9.
このところ、京では不穏な話が広まっていた。幕府が出している札、つまり制札を引き抜く事件が発生しているというのだ。不安に思った京の人々は街行く浪士たちや武士を怪訝そうな目で見ていた。
「幕府の制札を抜くなんざ、とんでもねぇことだな」
眉間にしわを寄せた土方さんが呟く。今は昼食時だっていうのに土方さんは仕事の話をやめない。知らなくていい情報までを知ってしまいそうで、千鶴はどこか落ち着かないでいるようだ。確かに、隊士でもない私と千鶴は、余計なことまで知ってしまうと自分の首を絞めることになる。だから、知らなくてよいことは知らないままでいいんだけど、土方さんはその話を続けていた。
「そうだな。一体誰が・・・」
近藤さんも箸を止め、土方さんの話に相槌を打っていた。その2人から一番遠くにいた私は聞こえないふりをして、黙々と食べ続けた。他の幹部たちはというと、それに相槌を打つ人もいれば、聞こえているのかいないのか、他の話をしている人もいた。
全員が昼食を食べ終わり、私が勝手場で最後の片付けを一人でしていると、ふいに後ろから声をかけられた。
「よう、れんちゃん」
「新八さん?どうしたの?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってな・・・前、制札は引き抜かれたりしないのかっていう話をしたよな?」
そういえば、以前制札を見たときに、引き抜く話をしたことがあった。もう半年以上も前のことで、新八さんに言われるまでそのことをすっかり忘れていた。
「あーうん・・・した、かも・・・?」
あの時は記憶喪失だということを忘れてうっかり言ってしまったのだ。なんとかごまかせないかととぼけた振りをしてみたが、新八さんの目は真剣で、私の心は見透かされているようだった。
「あのとき、俺も平助も、誰も制札を抜くことはしないと言ったが、今実際に誰かが抜いている」
「そう、だね・・・」
新八さんのまっすぐな目を見続けられず、食器の片付けを理由に顔を背け相槌を打つ。
「制札を抜くなんて幕府に喧嘩を売るような真似、誰も考えやしねぇと思ったんだ」
「・・・」
新八さんの言いたい事が、なんとなく読めてしまった。しかし、何と言っていいか分からず、私は黙って聞くことしかできない。
しばしの沈黙。
カチャカチャと食器の音だけが静かに響く。
痛いほど突き刺さる視線から、私が振り向くのを待っているのだと感じた。
食器を定位置に戻し、ゆっくりと新八さんの方へ顔を向ける。彼の目は相変わらずなものだった。
私と目が合い、ようやく口を開く。
「・・・お前、この事件のこと、何か知ってるんじゃねぇのか?」
そう言い放った彼の目はさらに鋭くなり、温かさなど微塵も感じられなかった。まるで、敵を殺すかのような。
その視線が恐ろしくて黙ったままの私に、彼は続ける。
「この事件に、関係してるんじゃねぇか?」
向けられたことのない冷たい視線に思わず目を逸らす。でも、逸らしてしまえば嘘をついていると言っているようなものであることも分かっていた。だから、あえて呆れた様子で、
「・・・はぁ、まさか新八さん、私を疑ってるわけ?」
と返事をした。
その事件には関係していないが、事情を知っているのは事実で。そのことを告げてしまえば、私の素性も明らかにしなければならない。それは避けたくて、新八さんの言葉を冗談のように受け流した。しかし、彼は感情のない声で言い放つ。
「ああ。悪ぃが、俺はお前を疑っている。急に俺たちの前に現れて、大人しく過ごしていたかと思えば、事件のことを予期していたかのような発言・・・怪しく思っても変じゃねぇだろ」
・・・彼の言う通りだ。私が事件と関与していると考えた方が話の筋が通るくらいだ。チラッと彼を見れば、先程と同じ冷酷な視線が突き刺さった。その目を見ていれば、ボロが出そうで目を逸らしたくなったが、その制札事件と直接関与しているわけではないのだから大丈夫だ、と自分に言い聞かせ、彼の目を見る。
「じゃあ聞くけど。仮に制札を抜いた犯人が私だったとして、何の利点があるっていうの?」
「お前がどこかの藩の間者だとしたら、利点なんかたくさんあるだろうよ」
真意を探るかのように、互いの目を見続けた。
「私を間者だと疑いたいのであれば、お好きにどうぞ。でも、疑ったところで何も出ないよ。私、間者でも制札を抜いた犯人でもないから」
「・・・」
私がそう言ってくるりと背中を向けると、何も言わず彼は勝手場から去って行った。彼の足音が完全に消えたあと、思いっきり息を吐きだした。思っていた以上に気を張っていたようで、気を抜くと座り込んでしまいそうだ。
