パパもママも、きっと神様だってまだ知らないこと。ここは「そういうところ」って頭ではわかっていても、たくさんのもしもがわたしを埋めつくす。考えて頭悩ませて顔を歪めるわたし、悲劇のヒロインにでもなったつもり?真夜中の深い森に自ら突っ込んでった女の子は、やっぱり迷子になって泣きべそをかいた。





こんなに長い夜はひさしぶりだった。窓の外は黒く染まってなんにも見えない。森がざわざわと歌ってるけど、なんの励ましにもならなかった。暗い世界にひとり取り残されてしまったわたしは、あったかい布団に包まったって眠れやしないし、羊を数えたって全然だめ。こんな暗くてさみしい世界から逃げ出したくてぎゅうっと目をつむってみるけど、やっぱりそこも真っ暗で、なんにもなくて、深い深い黒い色した世界はひとりぼっちのわたしを笑ってる。なんだか涙が出そうになった。





森の中をさ迷ってまで見たかったもの。悲劇のヒロインは別にしあわせになりたかったわけじゃあないのよ。わがままは言わないわ。だから、だからね。





廊下に小さく響く足音ひとり分。少しずつ大きくなる。なんとなく誰のかわかるけど、確かめたくて思わずドアを開けた。


「わっ!びっくりした〜〜」

「ごめん、…図書館帰り?」

「そ!お前はこんな時間にどしたんさ?」


暗い廊下の真ん中、古びた茶色い表紙の分厚い本を抱えてオレンジ色が揺れる。普段はいたずらっ子でふざけてばっかりなのに、こんな時ばっかりタイミングがいい。やわらかく笑うラビの顔がすごくあったかくて視界がぼんやり歪んだ。おねがいだからこぼれないでね。そんなわたしの願い虚しくぽろりと一粒落っこちた。あーあ。







「大丈夫」って言っても「大丈夫なら泣くわけない」と真っ当な意見を返されてしまったわたしは、廊下は寒いからとラビを部屋に招き入れた。さっきと変わらない真っ暗ななんにもない部屋が、ちょびっとあったかくなった気がする。なんて魔法?

ラビは部屋の隅っこにあるひとり掛けのソファに沈んで足を組む。絵になりすぎて悔しい。向かいのベットに腰掛けてモデルみたいな男の子を眺める。ラビは静かに部屋を見渡してから、持っていた本の表紙に視線を落とした。なにを見てなにを考えてるのかわからない、翡翠色した宝石みたいなラビの目が時々こわかった。目の前にいるのになんだか遠くて、わたしの知らない人みたい。川の一本向こう側にいるラビに近付こうものなら、冷たい濁流にのまれてもう二度と近付けなくなっちゃうような。そんなこと考えて、ひとりまたさみしくなった。ぼんやり見つめる先にいる、翡翠色とぱちり目が合う。


「あのさ、」

「なあに?」

「朝ごはん、なに食ったらいいかなあ?」

「…え」


わたしの考えてることとはまるで真逆。濁流にのまれるわけでもなく、わたしの涙の理由を聞くわけでもなく、予想と大きく反れたまぬけな質問にわたしはとってもびっくりした。慌ててしまってろくな意見は言えるはずなく、口から飛び出た「みそ汁!」って言葉に、さすが日本人と笑うラビはやっぱりただの男の子。

そのあとも止まらないラビの口は、いろんなこと話してくれた。任務で行った小さな古い町のこと。先週食べたおいしいクッキーのこと。さっき読んだ本の世界のこと。その本の主人公の女の子がわたしにそっくりなこと。強がりなくせ泣き虫なとこがわたしと似てるとラビは笑った。暗かったわたしの部屋に淡い色した花が咲く。涙は知らない間に乾いてた。







「さっ!そろそろかな」


一体どのくらい話してたのかしら?大して変わらない年なのに、ラビはわたしの知らない世界をたくさん知っている。そんなはなしを食い入るように聞いてたら、ラビは急に腰を上げた。窓の前に歩み寄って「こっちこっち」と手招きをする。ラビが窓を開けた。


「わっ…」

「すごくねえ?」


窓を開くと冷たい風が温かさになれた頬を痛いほど刺した。もくもく上がる白い息ふたり分。鼻の奥がツンとした。そんな寒さなんかきれいさっぱりふっとんでしまうような一面の星空。深い深い黒い海に浮かぶ瞬く星に、わたしはただただ釘付けになる。さっきわたしが見てたさみしいだけの真っ黒い窓の向こう側にこんなきれいな世界があったなんて。


「寝れない時よく見るんだけど、いつ見てもほんとすごいんさ」

「うん、すごい…」

「でもこのあとがもっとすげーの」

「このあと?」

「そ、多分そろそろ」


遠くを見つめるやさしい顔。くしゃみ一つして恥ずかしそうに笑う。それだけでもうわたしおなかいっぱいなのに。寒くなってもわたしは古びた毛布1枚しか持ってないし、リナリーのようにあったかくておいしいコーヒーも煎れてあげられない。おいしいクッキーだってわたしの部屋にはないんだよ。それなのにこんなやさしくしてくれて、いいの?


「きたっ!」


ラビの声が大きく響いた。まるでラビとわたしのふたりだけになってしまったような静かで暗い世界、真っ黒な夜のしっぽがオレンジ色にひかりだす。





だれかとわたしのしあわせがちょびっとでも同じ色してますように。ふたりでしあわせ半分こ出来ますように。一緒にほっぺたまあるくして笑えますように。





遠く遠く森の向こう側、地平線がゆっくりとやわらかいオレンジに染まりゆく。わたしはとうとう言葉をはなすことを忘れて、食い入るように見つめた。まだ誰もが寝てる静かな世界が、こんな宝箱の中身みたいだったなんてわたし、まったく知らなかった。揺れる朝焼けにまた視界が歪む。わかった、この朝日はやさしい誰かさんに似てる。


「ラビ、」

「なにさ?」

「ありがとう」


爪先立ちで見てたまだ誰も知らない先のこと。そんなこと考えるよりも、もっとずっと大切なこと。地面にしっかり両足つけて力強く今日を生きること。ラビは教えてくれた。頭悩ませてたってつまらないだろ?って黒いクレヨンで塗り潰したわたしの涙、鉄槌で遠くに飛ばす。わたしの見えないところまで、確実に。絶対にホームラン賞取れるよって言ったらラビは笑うかな?


「今日さ、食堂一番乗りしねえ?」

「する!」

「みそ汁ふたり分作ってもらおーぜ」


泣き虫なわたしは黒いしっぽにしがみついて逃げてった。なんでもお見通しの翡翠色。明けない夜はないよ、とラビは笑う。わたしの涙も、ラビのくしゃみも、何か始まる予感も、ぜんぶぜんぶオレンジに溶けてしまえ。

さあ、朝が来るよ。





迷子の女の子、やさしい朝日に導かれて走り出す。涙は飲み込んで今日を生きるの。





まつげに惑星


20101110
image song:朝が来る/YUKI


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