薄暗い森の中、人目を避けるように移動する影とそれを追ういくつもの影があった。
「く、うぅっ、」
「お父さま…お父さまっしっかりして!」
呻き声をあげたのは男だった。馬の背に身体を預けたその衣服には誰のものとも分からない血痕がこびりついている。まだ幼い少女が彼に付き添い必死で呼び掛けているが、男は苦しそうに息をするだけだった。
「リーフ、様…」
「フィン…くっ、どこかに早く隠れなければ…」
リーフ、と呼ばれた少年は焦った。いつまでも隠れている訳にはいかないが、迂闊に動いては体力を消耗するだけだ。追っ手は恐らくどこまでも執拗に追いかけてくる。戦うより他ない状況に追い込まれている。覚悟を決めるしかない。母の形見の剣を抜こうとしたその時だった。
「少年!手を貸そう」
何処からともなく声が響いて、慌ててそちらを振り向くといつの間にか一人の騎士がすぐ後ろに居た。蜂蜜色の豊かな髪を風に靡かせ、赤褐色の双眸は強い意思を宿して輝いている。
「………」
「信用できないって顔だね。私は彼を傷つけたりしない。信じないならそれでいいけど、早くここから離れなさい」
「フィンを知っているのか…」
そう訊いてしまったのは、突然現れた騎士が彼の方を見つめて酷く哀しそうな表情をしたからだ。しかしリーフの問いに答えは返ってこなかった。
「これを食べるといい。疲れがとれる」
言いながら硝子玉のようなものを一粒ずつ渡す。
「ナンナ!」
渡されたものを躊躇わず口に運んだナンナに諌めるよう声をあげたが、それも無駄だとすぐに知れた。
「甘い…」
「え、」
「少年、疑うことと同じぐらい信じることも大切なんだよ」
そう言って綺麗な微笑みを浮かべ、ようやく目の前の騎士が女性なのだと気が付いた。半信半疑で硝子玉を口に含めば、確かにナンナの言う通り仄かな甘みが口いっぱいに広がった。
「さて、まだ橋の向こうへは奴等も行っていないだろうから、どうにか逃げ切るんだ。敵はここで食い止める」
リーフが口の中で硝子玉を転がしているのを確かめ、女は再び険しい表情に戻った。
「そんな…あなたはどうするの」
それには答えずナンナの頭を優しく撫でて曖昧に微笑んだ。そしてリーフに向き直る。
「君は…お父上によく似ている。母の優しさと父の強さを忘れないで」
泣いているのだろうか。でも、彼女がどうして泣いているのか分からない。
「正面突破だ。決して振り向かずに逃げなさい。いいね?」
それは問いかけではなく命令だった。リーフもナンナも神妙に頷き、フィンを乗せた馬とともに走り出す。
彼らの後ろ姿を見送り、しゃらりと銀の剣を抜き構えた。
「ここから先へは行かせないよ。例え、掟に逆らおうとも…!」
誰にともなく呟いて馬を走らせる。これが最後の戦場だと自らに言い聞かせながら。
夢を、見ていた。意識が浮上するとともに夢の記憶は零れ落ちてたちまち曖昧になる。それでも彼は確信していた。
「名前様…」
彼女が身を呈して自分達を守ってくれたことを。込み上げてくる感情を圧し殺すようにぎゅっと目を瞑る。瞼の裏で、懐かしい彼女が優しく微笑んだ気がした。
END