新八さんは、私と制札事件の犯人とが内通していると思っている。もしくは、私がどこかの藩の間者だと。あの冷たい視線を思い出すだけで背筋が凍る。今まで一緒に仲良く過ごしてきたけど、簡単に疑われてしまうほど、私への信頼はなかったんだと痛感してしまう。だんだん視界がぼやけていくのを必死にこらえ、私は足早に自室へと戻った。
今の会話を聞いていた人がいることも知らずに。
夕食時。私はばったり新八さんに出会ったが、特にあいさつも交わさなかった。いつもなら、元気よく名前を呼んで肩をバシバシ叩いてくるのに。寂しさを感じながら、私は夕食に手を付けた。みんなが「美味しい」と口にしたけれど、最後の一口まで私はその美味しさが感じられなかった。
片付けを終え、自室に戻ろうとしたとき、土方さんに呼び止められた。
「話がある。ついて来い」
嫌な予感しかしなかった。
連れてこられたのは土方さんの部屋。入れ、と言われ、失礼します、と一言断ってから畳に足を踏み入れた。以前にも入ったことがあるが、やはり緊張する部屋だと改めて思う。
「あの、話って・・・」
「今日、新八と昼間に話していただろう」
「っ!!」
愕然とした。新八さんと昼間に話したことは一つしかない。制札事件のことだ。あの会話を土方さんに聞かれていたらしい。
「お前が制札事件に関与している、と新八は見ているらしいな」
「・・・はい」
「何故あいつがそんなことを言ったのか気になってな。あいつにも話を聞いた」
土方さんの口から語られたのは、昼間新八さんが私に言ったのとそう変わらなかった。私が急に現れたこと、新選組に置いてくれと懇願したこと、制札を抜く発言のこと・・・私に対して疑問や不信感を抱いていることが伝えられた。
昼間に直接本人から聞いたけど、改めて言われると、より悲しさを感じる。
「あいつの話を聞く限りじゃ、俺もお前が俺たちの敵なんじゃねぇのかって疑いたくなる」
「わ、私はっ!」
土方さんの言葉に否定しようとしたが、彼の言葉で止められてしまった。
「最後まで話を聞け。俺もお前を疑いたくなる。が、それはお前の意見も聞いてみてから判断することにした。いろいろ聞きたいこともあるしな」
「え・・・?」
「何故、あのときここに居座ることに必死になった?制札が抜かれることはないのかって言ったのは、単なる思い付きなのか?・・・お前、本当に記憶喪失なのか?」
最後の質問で私の心は揺らいだ。今まで黙っていた秘密を、私がこの時代の人間ではないことを言うべきか、否か。
「隠し事をしても、てめぇのためにならねぇぜ」
土方さんの目つきはいつもより鋭く、嘘をついてもすぐにばれそうな気がした。数秒の沈黙の後、私は口を開いた。
「土方さん、すみません・・・私、まだ言ってないことがあるんです」
「言ってないこと?何だ?」
強く握りしめた拳を見つめ、一呼吸おく。
受け入れてもらえるかどうかは分からないけど、真実を打ち明けよう、と真っすぐに土方さんの目を見た。
「私、この時代の人間ではないんです。・・・約130年後の未来から来た人間なんです!」
「・・・」
土方さんのこんな表情を見たのは私が初めてではないだろうか。
頭の上に「・・・」と浮かんでいるのが見える。よくアニメとかで見るやつだ。
固まって数秒後、左手で顔を覆いながらハァーと大きく溜息をついた。
「・・・ちょっと待て。未来だぁ?そんな馬鹿げた話があるか。・・・さてはお前、どこかの間者で、ごまかせねぇからって嘘を・・・」
「違います。私は本当に未来から来たんです!」
「証拠は?未来から来たっていう証拠はどこにあるんだ?」
証拠と言われても・・・未来から来た証拠などない。私がこの時代に来て新選組に助けられた時には着物だったし、スマホも置いたまま走り去っていたので持っていない。あるのは、この先新選組がどういう方向に向かって行くのかという記憶くらい・・・。
膝に置いた拳を握りしめながら頭をフル回転させる。
じんわりと額に汗がにじむ。
そんな私の様子を土方さんは腕を組んでじっと見ている。
何か、何か未来から来たという証拠になりそうなものはないだろうか。
小さな手掛かりでもなんでもいいから、何か・・・。
「あ・・・」
ふとあることを思い出した。そうだ、私はまだ「あれ」を教えてもらっていない。きっと彼らも知らないと思っているだろう。幹部しか知らない秘密。
「羅刹のこと・・・それなら知っています」
