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  1.


室内にいても聞こえてくる蝉の声。窓の外を眺めれば、すぐ近くに木はないはずなのに、一体どこから聞こえてくるのか。夏の間の7日間しか外に出られないからか、その存在を精一杯アピールするかのように鳴いている。
これは、外に出たら余計うるさいな。
そんなことを思いながら、れんは視線を室内へと戻す。前では、担任が進路のことや夏休みの補習についての話をしていた。

チャイムの合図でようやくホームルームが終わる。
思いっきり背伸びをした後、そのまま背中を椅子に預け、天井を仰ぐれんのすぐ横に、誰かが立つ。頭だけを横に傾ければ、親友の未来と目が合った。

「帰ろー」

その言葉にカバンを持って立ち上がる。

「ん。今日はどこ寄って帰る?」

高1のときに同じクラスになって以来、好きなものや趣味が同じだったり、価値観が似ていたりで、親友となったれんと未来。それぞれ部活に所属していたが、それもついこの間最後の大会を終え、引退した。それからというもの、放課後は暇になってしまい、毎日のようにどこかに寄って帰っている。スーパーのフードコートでパンを食べながら宿題をしたり、参考書を買う名目で本屋に寄ったのに気付けば漫画を買っていたり、話題のアイスクリーム屋さんに寄ってアイスを買ってSNSに載せたり。部活していた時には味わえなかった生活を満喫していた。
その流れで今日もどこかに寄るだろうと未来を誘ったのだが、いつもは笑顔で答えてくれる親友の顔が、今日は何だか曇っている。不思議に思い、理由を問いただしてみると。

「え?塾?」

「うん。まぁ私ら、一応受験生じゃん?今の成績だと第一志望ギリギリだからさ、親が塾に通えって・・・」

れんは衝撃を受けた。
高校の教師陣(特に学年主任)は、学校での授業をきちんと真面目に受けていたら塾や通信講座を受けなくても志望する大学に受かると言っていた。その言葉を信じるか信じないかは個人によるが、信じていたれんは塾には通わず、今まで真面目に授業を受け、部活で忙しいながらも予習復習を怠らなかった。そのおかげか、成績はそこまで悪くなく、この前の模試では第一志望はB判定だった。Bなら、コツコツ勉強すれば受かるだろう。そう思い、特に危機感を持ってはいなかった。
未来だって、第一志望はB判定だったと言っていた。教師たちの言う考え方も同じように信じていたはずだ。それゆえに、れんの受けた衝撃は大きかった。

「ギリギリって、Bだったじゃん。大丈夫じゃない?それに、先生たちも言ってたじゃん、塾通わなくてもって・・・」

「うーん。私もさ、Bだしいっかなーって思ってたのよ。でも、今Aじゃないとだめだって。うちの両親、そういうとこ厳しいから」

階段を降りながら呆れるように肩をすくめる。
そういえば、未来の両親は成績を気にする人で、いい大学に入っていい会社に入るのが一番の幸せだっていうタイプだったな、と下駄箱を開けながら思い出す。

