サンザシの花が咲く頃に


彼の背中にあるサンザシの刺青。

哀しく美しいこの世界に、私は貴方と共にある。




Act1 彼と私

「―――だって、あなた、ここなは…じゃないのよ。愁人と上手くいっているだけでも―――」



できるなら、永遠にこのままでいたかった。

運命を呪いながら、貴方を愛していたかった。


それでも、失うことに耐えられなかった。



二人だけの愛しい日々が、ゆっくりと溶けていく。






「ここな、まだ残ってたの」

左耳のピアスをいじりながら、形の良い唇を動かして、その男が教室に入ってきた。



藤宮愁人(しゅうと)。

私の双子の兄。



夕暮れでオレンジの教室、ちょうど陽が差し込む教室の後ろのロッカーの上に、私は座っていた。

放課後の閑散とした空気の中にあった私の意識を、唐突に愁人の声が引き上げる。


綺麗な色をした、静かな世界。

それが愁人が現れたことによって、キラキラとした、色のついたものに変わる。


さっきまで美しいと思って見ていた夕焼けがすでに色あせている。

どこをきれいだと思っていたのかもう、思い出せない。



「…なに、愁人こそまだ残ってたんじゃない」

「んー、ちょっとお誘いがあったのよー」

「相変わらずの絶倫ね」

「なにそれ、誘ってんの?」

「何がよ」

思わず視線を上げて愁人を見る。



と、途端に大音量で鳴り出す愁人のケータイの着信。




「…出なさいよ」

「んー」


私をちらりと見てポケットからおもむろに黒の端末を取り出すと、電話に出る愁人。

…気になるなら電源切っておけばいいのに。




「もしもーし」


相変わらず間の抜けた口調だ。

のらりくらりと猫のように暮らしているこの男。

いつかどこかの女とかに刺されるんじゃないだろうかと常々思う。



と、聞こえてくる電話の向こうの女の叫び声。

それを聞いて顔も知らない女をバカだなぁと思う。


そういう叫んだり喚いたりが、この男は一番嫌いなのに。



「はぁ?てかオマエ誰?マコ?ユミ?」


気まぐれな口調が豹変して、顔を歪めながらそう言う愁人。


―――『桜よ!』、黒の端末からはそんな声が聞こえた。

今どきの女の子の声で、怒っていなければ本当はもっと可愛らしい声なのだろうと思う。



と、目の前に歩いてきた愁人の、整った顔が近づいて来て。

唇が重なる。



愁人の漆黒の切れ長の瞳が私をじっと見つめたまま。


心が、どうしようもなく震えた。



「あ?…もういい、オマエ、要らない」

ゆっくりと離れた赤い唇が動いて、電話が切られた。

再び教室に流れ出す静寂。



はぁ、と愁人の口からため息が吐き出されてそれが私の耳に当たる。

背筋がぞくぞくした。


目の前の愁人をじっと見つめる。

身長差は30センチ以上ある。

愁人が183もあるから、少しでも近くなるようにいつも靴屋でヒールの高いのを買ってしまう。

だけど、今は私がロッカーの上に座っているから、身長差と言う名の距離は埋められて、ちょうど同じくらいの目線。



「ここな、本当は俺のこと待ってたんだろ」

「…自意識過剰よ」


緩く口元を歪め、黒く襟足の長い髪を揺らして、私を見つめる愁人。


―――私の男。

ただ一人の男。

そしてただ一人の、兄。


そう思って、瞳がうるんだ。


「いや、待ってただろ。おまえはそういう女だよ。そういうところが、放っておけないんだ」


あ、今の愁人、好きだ。

私のことなんて全てお見通しだというような愁人。




と、愁人の顔が私の肩口に埋められる。

その感覚があまりにリアルで、そして切ない。


首のあたりで動く、愁人の後頭部に手をやって、ぼんやりと教室を眺める。



「いけないね、私たち」

「…まぁ、双子だし。顔は似てないけどなー」


愁人の言う通り、顔はまったく似ていなかった。



愁人は髪も瞳も真っ黒で、私は髪も瞳も茶色がかっていた。

愁人は少し長めの髪に緩いパーマをかけているけど、私は自然な巻き毛だった。


昔そのことでよくからかわれたけど、結局は相手が愁人にとても言葉に出して言えないような報復をされて終わっていた。

ただひたすら愁人に守られていた。



兄だった。

だけど同時に一人の男だった。


どっちも捨てられない私は、両方とも半分ずつ手にしている。

世間的には兄妹という枠に押しこめられた、ハリボテの藤宮愁人と藤宮ここな。