「!!」
羅刹という言葉を聞いて、土方さんは目を見開いて驚いている。
「変若水という液体を飲めば、羅刹になる。総長だった山南敬助さんもそれを飲んで羅刹になったんですよね」
「っ!何故山南さんのことを・・・」
「私が未来から来たからです。だから、私は山南さんのことも、羅刹のことも、鬼が襲ってきていることも、沖田さんの身体が良くないことも・・・全部知っています」
「・・・」
土方さんはさらに目を見開き、口を開けて信じられないという表情で私を見ている。
「これ、未来から来たという証拠になりませんか?」
彼は眉間にしわを寄せたまま溜息を一つ吐き、俯く。
「・・・未来から来た人間と会うのは初めてだから、何を基準にして判断すりゃいいのか分からねぇが・・・こっちの裏のことまで知るのは、間者でもさすがに無理だよな・・・」
ぶつぶつと独り言をつぶやいた土方さんは、再び私を見る。
「本当に、未来から来たんだよな?」
鋭い眼光が、嘘をついたら斬ると語っている。
「はい。本当です」
目をまっすぐ見て答える。その返答でようやく土方さんは信じてくれたようで、軽く頷いた。しかし、すぐに眉間にしわを寄せる。
「・・・何故、今まで言わなかった?」
「言っても信じてもらえないだろうと思っていたので・・・それに、変なこと言ったら斬られてしまいそうだし・・・」
「だが、俺は最初に話をしたときに、嘘をついてねぇかと確認したはずだが?そのとき言えばよかったじゃねぇか」
「だって、土方さんの目が怖すぎて、本当のことを言ったら余計怒らせてしまいそうで、言いたくても言えなかったんです・・・!」
膝の上に乗せてある拳をぎゅっと握りしめ、必死な思いでそう告げると、土方さんは呆れたような困ったような顔をしていた。
「・・・そんなに怖ぇか、俺?」
そりゃあもう!といった具合にこくこく頷くと、
「あの時は余裕がなくていきり立っていたのも事実だが・・・はぁ・・・助けた小娘を怯えさせるほど怖ぇ思いさせちまって悪かったな」
ため息を吐きながら土方さんは謝罪の言葉を口にした。あの土方さんが謝るなんて・・・驚いて目をパチクリさせた。
「それにしても、何故うちに置いてほしいと懇願した?未来から来たんなら、ここがどんなとこか知ってるだろう」
「それは・・・」
彼らの勇姿は未来まで語り継がれ、多くの人から愛されていること。
自分も新選組を愛している人たちの一人であること。
尊敬し、愛している彼らと同じ時代に生きることができるのであれば、危険だと分かっていても一緒にいたいと思ったこと。
たどたどしい説明にはなってしまったが、それら全てを自分の言葉で土方さんに伝えた。
「俺たちが愛され尊敬される存在に、ねぇ・・・」
土方さんは自嘲の笑みを浮かべた。
「今は京の人から疎まれているような俺たちが、そんなことになっているとはな。誰も考えやしねぇ」
「でも、本当ですよ。今はそう思われていたとしても・・・みなさんは歴史に名を遺す人たちなんです!」
「・・・そうか」
どういう気持ちでいるのか、表情からは全く分からない。
確かに、現状では彼らを嫌っている人は多い。今の立場を確立させるために、副長である目の前の人物は計り知れないほどの苦労を背負っていることだろう。
書籍やゲームでは語られていないことも多くあるはずだ。
人を守るために、世を良くするために生きている彼らの毎日の積み重ねが「今」だ。その「今」が未来の状況とは180度違うわけで。このギャップをどう捉えて良いのか、表情には出さないけれど、彼はきっと内心様々な思いを抱いているのだろう。
私が彼にかける言葉なんてものはなく、沈黙が破られるのを静かに待った。
「それで、未来へ帰る方法ってのは分かってんのか?」
ここに来てから、ただ暇をつぶしていたわけではない。
町に繰り出した時には関係のありそうな書物はないかと読んでみたり(字が難しくて読むのに苦労したけど)、最初に助けてもらった道を歩いて手掛かりはないかと探してみたり、他にもいろいろ試してはみた。素性を明かしていない以上、誰かに頼ることもできず、自分一人で、帰れる方法はないかと探し続けた。が・・・
「いえ・・・分かりません」
「そうか。ま、とりあえず、お前のことは近藤さんに話をしなきゃならねぇ。今後、お前をどうするのか、幹部に話をするのかはそれからだ」
ついて来い、と言われ、今度は近藤さんの元へと向かった。
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