の秘密はこっそり隠したまま、目の前のポーカーフェイスの男の子を見つめる。お出迎えありがとう。いつも平和を守ってくれてありがとう。わたしを忘れないでいてくれてありがとう。元気でいてくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。いろんなわたしの気持ちをこの一言に込める。そうだ、今年は着物ありがとうの気持ちも込めなくちゃね。



「お誕生日おめでとう」



静かな江戸の朝に転がったわたしのちっぽけな言葉に、おう、と素っ気なく返事をした彼はわたしからお重の入った風呂敷を奪ってクルッと半回転。そのまま門に吸い込まれて行ってしまうものだから、わたしは慌てて後に続いた。どんなに背が伸びても、どんなに腕がたくましくなっても、どんなに凛々しい顔になっても、やっぱり照れ屋なところは昔から変わらないね。



「もっと頻繁に来りゃいいのに」

「いいよ、今はまだ1年に1回で。ほらせっかく七夕の次の日だし、織り姫と彦星みたいな感じで」

「うわっ!さぶっ!」

「いいじゃん!ロマンチックじゃん!」



意地悪なところも変わらず。おかげでわたしの甘美な考えは一瞬で粉々にされてしまった。でもまーそれでもいっか、なんて。総悟くんが望んでくれるなら、天の河なんかなくたってわたしはすぐに会いに来るよ。そんなわたしの気持ちはやっぱり女の子の秘密だから、まだまだ内緒よ。とりあえず今はわたしの持ってきたごはんを一緒に食べよう。昔話をしよう。いっぱい笑おう。



総悟くんの新たな1年が、しあわせで溢れますように。その端っこでいいからわたしの姿がありますように。そんなことを思いながら男の子の広い背中を追いかけた。



夏に溶けた小宇宙



20100708

沖田くんはっぴーばーすでー!



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -