病床のプロポーズ
  それは、絶望的で未来なんてないものだと分かってはいたけれど。
    それでも俺は彼女を愛していたんだ。


「杠葉、具合はどうだ?」

俺はいつものように恋人である佐伯杠葉の病室を尋ねた。
訪問に気づいた彼女は顔を上げて嬉しそうな表情を浮かばせた。つい先程まで手紙を書いていたらしく、レターセットとシャーペンが机の上に転がっていた。

「ん、今日は大分いいの。先生にもそう言われちゃった」
「そうか。じゃあ散歩にでも行くか?今日は天気がいいんだ」
「是非!ふふ、自分で歩けないのは嫌だけど、外に行くのは楽しみだなぁ」

もう自分では歩けないほど病が進行してしまっている。彼女を車椅子に乗せて、病院の周りを歩いた。
体調の良い時しか外出できない彼女。最近は具合が悪い日々が続いていたため外に出るのは久しぶりだ。
杠葉は柔らかな風を心地よさげに受けていた。

「やっぱり外はいいですね咲楽さん。私、病気が発病する前は何とも思っていなかったこの風景が今ではもの凄く美しく思えるんです。咲楽さんが傍にいてくれればもっともっと。この美しさがもう少しで見れなくなっちゃうなんて嫌だなぁ……」
「縁起でもないこと言うなよ。杠葉はこれからもずっと俺と一緒にこの風景を見るんだ。退院したらもっと綺麗なところへ連れて行ってやるよ。お前の好きな花畑だって、どんなところだって連れて行ってやる」
「ありがとう、咲楽さん」

自分ではそう言ったけれど、彼女の命がもう余命僅かなことはよく分かっている。
出会った頃に比べて随分と痩せ細ってしまった彼女の姿を見ると胸が詰まった。病魔は確実に彼女の命を削り取っていく。ああ憎い。俺だったら良かったのに。
その思いを口に出すと彼女は決まってこう言った。咲楽さんが私と同じ状態だったら、私も咲楽さんと同じように思いますと。
彼女は決して弱音を吐くことはなかったし、ましてや泣くこともなかった。懸命に病と戦っていたがもう限界だった。手術という手もあるが成功する可能性は一割にも満たない。

佐伯杠葉という人間はいたって優しく善良な人間だった。俺の周りの人間は腐っていてどいつもこいつも信じられないような奴だった。しかし、彼女に出会って彼女を信じられるようになった。次第に他の人間も信じられるようになっていったのだ。
今の俺があるのは、全て彼女のおかげだった。俺の大部分は彼女で占められていると言っても過言ではない。
そんな杠葉が目の前から消えてしまうことを俺は受け止められないし、嫌だった。何よりも彼女に生きていて欲しいのだ。

「杠葉、生きろよ」
「……うん」


彼女は悲しげに頷いただけだった。
彼女がいなければ、この風景も世界も全て色褪せてしまうのに。



彼女はいつものように机に向かって手紙を書いていた。誰に何をそんなに書いているのか一度聞いてみたことがあるが、教えてはくれなかった。
手紙をかきながらイヤフォンで何か曲を聴いているようだった。その為、俺が近づくまで訪れを気づくことができなかった。
穏やかな笑みを彼女に見せながら用意されていた丸椅子へ腰掛けた。開いた窓から心地よい風が入ってくる。

「何の曲を聴いてるんだ?」
「月光です。いとこに叶琶って子がいるんですけど、叶琶がプレゼントしてくれたんです。将来のピアニストって期待されてるあの霧在美弦くんが弾いたものなんですよ。叶琶の同級生なんですって」
「へぇ。凄いな」

霧在美弦といえば幼いころからピアノの才能をみせ世間を騒がせている天才少年だ。既に海外の大きな数々のコンクールで優勝していた気がする。そんな霧在美弦が彼女のいとこの同級生だったとは。
彼は確かCDなんてものは出していないはずだから、いとこが特別に用意してくれたものだろう。
彼女の様子から見るに、叶琶といういとこを本当に可愛がっているようだった。霧在美弦と同級生としたら、今は15歳か。彼女の6歳年下だから妹のようにでも思っているんだろう。

「咲楽さん。大事な話があるんですけど」
「大事な話?」

耳につけたイヤフォンをとって俺を真っ直ぐ見つめた。
初めて出会った時からその瞳の真っ直ぐさや輝きは変わっていない。以前のままだ。

「無責任なことです。保証も出来ないません。けど、けどもし退院出来たら……私を貴方の妻にしてください」
「……っ杠葉」
「私は明日生きられる保証も出来ないっ。退院する可能性も正直ないと思う…っ。けど、けど退院できたら私は貴方と共に生きたい……!咲楽さんの隣で笑ってたい…っ」

彼女の瞳から涙が溢れた。俺が出会ってから初めて目にする姿だった。
同じように愛しさがこみ上げてきて、彼女を優しく抱きしめた。
嗚咽を漏らしながら、彼女は俺の腕の中で初めて泣いた。すがりつくように。

