君より大切なものなど何もない
私の感情に呼応するように辺りは一瞬にして冷え込んだ。周囲を囲むよう一面に氷が張り巡らされる。
何もかもすべてが嘘だった。私を、私達竜族を貶めるための罠だった。彼だって、氷竜族の集落を私から聞き出すために私に近づいたに過ぎない。それなのに私は。



「あなたは…とても美しいですね」

「おや?名前は私のこと、嫌いなんですか?」

「好きですよ、名前。ずっと…あなたの傍にいたい」



あんな言葉に惑わされて、一人で舞い上がって馬鹿馬鹿しい。どうして信じたりしたんだろう。人間なんて、信用してはいけなかった。信じた私が愚かだった。

「名前…」

薄い氷を踏んだのかパキンと何かが割れる音がした。

「来ないでっ…!」

喉の奥から込み上げてくるものをぐっと堪えてあげた声は思いの外弱々しい。

「私のこと、好きじゃないなら優しくしないでよ…」

「………」

結局好きだったのは私だけ。沈黙がその答えを肯定しているようで苦しい、苦しくて息が詰まりそうだ。ぎゅっと拳を握って涙を堪える。泣いたりなんか、しない。こんな男のためになんか絶対に泣かない。

「…ごめん、名前。そんなこと言われたら好きでも優しくはできません」

俯いたままでも分かるぐらい近くで声が聞こえて。その言葉に、はっと顔を上げたら涙で濡れた瞳を隠す間もなく強い視線に囚われた。

「やっ…!?」

見たことのない表情に驚いていたら、突然身体が引っ張られて噛みつくような強さで唇を奪われた。激しく何度も繰り返される行為に頭の奥が、身体の芯がじんわりと痺れてくる。

「例え誰が来ようと名前には指一本触れさせません。私があなたを守りますから」

それは、仲間を裏切るということ?その言葉を、私は信じていいの?

「─…トーマス…本当に、いいの?」

おそるおそる尋ねれば躊躇することなくうん、と頷いて抱き締められる。

「名前以上に大事なものなんて他にはないよ」

その囁きが私の心を満たすのに十分な効果を発揮するということを、彼はきっと知っている。そうと分かっていながらも、触れている彼の体温が心地よくて私はそっと目を閉じた。




END


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