「‥‥相当深い場所でことが動いてるな」
「潜っちまった可能性高いっす」
だらりとソファに倒れ込み四肢を投げだすザップと、テーブルに倒れ込むレオ。その向かいでは肩を落としたスティーブンが溜息を吐く。
「チェインの方もダメだったしなぁ。これは別の方法で洗い直すしかなさそうだ」
それからもぶちぶちと愚痴をこぼしていくザップとスティーブン。そうでもしなければ雪崩れ込んでくる疲労感と苛立ちに押し潰されてしまいそうだったのだ。
「‥‥マエストロ、」
延々と続きそうだった愚痴を断ち切って、奥の部屋の扉からシキが顔を出した。普段の様子からは考えられない程のどんよりした空気を背負い、覚束ない足取りでスティーブンの元へ辿り着くとパタリと倒れ込んでしまう。
そのままスティーブンの太腿の上に乗り上げて、ぐりぐりと彼の腹に頭を押し付けては唸り声をあげた。
「終わったのか、シキ」
「おわった‥‥おわったよ‥‥」
「ありがとう。お疲れ様」
「‥‥ん」
スティーブンがボサボサになってしまっている銀灰色の髪に指を通し丁寧に撫で付けると、シキは彼の腰に腕を回して一層強くしがみつく。スティーブンはその様子に紅茶色の瞳を細めて、もう一度お疲れ様と耳元で囁いた。
ソニックが首を傾げてシキを見ていれば、視線に気がついたスティーブンが「ああ、」と説明を始める。
「出回った映像があっただろう?それがこれ以上世に出ないように動いてもらったのさ」
「キィ?」
「ダミーの映像を用意して、そこにウイルスを仕込んでおく。それを落とそうとしたデバイスは漏れなくオシャカってね。‥‥まあ既に大分大きく広がっていたから気休め程度かもしれないが、しないよりはずっといい」
「キキ」
「それと並行してエンジェルスケイルについても探ってもらっていたからね。無理をさせすぎてしまったかな」
「に"‥‥ぅ」
ほへー、と同じタイミングで頷くレオとソニック。ザップはちろりとシキに目線をやったが、直ぐに再びソファに沈み込んだ。
押し付けていた顔を徐に離したシキ。スティーブンが顔を覗き込むと、交差した瞳は小さな手が覆い隠してしまった。
「シキ、擦ったらダメだ。眠いのか?」
「ちがう‥‥なんかいたい。しぱしぱする」
「ドライアイか‥‥目薬渡したろ」
「上手にできないし、あれきらい」
「嫌いでも痛いのはシキだぞ?ほら、貸して。やってあげるから」
渋々とパーカーのポケットから出された小さなボトルを渡されたスティーブンは「うなぁ"〜!」と上がる抵抗の声を受け流して赤と金の瞳にそれぞればっちり液を垂らした。
スティーブンが不満そうにソファを叩く尻尾を苦笑交じりに突いていると、むくりと起き上がったレオが徐に口を開く。
「‥‥今日は、クラウスさんプロスフェアーやってないんですね」
ギルベルトさんもいないな、などと頭上で飛び交う会話を聞きながら、シキはゆっくり瞳を閉じた。
×××
少し前の事。
どんっ、とシキがクラウスの脚に飛び付いたのは車庫に近い廊下だった。
不安そうに非対称の色彩を揺らすシキに、クラウスは膝を折って目線の高さを合わせる。
「リーダー、どこいくの」
「私もエンジェルスケイルについて調べてみようと」
「‥‥みんなにひみつのばしょ。あぶないところ。きっと、そう」
「私はちゃんと戻ってくる。シキは少しでも休んでくれ給え」
「シキ、もっとがんばるよ。だからいかないで」
「‥‥シキ」
野生の勘、とでもいうのだろうか。
以前から“あの場所”へクラウスが向かおうとするとそれを敏感に察知して引き留める。
遂には目に涙を溜め始めたシキに流石のクラウスも狼狽えると、救いを求めるようにギルベルトを仰ぎ見た。
にこりと笑んだギルベルトはクラウス同様しゃがみ込み、お嬢様、と声を掛ける。
「この後K・K様も御一緒に移動するのです。彼女がいれば大丈夫ですよ」
「‥‥‥‥」
「お嬢様、“合言葉”をください。そうすればおぼっちゃまも私も安心して出掛け、そして帰ってくることができます」
消え入りそうな声で、ぐっとパーカーの裾を握って、シキは“合言葉”を唱えた。
「行ってくる」
「行って参ります」
車庫から飛び出して行った車を見送って、シキは握り締めていた拳を解いた。へにょりと下がった耳と尻尾を叱咤し、ぴん!と立たせる。
「シキ、がんばる。がんばるよ!」
×××
K・Kからの電話を受け、慌しくなったライブラ。その活躍によってエンジェルスケイルの一件は七百人という膨大な検挙数を挙げ終わりを見せたのだった。
そんな中。
やつれた様子でこっそり戻って来たクラウスと、それを支えるギルベルト。
いち早くその気配に気がついたシキは一目散に駆け寄って“合言葉”を唱える。
「リーダー、ギルベルトさん、おかえりなさい!」
「‥‥ああ、ただいま」
「ただいま戻りました、お嬢様」
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