「…あの、達海さん?」
「んー?」
お、落ち着け。落ち着け私の心臓。とりあえず、そうだ、まずは距離を置くべきなのだ。近すぎる私と達海さんの距離をどうにかしなければならない。
「えーと、離してくれたり、とかって」
「やだね」
意を決して訊いて見たら案の定拒否された。まぁ、そう言われる気はしてた。しかしなんだってこんなことになっているのだろう。いまだに鎮まることのない心臓を落ち着かせるよう、私は数分前に思いを馳せた。
「なんで選手のみんなと一緒に帰らなかったんです?」
後藤さん経由でアッシー頼むなんて卑怯だ、なんて心の中でぼやきながら達海さんに訊いてみた。居酒屋の前まで迎えに行くとそこに居たのは達海さんだけで、なんだかちょっぴり拍子抜けだった。
「なに、俺だけじゃ不満なわけ?」
「いやいや、何でそうなるんですか…」
まったく、コレだから酔っ払いは性質が悪い。いや、でも達海さんのは元々か。助手席で口を尖らせてぶーぶー言う達海さんにお前はガキかと言ってやりたかった。
「なまえー」
「何です?」
「気持ち悪ーい」
「えぇっ!?」
そういうことは早く言ってくれと思わなくもないけど、お生憎様。途中で停車できそうなスペースがない。
「座席倒して横になったらどうです?」
「んー」
提案して返事は返ってきたものの、シートを倒そうとする気配はない。え、そんなに辛いの?吐きそうなの?いやでも吐くのはちょっと車内では遠慮してもらいたいんだけど。焦る気持ちをどうにか落ち着け、前方の停車できそうなスペースに停車する。窓を少し開けてエンジンを止めた。
「大丈夫ですか?達海さん」
「大丈夫じゃなーい。シート、倒して」
何甘えてんだこの人は。それぐらい自分でできるでしょ、と思わなくもないけど、惚れた弱みというかなんと言うか、甘えられるとつい応じてしまう。母性本能みたいなもんだろうか。二十代の私が三十過ぎた達海さんに母性どうのこうのなんていうのも可笑しな話だけど、意外と年齢とかって関係ないのかもしれない。
シートベルトも外してあげて、窓際にあるレバーを引っ張りシートを倒した。筈だった。
「……ん?」
いや、確かにシートは倒れている。倒れているんだけども、何故か私自身も同じように倒れていて。あれ、いまのこの体勢、どうなってんの?もしかしなくても、私、達海さんの上に乗ってない?しかもちゃっかり達海さんに抱きしめられてない?
という状況だった。そう、そしていま現在もそれは変わることはない。そうっと達海さんの顔を見ようとして止めた。それは即ち、自分の顔も見られるリスクがある。酔っ払って顔が赤いんだと言い逃れできる達海さんとは訳が違う。そこまで考えて、あれ、と思った。
「達海さん、お酒臭くない…?」
「うん、俺ビール一杯しか飲んでないし」
なるほど。通りでそこまで臭わないわけだ。でも、あれ?達海さん、ビール一杯で酔うような下戸じゃなかったと思うんだけど。まさか。
「達海さん、騙しましたね…」
やたら甘えてくると思ったけど、それはすべてお酒のせいだと思ってたのに。まんまと達海さんの罠に引っかかってしまった。この分だと電話してきた後藤さんもグルだ。くそう、やられた。だけど。
「いいじゃん、好きなんだから」
だけど拗ねたようにそう言いながら、抱きしめられた腕に僅かに力がこもって嬉しくなった。罠にかかったんじゃなくて、かかってあげたんだと言えば達海さんはどんな顔をするだろう。そう考えるとようやく私も落ち着いてきて達海さんの上に乗っかったまま、「そうですね」と呟いていた。
(便乗すればいい)
END