「ま、そういうことで、これからは塾に通うからさ。時々一緒に帰れないけど、ごめんね」

「ううん。塾、がんばってね」

ありがと、と手を振りながらいつもとは反対方向に歩いて行く親友の背中を見つめる。ミーンミーンと四方から聞こえる蝉の声がやけに大きく聞こえた。




「っていうことがあってさ」

家に帰ってクーラーが効いた涼しいリビングのソファで英単語帳を見ながら、今日の出来事を母親に話した。キッチンで料理の味見をしている母は、まぁと声を上げた。

「未来ちゃんがねー。それなられんも通えば?」

味が良かったのか、嬉しそうにしながら火を止める。概ね、今日の晩御飯が完成したのだろう。手を洗って、リビングとキッチンの間にある食卓の椅子に腰かける。

「これ、今日のチラシに入ってたの」

どう?と言いながらピラッと見せてきたのは塾のチラシだった。ソファから椅子に移動してきたれんはそれを見ると、あからさまに嫌な顔をした。

「えー塾やだよ。私は学校の授業をちゃんと受けてるし、家でも勉強してるんだから、塾に通ってる暇なんてないって」

母からの誘いを一刀両断し、再び英単語帳に目を向ける。

「そう?でも、未来ちゃんと同じようにれんだってB判定だったじゃないの」

「いやいや。私と未来じゃ、志望大学のレベルが違うんだって。あいつは難関の有名私大。私は普通の国立」

「ふーん。でも、塾もいいところはあると思うけどねぇ」

「例えば?」

「授業形式でより分かりやすく教えてくれたり、試験の傾向を教えてくれたり、それに個別に指導してくれるところもあるみたいだし」

最初の2つはなんとなく良さそうな気がしたが、最後の1つで、れんの眉間にしわが寄った。

「個別!?うわ、それもう私絶対むり!とにかく、塾は必要ない!それより、ご飯食べたい!」

はいはい、と準備するために立ち上がった母親がキッチンに行ったあと、れんは先ほど見せられたチラシをもう一度見る。そこには、他の字よりも大きく目立つ色で『生まれ変わる夏!!』と書かれている。夏だけじゃ生まれ変われるわけがないし、私は生まれ変わる必要はないと一瞥し、そのチラシを端に避けた。




翌日、れんと未来は教室で弁当を食べながら、いつものように世間話をしていた。ふと、気になったれんが塾に行った感想を聞いてみた。すると、未来は明るい笑顔のまま答える。

「思っていたより良かったよ。授業形式なんだけどさ、内容が分かりやすくて、今まで苦戦してた問題も昨日すんなり解けちゃった」

なんということか。
あの、塾に行かないと誓っていた(大げさ)友人が、たった一回行っただけでこんなに変わるのか。頭のいい未来が解けなかった問題を簡単に解けるようにしてしまう塾とは一体どんだけすごいんだ。
これまで毛嫌いしていた塾に対する考えが大きく揺らいだ。今までは塾に行くという考えすら頭の中になかったのに、今の友人の一言で、塾っていいのかも?という考えがめぐっている。

「すごすぎる・・・塾ってそんなにすごいの・・・?」

「いや、昨日はたまたまそういうことがあっただけで、いきなり頭がよくなるわけでもないんだろうけど。今まで塾なんてって思ってたけど、通ってみる価値もあるかなって思った」

一晩で親友の考えをここまで変えてしまう塾とは。
人間とは不思議なもので、今まで頑なに反対していたことであっても、信用している人の言葉一つで考えが変わることもある。れんは今まさに、そんな状況だった。自分が信頼している友人がそこまで言うのなら、塾とはいいものなのだろう。




その日の夕方、帰宅してかられんは母親にその話をした。
塾っていいのかな、と昨日とは180度違う意見を話す娘に母親は驚いていたが、ふふ、とほほ笑んで、昨日れんが端に避けたチラシを持ってくる。

「それじゃ、ここ通ってみる?」

いざ通うかと聞かれると、うっとなってしまう。今まで行きたくなかった場所に行こうとしているのだから、それは当然ではあるのだが。
どうしようか、とチラシとにらめっこしていると、母が口を開く。

「最初はこれに行ってみたら?」

そう言いながらチラシをひっくり返し、指をさす。そこに載っていたのは。

「夏期講習・・・?」

「そ。夏休みの間だけ通うっていうので、回数も決まってるから、少し楽なんじゃない?」

詳しくその内容を見ていくと、期間は最短で5日。教科も一つから選べるようだ。
それなら通いやすそう、と一安心したところで、母から驚きの言葉が降ってきた。

「でもこれ、個別指導なのよね」

誰かに1対1で教えてもらうなんて、人見知りのれんからすれば地獄のようなものだ。集団で同じような講座はないのか、と母に尋ねるも、この塾で高校生の年齢だとないらしい。それならば未来が通う塾に行きたい、と言うも、親友の通う塾は月謝が高く、塾に通うならキャンペーンを行っているこのチラシの塾でなければいけないと断られてしまった。
いつもは優しい母親だが、お金がかかるとなると、いつもより厳しい口調になる。そして、そこに関しては母に勝つことはできなかった。
うなだれるれんをよそに、チラシを見ていた母が、あ、と呟く。

「個別指導だけど、ここは1対2もできるらしいわよ」

その言葉に、顔を上げる。

「1対2なら、あんたもいいんじゃない?」

よくはないが、幾分かマシではある。そこにする、と小さく呟けば、母もにっこり笑って頷く。

「明日電話するから、行きたい日にちと教科選んでおきなさいね」

そう言うと立ち上がって晩御飯の用意をするためにキッチンへと向かった。
もう一度チラシに目を移せば、昨日見た『生まれ変わる夏!!』の文字が目に入る。昨日はこの言葉を見てもマイナスなことしか思わなかったのに、なぜだか今はこの言葉が心の中にすんなりと入ってくる。

「私も未来みたいに少しでも変われるかな・・・」

苦手な教科や分野を少しでも得意にできるかもしれない。次の模試では余裕でA判定が出るかもしれない。そう期待を込めながら、日にちと教科を選んだ。



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