「しゅうと」


二人で夕焼けの中に溺れ、私は男の名前を呼ぶ。

いつの間にか私の赤いネクタイは取り去られていて、愁人もカッターシャツを脱いでいた。


するりと滑り落ちたシャツからは香水の香りと、煙草の匂い。

愁人が吸う煙草はJPSか、Koolと決まっている。




「しゅうと」

兄妹という仮面が剥ぎとられて、本当にただの男と女になる。

私は貪欲だ。

どこまで行ってもこうして、愁人を求めている。



「なに?」

「…これ、」


相変わらずの体制で抱き合ったまま愁人の方に顎を乗せて背中に腕を回す。

指を伸ばして、愁人の刺青にそっと触れた。


「どうして彫ったの?」



黒い墨を入れられた、愁人の背中の左上。

そこに描(えが)かれた直径9センチほどの、美しいサンザシの花。

未成年はショップに入れてもらえないけれど、愁人が15の時、パパの知り合いの彫師に特別に入れてもらったものだ。


「…秘密」

「じゃあ、痛かった?」

「うーん、それなりには。急にどうした?」

「…ううん、何でもないの」


呟いて、愁人に溺れた。



もうすぐ、愁人と私の18の誕生日がくる。

大人に、なってしまう。

永遠に、二人きりで、居たかった。

二人だけだった世界が、ゆっくりと、音を立てて崩れ始める。






Act2 砂糖漬けの、

放課後の教室で、愁人と散々抱き合ってから、家に帰った。


うちは割と裕福な家庭だ。

パパは外交官で、ママは専業主婦。

ちょっとした豪邸に、パパとママと私と愁人で住んでいる。




愁人が金色の鍵を開けて、ドアを押し開ける。

そして先に私をぐっと中に押しこめて、愁人も玄関に入る。


そうやっていつだって女として、私を優先して、大事にして守ってくれるんだ。

だからやめられない。

愁人を。

どんなに、愁人がほかの女の人と抱き合おうと、分かってしまっているから。

愁人が一番大事にしてくれてるのは私だってことを。




「あれ、母さん居ないのか」

「ママは今日はパパとパーティーでしょ。ほら、高円寺さんのところの」

朝聞いていなかったの?と言おうとしてやめた。

朝に弱いこの男が聞いているはずも無いなと思ったからだ。



「高円寺?へぇ、まだくたばってなかったの、あのジイさん」

「あら愁人、不謹慎よ」

「なに、お前も嫌いだろ」

「ふふ、そうかもね」



そんな会話をしながら階段を上って、二人で二階の寝室に入った。

双子だから、という理由で私たちは20畳近くある部屋を二人で使っている。


壁一面の窓のカーテンが閉まっていなくて外は夜の空気を完全に纏っている。



カバンをラグの端に放り投げてクローゼットを開いた。

私が制服を脱いでジェラーレースのミニドレスに着替えている間、愁人はベッドに腰掛けて煙草を吸っていた。


「ここな、また痩せたんじゃねぇの」

「痩せた私、嫌い?」

「…別に、嫌いじゃないけど」

「じゃあ、好き?」


振り返って、愁人を見つめた。

漆黒の瞳が私だけを見ていて、もう死んでも良いのではないかとすら思った。



「好きだよ」


愁人の声が、空気を震わせた。

初めて言われたわけじゃないのに、息をするのを忘れるくらい、愛しいと思った。




そんな私を見て、愁人は少し切なそうな顔をする。

でもすぐにいつもの私にだけ向けられる優しい顔になって、


「おいで」

細く長い腕を広げた。


吸い込まれるようにふらふらと歩いて、その腕にすっぽりと包まれた。

そして唇は静かに触れ合った。

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私が作ったお夕飯を二人で食べて、一緒にお風呂に入る。

映画を点けて、それを観ながらソファで一緒に紅茶を飲む。


そうして二人でベッドに潜りこんで、一緒に眠る。



こんな日々が永遠に続けば良いと思っていた。

でも続いてくれやしないことを私は分かっていた。


ごめんなさい、愁人。

恐かったの。

私を造ってきたすべてを失うことが。


それでもこんなに貴方を想ってる。




Act3 愛してる


5月の2週目に差し掛かった頃から、愁人の様子が少しだけ変になった。

すごく小さな変化だけれど、私は見落としたりはしなかった。


たとえば、じっと私の顔を見て切なそうにしたり。

