ミルキーウェイ! | ナノ





風も優しく凪ぐ晴天のこの良き日。わたくし達は卒業式致します。

想いを告げると決めた日から今日までどのような形で伝えるか試行錯誤しました。

式典が始まる前にわたくしは卒業アルバムの最後の寄せ書きページを先生に彩ってもらうべく、アルバム片手に職員室へ訪れました。しかし職員室を見渡してもモモ先生の姿はなく、どうしようかと入り口に立ち尽くしているとわたくしの脇をアララギ先生が通ったのでモモ先生の所在を尋ねる。すると、社会科準備室にいるかもしれないから行ってみるといいという助言を頂いたので、ありがとうございますと言ってお辞儀をするといつもの明るい調子で卒業おめでとうと言われた。

嗚呼、卒業、か。
しかしまだあまり実感がわかず、わたくしに向けられた言葉のはずなのに何故か他人事のように感じてしまう。どうしていいか分からず居心地が悪くなり、アララギ先生に軽く会釈をして早々に職員室から逃げるように退室した。



モモ先生は社会科準備室。
あのコーヒーをご馳走になったあの思い出の部屋。先生はそんな風に特別な記憶としては認識していないかもしれませんが、わたくしにとってはとても大切な思い出の一つ。先生との大切な思い出の、ひとつ。

わたくしは準備室の前に立ち、ノックをする。いち、に、さん。


「モモ先生、いらっしゃいますか?」

「はーい、どうぞー」


室内からはわたくしの大好きなモモ先生の声が聞こえてきた。透き通ったソプラノボイス。声を聞くだけでぎゅっと心臓を鷲掴みにされたように締め付けられる。それを紛らわすように持っているアルバムを握る手に力を込めてから扉に反対の手を掛け、開く。


「やっぱりノボリ君だ」


先生はふんわりと笑って、声でノボリ君じゃないかと思ったんだよと言った。


「これ、書いて貰っても」

「ああ、卒業アルバムの寄せ書きね!ちょっと待ってて、ペン探すから」


パタパタと机に向かって音を立ててペンを探す先生の後ろ姿をぼんやり眺める。
思い返せばわたくしは先生の後ろ姿ばかり見つめてばかりです。
わたくしには先生を追い掛けてばかりですね。視線でも、足でも。

そしてわたくしはポケットに忍ばせたノートの切れ端があることを指先で探し確認する。


「インク出るかな」


久しぶりに使うから、と笑いながら無邪気に言う先生はきゅっと音を鳴らして少し捻るようにしてペンのキャップを外した。そしてわたくしのアルバムの寄せ書き覧にペンを走らせる。さらさらと動かした後には黒い線が引かれ、文字を成していく。同級生のメッセージの横に先生の綺麗な字が並んだ。

“卒業おめでとう!いつも授業の準備等手伝ってくれてありがとう。自分の夢を信じ、持ち続け、これからも努力して下さい。応援しています”

ここでやっと卒業なんだ、という実感がじんわりと沸いてくるのを感じた。もう4月からは先生に会えない。そう思うと悲しくて、悲しくて、呼吸すら上手く出来ていないのではないかと疑うくらいです。


「卒業おめでとう、ノボリ君」


先生はわたくしが胸が切り裂かれるくらいの悲嘆に苦しんでいる露知らず、いつもならわたくしに元気を与えてくださる笑顔を湛えた。それがわたくしを余計に苦しめる。ですが、これは渡さなければ。もう一度ポケットにしまっている紙片に触れ、握った。


「先生。わたくし、まだ先生に伝えていないことがあります。聞いて下さりますか」


先生はこくりと頷いた。わたくしと先生の間に流れる空気は緊張し、お互い体に力が入り強張る。


「わたくしはずっとこの気持ちをお伝えしていいものか悩んでおりました。迷惑だということも重々承知でございます。しかし伝えさせて下さいまし。……わたくしは先生が好きです」


