※藤原紗耶(ふじわらさや)


「16時28分。―――御臨終です」

この日私は。


―――世界から静かに姿を消した。


「I never fail to go meet you」

10月の某日の夕方。色とりどりの紅葉がその葉を散らせ、人々を物悲しい気持ちにさせる秋に。

私、藤原紗耶は―――死んだ。

世界の人口が70億人を超える中、私みたいな人間が一人いなくなった所で世の中に大きな変化はない。今こうしているどこかでも、一つの尊い命が失われ、そして誕生している事だろう。

「命」の価値はどれ程の物なのか―――。

それは、周りにいる人間によって変わる。

自分を心から愛し、大切にしてくれる人がいればいる程に、「命」の価値は上がって行く。
逆に無に近い程―――それは無価値と言えるだろう。

残念ながら私には、一人もそんな人間が傍にはいなかった。

私を命の果てに突き落とした病の名は、白血病。小さい頃に一度患った物が、再発した物だった。
……それからだ、周りが変わり始めたのは。

学校の友達、担任の先生。いつも笑い合っていた仲間達。
日々病室に交代で足を運び、私を笑顔で満たしてくれていた。
……だが、その足は日に日に途絶え、今では顔を見る事はない。

両親は私が病気を再発してから喧嘩が堪えなくなり、父親が家を出て行った。母親はショックのあまり鬱になり、今でも精神科に通っているらしい。

―――何も、何もない病室。
笑顔、声、全ての音が。光が。消えた。消えた。

闇に落ちて、そこからはい出ればまた新たな闇。

幽体となったこの瞬間も、私の世界は深い闇。

どうして。どうして来てくれなかったの。
お父さん、お母さん。私、ずっと待ってたのに。

一人きりの病室で血を吐いては何度も無情感に襲われ、自分の命を絶え絶えに繋ぎ止める点滴をちぎって投げ捨てていた。
それでも明日こそ、明日こそ―――。きっと姿を見せてくれると、信じていた。

―――なのに。

私の命が燃え尽きるその瞬間まで、両親が現れる事はなかった。
担当医と看護師、そして無機質な音に見守られながら息を引き取った。それはもう、耐えられない程の寂しさと悲しさに包まれていて―――。

お父さん、お母さん。

二人が来てくれなかったから、私はまだ暗い闇の中なんだよ。
私に僅かでも構わないから―――。


光をください。


***

「〜〜〜〜」

聞き取れやしないくぐもった声が反響する。
木魚の音がすっと心に沁みた。

「……」

私がこの世を去った次の日、町のはずれの小さな建物で私の葬式が密かに行われていた。
葬儀に参列していたのは、担任の先生や制服に身を包んだ友達やクラスメイト。ぐすぐすと涙を流し、皆みんな嗚咽をもらしていた。

くるっと何となく会場を見渡す。

ふ、と視界の端に見知った色が飛び込んで来た。

その光景を見て私は、一瞬何が起こったか理解できなかった。

「……っ」

両親が、いる。

親族が座る席の1番前に、喪服をきっちりと着こなした両親がまるでさも当然の様にそこにいた。

心臓がどくんと脈打つ。

思考が働かない。
解決出来そうもない疑問が次々と浮かんでくる。

―――どうしてここにいるの?

―――私の事何て、どうでも良かったんじゃないの?

混乱状態に陥る私を無視して、葬儀は淡々と進められていく。

やがて耳障りな程に鳴り響いていたお経が途切れ、別れの言葉に移った。

両親は互いに目配せをし、一枚の紙をポケットから取り出すと立ち上がった。

そして私の遺影の前に立つと、憶測ない手つきで手元の紙を開く。

―――今更何を言うつもりなの?

