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ぐらりと体が持っていかれる感覚で意識が浮上した。ガタガタと小刻みに揺れる体、真っ暗な視界、ぼーっとする頭。なんだっけこれ。

なんとなく、ただ寝ていただけじゃない気がした。いまいち働かない脳みそでしばらく考えて、ようやく思い出した最後の記憶にまたかとウンザリした。そして自分の油断にも反省して、思わず大きな鼻息をつく。
あーあ。相澤先生に気をつけろと言われたのに。



学校からの帰り道、後ろから襲われた、んだと思う。口を塞がれて体を拘束されて、何が何だかわからないがとにかく抵抗し、それでも敵わなくて、だんだん体の力も抜けていった。少なくとも相手を確認をしなければと意識が遠のきそうな中で最後に見えたのは、自分に絡みつく腕以外の何かだった。

いや、あれ絶対アイツだよな…。今回は目隠し、口元も塞がれていて、両手首と両足首は拘束されていて動かない。いよいよやりやがったなアイツ。本っ当最悪!!
本当に何なんだ、何故こんなにも私に固執するのか。もうこういうことやめてほしい、相澤先生にも気をつけろって言われたのに怒られちゃうじゃん…。ていうか一回警察捕まったんだから反省すればいいのに。私何かしたっけ?図書館の時が初対面のはずであんな人見たことないんだけど…。
脳内で奴の文句を並べているうちに、ガタガタ揺れるのが止まった。信号か何かかと思っていたらエンジン音も止まったので、恐らく乗せられている車がどこかに到着したのだと思う。ドアの開く音と閉まる音、続いて足音が近づいて来て、すぐ横でガッとドアが開けられる音がした。

「あぁ、すごい、すごいよ、やっとだ…。」

何が??めっちゃ怖いっていうかキモいんだけど…。

絶対隙を見て逃げよ。と、逃走を強く決意したところで、不意に首と膝の裏に腕が入って来て鳥肌が立った。マジ無理最悪超キモい!!!!次いで浮遊感を感じる。本当にキモい…。誘拐犯に人生初のお姫様抱っこされるとか、本当終わってる…。起きてることがバレると厄介な気がしたので、泣く泣く力を抜き続けた。何かされそうになったら頭突きしてやる。
確かにこの人生いいことありすぎたんだ。今日だって相澤先生に話しかけてもらえたし…。しかし、だからと言ってこんな面倒な事件起こさなくてもいいだろう。ハァハァと荒い息遣いが近くから聞こえて気持ち悪さに泣きそうになる。殴りたい。一瞬、誰かヒーローが助けに来てくれないかなと思ったが、想像できる最悪の環境にそれは無理かとすぐに諦めた。聞こえるのは草むらを歩くコイツの足音と遠くから聞こえる鳥の鳴き声のみ。堂々と目隠しやら何やらしている女の子を抱えて歩けるところに、人の目があるとは到底思えない。マジでここどこなんだ。どれくらい気を失っていたかも不明なので全然わからない。
足音が変わる。木の板の上を歩くようなギシギシとした音になり、鳥の鳴き声も聞こえなくなった。どこか屋内に入ったようだ。続けて私を抱えながらどうにかドアを開けて、それを何回か繰り返す。最後にどこかのドアを開けて、私はゴロンと柔らかいところに寝かされた。

「ハァ、ハァ、」

気持ち悪い息遣いが少し離れ、ゴクゴクゴクと喉の鳴る音が聞こえる。水分補給をしているようだ。そのままどこかに消えてくれればいいのだが、ハァッと息を吐いて、こちらに近づいて来た。
口元のガムテープらしきものがベリベリと剥がされる。地味な痛みに耐えていると、指で口をこじ開けられたあと、再びテープを付けられた。一連の行動を疑問に思った時、口の中に何か入っていることに気付く。

「ンー!!」
「あっ、おっ起きた?」

錠剤のような、タブレットのようなものだ。すぐに吐き出すためもがこうとしたが、顎ごと口元を押さえられ、タブレットは次第に口の中で溶けていく。恐怖と焦りで心臓の音が大きく聞こえた。
もうスカートとか関係なかった。とにかく拘束から逃れるためジタバタ暴れるも、鼻と耳以外自由のない状態では何もできることはなかった。しばらくして完全に口の中のものが溶けてなくなったところで、目隠しが外された。

「や、やぁ。元気に、してた?」

案の定そこにいたのは、中2の図書館の帰り道、そして中3のコンビニの帰り道に出会った、変質者のアイツだった。
こちらの神経を逆撫でするようなヘラヘラとした笑みで私を見下ろしている。かと思えば、急に慌てた様子で私の体をジロジロと眺め始めた。