そしてポケットの中で待機していた紙片を外気に晒した。


「今日、わたくしはここに書いてある時刻の電車に乗車致します。それを返事にして下さいまし」


それでは失礼致します、と告げ机の上に置いてあるアルバムを取り上げ、代わりに手に握っている紙を置きわたくしは部屋を出ました。





それから卒業式に出て、最後のHR。涙を流して別れを惜しむクラスメイト達。わたくしもその輪の中に入り話しておりましたが、先生のことが気になってしまい会話に集中できませんでした。
そして段々とクラスメイト達は帰っていきました。クダリはわたくしの肩を叩くだけで、何も言わず教室を出て行きました。いよいよ教室にはわたくししか残っていません。教室の壁に設置されている時計を見やり、そろそろ時間だと思い教室を出る。
校内にはもう殆ど生徒が残っていないのかとても静かでした。

この廊下を先生と並んで歩いた。その時わたくしは手を繋いで歩くことを望んだ。歩く足が段々と重くなっていく。
こうして校内を歩くのはもう今日で最後。寂寞たる思いが突如としてわたくしを襲い、目頭が熱くなりました。



玄関で靴を履き、駅へ向かうわたくしは落ち着いていました。どんな結果であろうと先生の気持ちを受け止めるつもりでの告白でしたので。一歩ずつ踏みしめるこの道も、もう歩くことはないのでしょう。さようなら、さようなら。

そして、駅。
帰宅ラッシュだからか改札からは人が沢山出てきた。人の流れに逆らうようにして、定期券を使い改札を抜ける。定期券に刻まれている日付は今日。定期券を鞄の外ポケットに入れ、ホームに立つ。夕暮れの空が構内を赤く染めている。携帯電話を取り出し、時間を確認してみると予定の列車が来るまであと5分。先生がここに来てくれなければ玉砕。まあ、先生はわたくしのことを恋愛対象として見てくれたことがあるか、と言えばきっと無いでしょう。わたくしと先生は、生徒と教師なのですから。
寒さも一時期と比べれば和らいできた今日この頃。それでも寒いと感じるのはわたくしの心にぽっかりと空いた虚無感からでしょうか。
何か弄っていないと落ち着かず、ひたすら携帯電話を開けたり閉じたりを繰り返す。
そうこうしているといつの間にか時間。構内にまもなく列車が来るというアナウンスが流れた。

先生は来ない。
自分はフラれたんだという結論を出したわたくしは鞄を背負い直してた。
そして、列車がホームに入ってきて扉が開く。わたくしは横にずれて下車する人を見送り自分も乗車しドア付近に立った。

この列車が発車すると同時にわたくしの恋は終わるのですね。
目蓋を下ろし、わたくしは心の中でこの1年を特別なものにしてくれた――世界を鮮やかにしてくれた恋に別れを告げました。

発車のベルが鳴り響くのを聞き、本当の自分の気持ちに気付く。
嗚呼、どんな結果になっても受け止めるつもりでしたのにここにきて認めたくないだなんて。やはりどれだけ背伸びしてみてもわたくしはまだ子供なのですね。先生とまだ一緒にいたい。もうこれで会えなくなるなんて嫌だ。
涙が込み上げて来るのを感じ、ぎゅっと眉間に皺を寄せて堪える。



――その時突然腕が引っ張られ、電車から降ろされたと同時に目の前で扉が閉まった。
ゆっくりと動き始めたと思うとわたくしを置いて走り去る列車。何もかもが一瞬の出来事で唖然とするわたくし。


「間に、合った……」


振り返ればそこには息を切らしているモモ先生の姿が在った。


「なんで」

「返事、しにきた」


肩を揺らしながら浅い呼吸を繰り返す先生は今迄で見てきた中で一番真剣な眼差しで、わたくし蛇に睨まれた蛙のように身動きひとつ取れず呼吸をするのすら忘れそうになりました。


「ノボリ君は生徒、私は教師。それは理解してるよね?」

「はい」

「……でもノボリ君は今日で卒業。もう私の生徒じゃなくなる」


先生はふんわりと笑った。


「私も好き」


堪え切れずに涙が一筋頬を伝った。


「わたくしとお付き合いして下さりますか」


「喜んで!」


先生をそっと抱きしめて思う。
今までは追いかけてばかりでしたがわたくしは漸く貴女様に追いつき、並んで歩けるのですね。

沈み行く夕陽がわたくしと先生を赤く同じ色に染めていきました。


End