私の頭を撫でる手がいつもより酷く優しかったり。


あとは、煙草の量が明らかに増えた。

もともと、2日で1箱くらいのペースだったのが倍くらい吸っていたり。


とにかく、いろいろおかしくなった。





「愁人、ママが、明日の誕生日ケーキ、マリノのアールグレイで良いわよね?って」



愁人と私の誕生日の前日、5月12日の夜。

寝室で煙草をふかしていた愁人に声をかける。


薄暗く証明を落とされた部屋に、愁人の黒髪と赤い唇が光って、煙草の煙が浮き上がっている。



「あぁ。って、どうせもう注文したんだろ」

「まぁ、それがママだけど」


ママは事後報告が得意だ。

なんでも自分で決めて、突き進んでいくタイプ。


ママに伝えに一階に下りなくても良いと判断した私は、

ベッドの近くのアンティーク調のスツールに座った。


煙草の煙を吐き出す愁人をじっと見つめる。



「…ねぇ」

「んー?」

ナイトテーブルに置かれた灰皿に灰を落としながら、私の方を向く愁人。

その甘く黒い瞳は、ギラついて、いた。



「何か…、あった?」

理由は、わかっていた。

明確だった。

でも今更引き返せないから、続けていかなくちゃ。



「あ?なんで」

「だって…煙草の量、増えたじゃない」

「あー、そうかも。…いや、ウソ。気づかなかった」

そんなに、増えた?と、漆黒の瞳が問いかけてきたので、私は見つめ返して頷く。


「早死に確定だなー」


そう言いながらも、痛めつけるようにまた煙草を吸う愁人。

ナイトテーブルに置かれたkoolの箱が視界の端でチラつく。


儚げで、今にも消えてしまういそうな目の前の男。


「そんなに見つめて、俺に穴をあける気か、ここ」

「だって、愁人、消えちゃいそう」


私がか細い声でつぶやくと愁人は目を見開いて、そして、笑って私の頭を撫でた。


「んなことねぇよ。明日は一緒にケーキ食べような」


それにうん、と頷いた。





―――私も愁人も、もうそんな明日が永遠に来ないことをわかっている。





ずっと頭を撫でられて、恐ろしいほど安心している自分が居た。

いつだってそうだった。

私の安心はこの男の許にあった。

私が泣いたらすっ飛んできて、ずっと頭を撫でてくれた。




でもこの優しい手も、今日でおしまい。

愁人は「お兄ちゃん」になる。



さようなら、愁人。




愁人が煙草を灰皿に押し付けて、私を抱き上げる。

そして、ベッドに二人して入った。





「お前が欲しかったのは、兄と男どっちだったんだろうな」


意識が消えかかった頃、愁人の声が聞こえた。




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朝起きたら、隣に愁人はもう居なかった。

部屋からはもともと少なかった愁人の荷物がすこしだけ引き抜かれた形跡があった。


愁人はイギリスに行く。

これは私のワガママだ。



愁人と私は本当の双子ではない。

たまたま誕生日が一緒で、私の両親が飛行機事故で死んだとき、

愁人の両親に引き取られ、その時から双子として生きてきた。


だけど、14の時、私たちは禁忌を犯した。

いや、本当はずっと前から、緩やかに恐ろしい罪の糸口は始まっていたのかもしれない。

双子だったのに、お兄ちゃんだったのに、愛してしまった。


いけないことだと、わかっていた。

ほかに手段がなかったわけじゃない。

籍を抜いて、藤宮ここなではなく、もとの芹沢ここなになればただの男と女になれた。




だけどそうすると、私の家族はもう誰も居なくなってしまう。

両親は私が5歳の時に死んだ。

その日から孤独をとても恐れるようになった。



だから籍を抜く、ということはどうしてもできなかった。

でも男の愁人も抱えたがる女の私。

両方手にしたがる私。



愚かだった。

そんな私を見て、愁人は言った。


もう、全部終わりにしよう、と。



「去年の成績がよかったからイギリスの姉妹校に行く話が来てるんだ。大学も含めて5年くらい。ずっと断ってたんだけどな、ちょうど良いかなって思ってる」



両親には内緒で。

後から伝えればいいだろ。

ここな、泣かないで。

これは俺の罪だから、俺が行く。


大丈夫、帰ってきたら、ただの兄弟になれるよ。



愁人がそう言う間中、私は泣いていた。

いつだってそうやって、私の外側も内側も守ってくれるんだね。