「具合、は、大丈夫?い、痛いところとか、な、ない?」
「…。」
「ほん、本当は、こんな手荒なことし、したくないんだ、けっけど、君が、逃げるから…。」

は?私のせいだって?一丁前に責任転嫁しやがって。
コイツの言動に怒りが収まらない。だが逃げるためには落ち着かなければならないので、顔をしかめたいのをぐっと堪え、努めて冷静な態度を突き通す。わかりやすく怯えてなんかやらない。絶対に逃げてコイツを警察に突き出してやる。その前に何か正当な理由でぶん殴ってやりたい。人を殴ったことなんてないんだけれど、コツとか要るのかな。勝己君に殴り方習っておけばよかった。

「や、やっと会えて、よかった!もうずっと、さが、探したんだよ。き、君とそっくりな子がいたりして、大分苦労、したんだ。まぁ、おかげで本番す、スムーズにいったから、い、いい練習に、なったよ。」

そう言ってビリビリと口元のテープを剥がすと、丸めて私の寝ている脇の方へ投げた。

「それにき、君も、女の子一人よりは、いいだろう?」
「…待って、他に誰かいるの?」
「っう、うん!!君も友達がいた方が楽しいよね!?」

マジで殴り方習っておけばよかった。
怒りで頭がクラクラする。私一人ならまだしも、巻き込まれてしまった子がいるなんて。「…その子、どこにいるの?会いたいんだけど。」 私の言葉を聞いた変質者はパァッとあからさまに顔を明るくし、背を向けてどこかへ向かう。その隙に部屋を見回すと、古びた洋風の部屋にドアが1つ、私はベッドに寝かされているようだった。変質者に目を向ければ、彼は部屋の端に置かれたカバンをゴソゴソと漁っている。何があってもいいように構えていると、薄ら笑いを浮かべて振り返ったその手には大きなハサミがあった。

「! っな、」
「あっ!じっと!じっとして、これ、とるから!怪我しちゃう、」

思わず身を引こうとすると、その前に足を掴まれる。どうやら足首の拘束を解いてくれるらしいが、信用はゼロだ。腹筋に力を入れてその様子を睨みつけていると、確かに足首に巻かれた分厚いテープはハサミでジョキジョキと切られていった。
もしかして、案外簡単に逃げ出せるかも…?私と勘違いされて連れ去られてしまったかもしれない子と会えたら、どうにか抵抗して逃げられるかもしれない。
ジョキン!と最後に大きな音がして足が解放される。よし、あと拘束されているのはこの手首だけだ。お腹側で両手首を固定されているから肩は回るし、ここに連れ去られた子と合流できたら…。
足が自由になって少し気が緩んだ瞬間、自由に動かせるようになったはずの足首が急に掴まれた。突然の拘束に思わず足を引こうとするも、あろうことか左足の裏に顔を寄せられる。そこで大きく深呼吸をしたかと思えば、ぬるりとした気持ち悪い感覚が足の裏に走り、反射的にガン!と顔を蹴り付けた。

「…や、やめて。」

こちらに向いた視線に後悔するも遅かった。次の瞬間、バシン!!と頬に衝撃が来て、ジンジンと熱を持ち始める。

「じっ、じっとしてって、言ったでしょ?!痛いことはき、嫌いなんだ!」

奴の個性なのだろう、見覚えのある尻尾のようなものがユラユラと背後で揺れている。今回はあれで頬を殴られたようだ。
少し大人しくなった私に安堵した様子で、今度は私の足に頬擦りをする。ゾゾ、と鳥肌が立った。

「おと、お友達には、もちろん、あ、会わせるけど、先に、な、仲直り、しよう?や、やっと、二人きりであ、会えたんだから…!」



〜〜〜〜〜っ気持ち悪い……!!!!

蹴り飛ばしたい。殴り飛ばしたい。ボコボコにしてやりたい。
足を肩に上げられて、奴の鼻先が太ももまで来る。スカートが捲れ上がった。生温かい息遣いを太ももに感じる。思わず体を起こして引こうとするも、太ももごと体を引っ張られる。その振動で頭がぐわんと大きく揺れた。

「…あ…?」

なんか、体がおかしい。動いていないのに頭がぐらぐらする。ムカムカして気持ち悪い。呼吸が苦しくなって来て、酸素を求めて呼吸をしてもなかなかうまく吸えない。
もしかして…?先程口の中に入れられたものが頭をよぎる。

「あ、だ、大丈夫だよ。」
「…は、なに…?」
「き、気持ちよく、なれる薬、だから!」
「…この…!」

マジでコイツ…!!
はぁ、と呼吸が荒くなる。どういうものかは知らないがやはりあれは何らかの薬だったようだ。こういうのはエロ漫画だと大抵めちゃくちゃ敏感になるとかそういう事態になってしまうが、残念ながらここは私の現実世界。薬が合わないのか一向にそうなる気配はなく、むしろ生きて来た中で一番の気持ち悪さだ。違法薬物とかなら、本当に死ぬことも考えられる。本当に意識が飛びそう。
気を失いそうなギリギリの中、変質者の手が私の体へ伸びてくる。本当、自分の欲求を他人にぶつけることへ罪悪感を感じない愚かな人間だ。何故こんな奴らが当たり前のように生きていくんだろう。与えられた絶望を一生抱えて生きていくことがどれだけつらく苦しいか、こいつらにはわからないのだろう。

