(やっべー…いま鐘何回目?)
馬車を置いてきた近くの森まで全速力で駆ける。走るのに相応しくないガラスの靴は、階段の途中で脱ぎ捨てた。
素足で地面を走っている訳だから、小さな擦り傷がたくさんできたがそんなことを気にしている余裕はない。
(魔法が解けたら馬車もドレスもなくなるって…全裸?さすがに全裸はマズイよなぁ)
なんて、心配する視点が少しずれている気がするが、なんとか馬車までたどり着いた。
鐘は、ちょうど八回目を響かせている。
「おや?もう戻らないと思っていたが」
「ギリギリっしょ!さ、あんたが消えないうちに帰ろ」
相変わらずの憎まれ口をたたく天馬を急かし、名前は奥州を後にした。
そして。
「帰ったぞ名前ーっ!」
「チカ兄!玄関のドア壊すなって何回言わすつもりだよこのハゲッ!」
「なっ…!は、禿げてねぇよ!」
名前を取り巻く環境は日常を取り戻したかのように思えたのだが。
「名前」
「なんでしょうパパりん」
「貴様、大事なことを忘れているようだな」
「大事なこと…?」
パパりんと呼んでも反応しなかった時点で軽く驚いたが、どうやらそんな雰囲気ではないらしい。元就の言葉に、元親や小太郎が敏感に反応する。
「わ!?ちょ、小太郎なにしてんの?」
咄嗟に名前を己の胸に抱き締めて両手でその耳を塞ぐ。
「こたろー?」
名前の問いかけには答えず、代わりに小太郎は両腕に込める力を僅かに強めた。
その隙に、とばかりになるべく声を落とした元親は、言いづらそうに口を開く。
「気付いてねぇなら、別にわざわざ言うことねぇんじゃねぇか?」
「戯けが。それでは意味がなかろう」
ばつが悪そうな元親を一蹴して小太郎に詰め寄る。
「………………」
元就の無言の圧力に押され、名前は小太郎から解放された。
「で、なに?大事なことって」
どうにも自分では思い出せそうにない名前に溜め息を吐く。迷ったのは、一瞬だけだった。
「貴様、奥州の右目を落とすのではなかったのか?」
「奥州の…右目?」
「白石城の小十郎って奴だ。顔に傷のある…」
元就の言葉では分からなかった名前も、顔の傷でピンときた。
「あぁ!あの男前さん!」
「宴のあったあの晩、何者かがガラスの靴を落としていったようでな。城主は血眼になってその靴の持ち主を探していると聞く」
血眼って。どれだけ必死なんだと突っ込みたい気持ちを押さえて、名前は元就の言葉を待った。
「…で?」
「何の後ろ楯も持たぬ貴様のような民草であろうとも、その靴の持ち主だと言い張れば城主に近づく口実ともなる」
と、いうことはつまり。
「ちょっとひとっ走り奥州まで行ってくるわ!」
元就の言わんとすることが分かった名前は、そのままの格好で家を飛び出した。
「小太郎」
そんなことはもちろん予想済みだったので、旅支度を整えた小太郎にすぐ後を追わせる。
「…アンタ、本当にこれで良かったのかよ?」
「当然だ」
なお怪訝そうな元親に仕方なく説明してやることにした。
「この世界では我は名前の父親だ」
「まぁ、そうだな」
「何故だ?」
「ハァ?何故っておめぇ…最初っからそう決まってんじゃねぇか」
「そうだ。名前と結ばれる相手は最初から決められているのだ。我らがどう足掻いてもな」
「そりゃおめぇ、そうだけどよ…」
「ならばそのような世界、さっさと終わらせてやれば良い」
(今度生まれ変わることがあれば、その時は…)
(親心子不知)
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