「へぇー、あの石田の旦那がねぇ」
下忍の報告をすでに聞いてはいたのでそこまで驚きはしなかったが、実を言うと実際に目の当たりにするまではあまり信じていなかった。彼らの腕を信用していないわけではなく、報告内容がにわかに想像しづらかったのだ。
あの凶王がきちんと食事を摂り、睡眠も然り。あまつさえ仕事に没頭せず適度に休憩をしているなどと。
「まぁ、三成が健やかであることは悪い話ではなかろ」
「西軍の総大将サマに倒れられちゃ元も子もないってか」
それにしても、だ。彼の崇拝している豊臣秀吉、竹中半兵衛没後の凶行がここまで綺麗に鳴りを潜める、ということは、それだけ石田三成という人間に与える影響が大きいということだ。その、名前という人物は。
「事によると、そいつは…」
この戦国乱世、総大将にそこまでの影響力をもつ人物は最重要人物と言い換えることもできる。東軍を含め、他軍に彼女の身柄を奪われるようなことがあれば…あるいは。
「猿よ。ぬしの言わんとすることは分からんでもない」
「さすがは大谷の旦那。ってことは何か対策でもあるわけ?」
「無策よムサク。まぁアレの危機に三成が気付かんことは先ず有り得ぬ」
独特の引き笑いで自信満々に言っているが、西軍きっての軍師がそれで大丈夫なのか。妙な汗が背中を流れるが、あえて無視する。
「そりゃ大した自信だけど、腕の立つ忍には隠密なんてお安いご用だ。石田の旦那だってその女に四六時中べったりって訳にはいかないだろ」
大将なんだから、と切り捨てようとして飲み込む。大谷の旦那が、何と言うか、見たくはないけど見ざるを得ないものを見た時のような妙な表情を浮かべる。
「否、べったりよ」
「は…?」
「試しにぬしがやってみればよかろ。何をしていても、どこにいても必ずや三成が駆け付けてくる…」
「それは…」
いいのか西軍、そんなことで。今からでも同盟破棄、なんて考えが頭を過ったがどうせなら総大将に愛想を尽かした西軍を乗っとる方が容易い。
それに。
「…つまらぬ」
口ではそう呟いている割りに、満更ではない西軍の参謀を眺める。彼とて、こんな穏やかな表情をする人物ではなかった。胡散臭いを体現したといっても過言ではなかったのに、やはり名前という女の影響なのだろう。少しずつ変わり行く様相に惑わされないよう眼を閉じる。
光となり得る存在は武田と真田で充分だと、そういい聞かせて闇に潜った。
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