「…さわんないで。」
「そ、そんなこと、い、言わないでよ。」
「…しね。」

ガン!と手首を頭上の壁に叩きつけられる。そのまま私の手は押さえつけられ、もう片方の手で制服のボタンに手をかけられた。目の前には怒りなのか何なのか、興奮して真っ赤になった奴の顔が現れ、ハァハァと荒い息遣いをしている。

「なんで!なんで!いつもそうなんだよ!!こんなにも好きなのに!!」

壁に縫い付けられた手を動かそうとするもびくともしない。その内グイッと大きくジャケットが引っ張られ、ブチブチとボタンが弾け飛ぶ。ハァッ!と嬉しそうに大きく息をして、私の手を押さえていたのは尻尾に変わる。空いた両手がワイシャツにかけられ、すぐに体の間に足を捻じ込ませどうにか蹴り上げようとするも、その前にジャケットよりも簡単にボタンが弾け飛ぶ感覚があった。

「おっ大人しくしてたら痛くないから!」

ヒヤリと冷えるお腹とは反対に頭が熱い。まるで心臓になったみたいに、ドクドクと脈打っている。

「だい、大丈夫だよ、怖くないよ。」

ヘラヘラした顔が近付いてくる。首に顔を埋められる。手や足を動かして抵抗しても動かない。コイツの体重が、腕が、尻尾が、すべてが重い。



体育祭の昼休み、勝己君に言われた言葉を思い出した。

「…さわ、るな。」

自分の弱さが嫌になる。私が勝己君みたいな個性を持ってたら、強かったら、ヒーローみたいだったら。こんなこと、こんな思いをすることは絶対にないのだろう。
この世界で生きる権利を得たからには清く正しく生きていくと決めたはずなのに。誰にも迷惑をかけず、真っ当に生きていくと。

「それ以上は、」

でももうだめだ。素直に受け入れよう。今思えばあの日、ヘドロヴィランの時もそうだったかもしれない。今に始まったことじゃないんだ。そう考えたら少し楽になれた。

「かつきくんにおこられる。」

目を閉じる。どこまでも無垢で綺麗な勝己君を想い、少し涙が出た。










『(…苦しそうだ。)』

奴は呼吸ができないのか、だらしなく口を開け舌を出し、首を押さえながら酸素を求めている。よだれが垂れそうだ。下に寝ている私につくからそれはやめてほしいな。

『どういう原理なんだろうね。』

手を伸ばして、首を絞める、ふりをする。私の手は何も触れていないけれど、確かに目の前のコイツはすごく苦しそうにしている。
ヘドロヴィランの時もそうだったのだ。触れているわけではないのに私が殴ったら奴はしっかり私を認識して腕を奮って来た。思わず驚いて元の体に戻ったくらいだ。あの衝撃は忘れられない。

『私、命は大切にするべきと思ってるんだけど、昔から性犯罪者だけはみんな死んでもいいと思ってるんだ。』

コイツへの明確な殺意に気付いてしまったら抑えられなかった。確証はなかったけれど、できる気がした。個性を使って素直に殺意を受け入れたら、ちゃんと首を絞めることができた。
自分でも躊躇のなさに驚く。けれどヘドロヴィランが出久君を襲っていたあの時も、私は何の躊躇いなく奴の眼球を潰そうとしていた。衝動を抑えられないのは今に始まったことじゃないのかもしれない。

『勝己君には言えないな。』

こんなに触られてしまったことも、殺したくなってしまったことも。まあ、知ったところで何かあるわけでもないか。私はモブで、コイツもモブで、勝己君はヒーローなんだから。
私はこの世界に重要じゃなくて不要な人たちだと感じたら、どうなったっていいと思っているのだろう。だから殺したって構わないと感じた。そして実行した。この世界には彼らがいて、彼らに助けられる人々がいて、彼らを成長させる多少の悪があれば、それだけでいい。もちろん私もこの世界に重要じゃなくて不要な人の一人だ。もともとの世界観を知って生まれるなんて異端すぎる。けれど私はまだやりたいことが山程あるので、モブなんかのために死んであげることはできない。

『モブはモブが潰してあげる。』

現実だとわかっていても未だに作品の世界だという感覚が抜けていないことに気付いて、我ながら馬鹿だなと思った。自分をどうでもいいと思わない世界に、もう帰れることなんてないのに。



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