国語準備室はタバコの苦い匂いと、チョコレートの甘い匂いが混ざった不思議な匂いがした。しかしそのヘンテコな匂いでわたしの心は落ち着いてしまうものだからこれまた不思議である。最低最悪な国語の授業の直後、わたしの元に「放課後国語準備室」と簡潔過ぎるメールが届いた。その指示通り放課後、わたしは地学室の掃除をサボってまっすぐ国語準備室へと足を運んだ。ガラガラと準備室のドアを開くと独特の匂いがわたしに向かって流れ込んでくる。パラリ。紙のめくれる音が響いた。部屋の奥のイスに座る先生は黙りこくったままジャンプに視線を落としている。あんな変なプリント作ってまで授業を潰したと言うのに読み終わらなかったようだ。そりゃそうか。楽しそうでしたもんね、先生。



「今日のアレ何?嫌がらせ?」

「アレってなんですか?」

「総一郎くん以外のなんでもないだろ」



ようやく口を開いた先生の声色から機嫌の悪さが伺える。ピリピリとした空気がすごく厭な感じだ。けれどここで怖じ気づいてたんじゃ沖田に協力してもらった意味がない。別に普通ですよ、先生。なるべく顔色を変えずに冷めた口調で答えた。わたしの言葉に先生はジャンプをめくる手を止める。ようやく顔を上げた先生と視線が絡まった。いつもとは違うわたしのつんけんした態度に先生はいつも半分しか開いてない目を少しだけ見開いた。



「先生って呼び方辞めろよよそよそしい」

「先生は先生以外のなんでもないです、なので先生を呼ぶ時は先生としか言いませんすいませんね先生」

「……」



ぴしゃりと先生の言葉を尽く跳ね返す。たんたんと喋るわたしに先生は溜め息をついた。溜め息つきたいのはこっちの方だ。そう思って先生よりも大袈裟に、わざとらしく大きく溜め息を吐いてやった。はぁぁ〜〜〜。国語準備室に重たい二酸化炭素が溜まる。どんどん溜まる。一向に折れる気配のないわたしに先生は困ったように眉を下げた。



「原因は?」



暫しの沈黙。それを割った先生の声はいつもより何倍も優しい。柔らかくわたしの鼓膜を揺らした先生との視線は未だ絡まったままだった。ここで素直になれたらきっとわたしは可愛い女なんだろうけど、生憎わたしは捻くれ者だ。そんなの自分の胸に手を当ててよく考えて下さい。ようやく吐き出した言葉はこんなものだった。ぴしゃり。また先生の言葉を冷たく跳ね返すわたしは可愛くない。先生はボリボリと頭をかき、小さく息を吐いた。



「チャイム鳴ってから教室来るのが遅かったから?」

「違います」

「問題が難しかったから?」

「違います」

「ジャンプ読んでたから?」

「違います」



う〜んと頭を捻らせる先生は結構必死なようでその後も一人ボソボソといろいろ言ってはいたが、最終的に降参と手を上げてみせた。本当にわからない?不信に思い聞いてみた。悪い、と先生は困ったように呟く。さてさて、いつものアホっ面はどこへやら。表情は曇り、しょんぼりとした先生の顔を見るとチクリと胸が痛んだ。別にこんな顔をさせたかったわけではない。ただちょっと仕返ししたかったたけなのだ。なんだかどんどん申し訳なくなってきて結局自ら口を開くわたしは一体どれだけ先生のことが好きなんだか。はぁ、と溜め息。



「わたしってね、意外に嫉妬深いみたい。心もびっくりするくらい小さかった。だから先生が女の子と楽しそうにしてるだけで腸が煮え繰り返りそうになるの。でもね先生、わたしは先生のことが好きだからこんな風に思うみたい。先生が誰かに取られたらって思うだけでどうにかなっちゃいそうだよ」



一気に吸い込んだ酸素を今度は一気に二酸化炭素に変えてやった。暑苦しい言葉を乗っけた二酸化炭素は空気と混ざってさっきと同じように鼓膜を揺らす。わたしは先生のように優しい声ではないけれど、それでも別に構わなかった。だって伝わるでしょ?ねぇ、先生。ぺたぺたと先生の上履きが床を擦る音が準備室に響いた。わたしの目の前まで来た先生は右の掌をわたしの頭に乗っける。ポンポンとリズミカルにわたしの頭を撫でる先生は若干わたしのことを子供扱いして馬鹿にしてるようにも思えた。けれどこの手は払えない。わたしの心臓が煩く騒ぎ立てるのだから仕方ない。そんなことかよ、と呟いた先生の掌が急に頭の上からなくなった。少し寂しかったけどその寂しさも僅かなもので、今度は空いた左腕も一緒にわたしの体を抱きしめる。それはそれは力強く。ぎゅうっと力強く。



「テメェふざけんなまじ焦ったわアホ」



わたしの頭の上から聞こえた先生の声は酷く情けなかった。わたしはアホじゃないよ。そう言ったら先生の腕の力はますます強くなった。わたしの心はみるみる満たされていく。先生ばっかりわたしの気持ちを振り回して狡い。悔しくて、わたしの横で宙ぶらりんになっている両腕を先生の背中に回した。ギュッと力を込める。先生のワイシャツからは先生には到底似合わない洗剤のいい匂いがした。



「俺だってなァ、お前と同じ気分だったわ。完全に総一郎くんにお前の事取られたもんだと思ったんだからなコノヤロー」



よかったよかったとふにゃふにゃの声を吐き出しながら先生はもう一度ぎゅうっと強くわたしを抱きしめ、ようやく腕の力を緩めた。先生の顔を見上げるといつもより少しだけ頼りなく、そして情けない顔が見えた。その表情はいつもの先生らしくなくて思わずクスリと笑ってしまった。んだよ、と言う先生もほんのり笑っている。なんだか少し気恥ずかしくて、でも少し嬉しい。先生の腕の中で喜びに浸る。先生の腕と匂いと喜びに包まれているわたしはきっといま世界一の幸せ者だと思う。とてもベタだけど。沖田にも感謝しなきゃなぁ。…………あ。わたしの間抜けな声に先生は何?と首を傾げた。



「先生ごめん」

「なにが?」

「沖田にバレてたわたしが先生好きなこと」



まじでか。先生はそう呟いたが特に焦ってる様子もなかった。万が一沖田が言い触らしでもしたら先生はクビになるかもしれないし、わたしも退学になるかもしれない。それを先生に言ったら鼻で笑われた。別にいんじゃねーの?そう言う先生はやんわりと優しく笑う。本当ならそんな先生にバカじゃないのとかいつもみたいに文句の一つや二つ言ってやりたかったが、先生のその温かく笑う顔を見たらわたしの口は上手く動いてくれなかった。それに、と先生は言葉を続ける。ゆっくりゆっくり近づく先生の顔とわたしの顔の間で銀髪がふわっと揺れた。



「今しあわせだから別にどうでもいーわな、そんなこと」



先生のクサイクサイ台詞に、わたしの口からは今日何度目かわからない溜め息が零れそうになった。けれどこの溜め息は外に吐き出される前に先生の甘い甘い口の中へと消えてしまった。
















20100325

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