「咲楽さんと結婚して幸せを感じたいし、支えたい。いつか子供が出来たら色々なことを教えてあげたいし、いっぱい愛を与えてあげたい。成長したら喜びを感じたいし、老後だっていつまでも仲良く暮らしたい。長く長く、ギネスにだって登録されちゃうほど生きたい…っ」
「うん」
「迷惑をかけるに決まってる。分かってるけど、咲楽さんはこんなふうになってまで以前と同じように私を想ってくれた。だから、これからもその愛を感じてたい。ねぇ、咲楽さん。私はどうしようもない奴だけど咲楽さんが大好きなんです」

涙がシャツを濡らす。そっと体を離し、ポケットに忍ばせていたものを取り出した。俺を同じことを考えていたのだ。
それを彼女に手渡した。涙でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチでついでに拭ってやる。それを手にして開けた途端、彼女の目が大きく見開いた。

「咲楽さん…。これっ」
「同じことを考えてたんだ。杠葉、俺と結婚してください」

それとは指輪。プロポーズの言葉は有り触れたものだったけれど、俺の気持ちを表すには十分だった。
また涙を溢れさせて彼女は笑った。嬉しそうに。左手の薬指に輝く指輪を通して。

「はい…っ。大好き、愛してます咲楽さん…っ」
「うん。俺も愛してるよ、杠葉」



「これ、杠葉の荷物から出てきたものよ。貴方宛。本当に咲楽くんのこと大好きだったのね」

その言葉とともに彼女の母からもらった物。それは手紙だった。
彼女は結局退院することはなく、その数日後に息を引き取った。もう彼女はこの世界にいないのだ。俺の世界は色褪せてしまった。
結婚しようと言っていたのに。結婚することないまま彼女は先に旅立ってしまった。
杠葉を失った悲しみで沈んでいた俺に彼女の母である有穂さんが見かねて届けてくれたものが手紙。
涙で薄ぼけた視界の中、愛しき恋人からの手紙をそっと開いた。

『咲楽さんへ。
この手紙を読んでいるときは私はもう死んでしまっていると思います。結婚しようって言ったのにごめんなさい。私、やっぱり叶わないことだったけど咲楽さんの妻になりたかったよ。
咲楽さんに伝えたいことがいっぱいありすぎて、まとめるのに困っちゃった。これを完成させるのに何回も書き直したんですよ。頑張ったんだから、いつか褒めてくださいね。
伝えたいことはいっぱいあるけれど、書ききれないから限定しておきます。
咲楽さん。私の分まで生きてください。私が死んだからって後を追うように死んじゃ絶対に嫌ですよ。ちゃんと天寿を全うした時に会いましょうね。会えるの楽しみにしてます。その時にいろいろと聞かせてください。咲楽さんの話は面白いですから。
あとお墓には私の好きなカスタードマフィンと桜の花を備えてくださいね。マフィンシリーズの新作が出たらそれも追加してください。
そうだ、あとは咲楽さんに子供が出来たらピアノ習わせてくださいよ。美弦くんの演奏聞いて感動したんですよね。良いですよピアノ。絶対。叶琶から貰った月光、同封しますから聴いてみてくださいね。
咲楽さん。ここからが本題です。私の最期のお願いです。今まで色々なお願い事を聞いてもらってきたけどこれが本当に最後です。最後だから絶対にきいてくださいね。
貴方は私のことなんて気にせずに幸せになってください。私にいつまでも縛られていないで自分の幸せを見つけてください。妻になりたいって言った奴が言うことじゃないと思いますけど。
他の人を愛すなんて正直妬けます。けどそれ以上に幸せになって欲しいんです。だから誰かを愛して、結婚して、幸せになって。私のことを忘れても構いません。辛いけれど咲楽さんの為なら大丈夫です。乗り切ってみせます。
ねぇ、咲楽さん。最後にだけ少しだけ弱音を吐かせてください。私、死ぬのが怖かった。咲楽さんの前では強い女でいようと思って弱音を吐いたことはあんまりないけれど、死ぬのがすごく怖かったの。明日生きられる保証もなくて、毎日毎日明日に怯えてる。毎日訪ねてきてくれる咲楽さんの顔が見れなくなると思うとどうしても嫌だった。生きたいと願ってしまった。
初めて会ったときのことを覚えてますか?私がまだ大学生になったばかりの頃。その頃咲楽さんは社会人1年目。お互いまだ新しい環境にどきまぎしている時ですよね。
偶然会って、くよくよしてた私を慰めてくれて……嬉しかったです。多分一目惚れだったんだろうなぁって思います。
咲楽さんはカッコいいから彼女の座を勝ち取るのに苦労しました。私が恋人で良かったって思ってますか?私は咲楽さんが恋人で本当に良かった。感謝してます。
どうしようもない私を好きになってくれてありがとう。恋人にしてくれてありがとう。プロポーズしてくれてありがとう。
咲楽さん、大好きだよ。だからどうか、その時私がいなくても幸せになってください。    佐伯杠葉』

涙が溢れて手紙に染みをつくる。俺を手紙をかき抱いてただただ泣いた。

「杠葉…っ」

杠葉。
俺はまだ、お前以外の他の誰かを愛すことなんて考えられないけれど。
いつかきっと幸せになってみせる。そして、いつかきっと会って話そうな。もしその時が来たら、俺は1番最初にお前に会いにいくよ。
杠葉、俺は十分幸せだったよ。ありがとう。愛してる。
今はまだお前を想い続けるけど、それくらいは許してくれ。

なぁ、愛しき人よ。   end

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