大して期待も出来ない。聞かずに帰ろうかとも思ったが、最後の機会なのでとりあえず耳を傾ける事にした。

「紗耶へ」

母親が紙―――もとい手紙を読み出す。
いつもよりオクターブ低い声に、背筋がぞくりとした。

「これがあなたへの最後の手紙になります。
私達はまず、あなたに言わなければならない言葉があります。


……ごめんなさい」

「!」

少し掠れた様にも聞こえる謝罪の言葉に、何故か頭を鈍器で殴られたかの様なショックを覚えた。

母親は肩を小刻みに震わせ、父親は顔を上げずに俯いている。

「あなたが白血病を再発した時、本当に心配で心配で胸が張り裂けそうでした。でも、お父さんと喧嘩が堪えなくなって、私も鬱病になってしまって……」

「……」

―――そんなの、都合の良い言い訳じゃない。

素直に、なれない。

私の心が受け入れようとしない。

「それでも何とか鬱病治療をして、お父さんとあなたの病室に行く約束をしました。―――けれど」


時は既に遅く。




「あなたは、数分前に息を引き取っていた―――」

……え?

何、なに、ナニ。
何を言ってるの?



イミガワカラナイ。




目眩がする。

「あれから私達は、激しく後悔しました。どうして、もっと早くあなたに会いに行かなかったのか。どうして、あなたの事を一番に考えず、自分達の事を優先していたのだろうか―――」


―――。



「私達は本当に駄目な両親でした。でも、大切な一人娘のあなたを誰よりも愛していました。

ごめんなさい。

そして、


紗耶。

生まれて来てくれて、本当にありがとう―――」

ぽつり、と雫がお母さんの瞳からこぼれ落ちた。
お父さんも嗚咽を抑える様にワイシャツの袖口を目元に押し付ける。

「……っ」

お母さんの言葉が一つ一つゆっくりと心に落ちて。

まるで紙に水が吸い込まれる程に、簡単に。

気がつけば私も泣いていた。
聞こえない声を張り上げて、止まる気配のない雫をぶっきらぼうに拭って。

お父さんとお母さんの前にそっと降り立つ。
姿が見えないとか、声が聞こえないとか、関係ない。

そこに『いる』という事実が存在しているだけで良い。

『お父さん、お母さん』

私はお父さんとお母さんの手をそっと握り、静かに語りかける。

『お父さんとお母さんが来てくれなかったの、凄く悲しかったし、寂しかった。ずっと私の世界は暗闇のままだった』

けれど、今は。



頭上から柔らかな光が一本、降り注いでいる。それに包まれる様にある螺旋階段。きっとあれを登れば……私は完璧に消滅するのだろう。

でも、怖くないよ。

だってあれは、お父さんとお母さんのくれた光だから。

『私を産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。―――私のために泣いてくれてありがとう。また新しい命を授かって、必ず会いに行くよ』



―――さようなら。



そして私、『藤原紗耶』はこの世界から姿を消した。


***


20年後。

「えーっと、藤原さんのお宅は……っと」

私は佐藤咲。今年で19になる。
夢だった訪問看護の仕事につき、毎日がかなり充実していた。
今日訪問するのは、藤原さんご夫婦のお宅。二人とも体が不自由なため、夫婦で世話をしてもらっているらしい。
初めての方との触れ合いに、私は少し緊張していた。

「んー……。あ、あった。ここね」

赤い屋根の、小さな木造立ての家。まるで小人が住んでいる様な雰囲気で、とても可愛らしい。

着ている服を整え、チャイムを鳴らした。

ピンポーン。


「はーい」

数分後、少し小さめな老夫婦が顔を出した。

「あらいらっしゃい、待ってたの……よ……」

しかし、私の顔を見た途端に二人は目を丸くして驚いていた。
まるで、信じられない物を見た様な……。

「あの……どうかなさいましたか?」
「紗、耶……」
「えっ……」

お婆さんは聞き慣れない名前をぽつりと呟いた。
私は訳が分からず、混乱するばかり。

「紗耶……?」
「いえ、私は咲ですけど……」
「あなた、紗耶にそっくりだわ……。ねぇ、ちょっと抱きしめさせて貰っても良いかしら……?」
「あ、はい。構いませんよ」
「あの、ワシもええか?」「どうぞ」

二人に優しく抱きしめられる。
初対面の人に抱きしめられているのに、不思議と嫌な気はしない。むしろ―――。

懐かしいとさえ感じる。

私の口が、勝手に動いた。


『必ず会いに行くって、言ったでしょ?お父さん、お母さん』

その言葉は、穏やかな日の光の中にゆっくりと溶けて消えた。

END
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