こんな私でゴメンね。

大好きよ、愁人。




愁人の居た冷たいベッドに顔を擦りつけて、涙を少しこらえた。


少しだけそうした後、裾の長いネグリジェを引きずって、クイーンサイズのベッドから下りた。

と、香水やら灰皿やら置いたナイトテーブルに引っかかり、愁人の香水が床に落ちる。


―――ガシャン。



運悪く割れた分厚いガラスのボトル。

愁人は持っていかなかったらしく、中身が床を浸しだす。

部屋に残った煙草の匂いと香水が交じり合って愁人の香りが広がる。


それにまた涙を浮かべて、ふとナイトテーブルを見ると、白い紙が二つ折りにされて、香水の中に紛れていた。



          ここなへ




愁人の字でそう書かれた紙。

心臓がどくり、と音を立てる。

震える手で、ゆっくりと開いた。






          愛してる





心が、震えた。




―――どうして。


どうして愁人はこんなに優しいんだろう。

私の罪まで一人で被って、こんなどうしようもない私を。


兄か男か選べずに愁人に辛い思いをさせている私を、

どうしてまだ愛してるだなんて言ってくれるの。



割れた香水の香りと、煙草の匂いが混じった部屋に、私は静かに涙を流した。


             ・
             ・
             ・



茶色の巻き毛。

モカ色の長いまつげに縁どられた人形のように大きな瞳。

細長い肢体。


ここな。


ずっと、女だった。

たった一人の、女。


出会った時から、既に妹としてここなを見ていなかったけれど、

ここなが望むなら兄にだってなったし、ここなの望むことすべてを叶えてやりたいと思っていた。



あの可憐で儚げな女が、俺は何より大事だった。



長い道のように続くロビーを振り返る。

こんな早朝の便に乗る奴は出張のサラリーマンぐらいなもので、人はまばらだ。

そこに、見知った美しい姿はない。


それだけで世界が沈んで、壊れたようになって、こんなんで5年もやっていけるのだろうかと苦笑する。

それでも、ここなの望んだことだと思えば何もかも捨てて、叶えてやりたくなった。



これで最後にしようと、もう一度ロビーを振り返ると、視界に入った光景に目を丸くする。


そこには、ここなが目に涙を溜めながら走ってきていた。

俺の近くまで来ると、なりふり構わずに胸に飛びこんでくる。



「しゅう、と…っ」


涙をぼろぼろこぼしながら俺をまっすぐここなは見つめた。

それに心臓がずくんと、切なくなる。


じっと見下ろしてやる。



「…やっぱり行かないで。お願い。私が家を出るから、籍を抜いて、芹沢ここなに戻るからっ。

 愁人なしじゃ生きていけないの。大好きなのよ、愁人が、大好きなの」


言い終わると、へたりと床に座り込むここな。

それに愛しさがこみあげてきて、指先がじりじりと熱くなる。

この世にこんな愛しいものがあるのか。




「じゃあ、行かねぇよ。それがここの望みなら」

そう言って、目じりの涙をぐっと拭って、ここなを抱きしめた。


              ・
              ・
              ・



「お前籍抜いたら俺と結婚すれば良いよ」


愁人のその言葉に、いつかママの言っていた言葉が蘇る。



―――『サンザシの花言葉はね、唯一の恋≠チていうのよ』―――






サンザシは、私と愁人の誕生花だ。

やっとわかった。

愁人の背中に彫られたサンザシの花。




唯一の恋




「ここな以外の女と、恋なんかしない」


私を抱きしめながら、愁人がそう言った。



愁人の答えはずっと前から伝えられていたんだ。

待たせてゴメンね。

やっとわかったよ。




「愁人、愛してるよ」





―サンザシの花が咲くころに fin.―





※未成年の喫煙は法律で禁じられています。
 
 また、余談ですが、愁人の吸っている煙草は、jpsの方は完全に愁人の好みですが、

 koolは名前が「keep only one love(一つの恋を貫き通す)」という由来から来ていて

 愁人の中では背中の刺青と同じような意味合いが込められている彼なりの手紙、という設定になっています。
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