「いらっしゃい!」
扉を開けるとわずかに木の軋む音がする。静かな時はそれで来客が分かりそうだが、今日のように騒々しいとあまり気にならない。客の入りには波があるのだろうが、今回のようにほぼ満席というのはグルーシスにとって初めてだった。間が悪いな、と思い連れである上司を横目で見る。どことなく落ち着かない雰囲気を感じ−…グルーシス自身そんな上司の姿を目にすることが非常に落ち着かないのだが、とりあえず空いている席に座る。
どうしたものか、と思案していると新規客に気が付いた店の看板娘であるなまえがやってきた。
「グルーシスは?ビール?」
「ビールで。フォビオ様は?何にします?」
常連と言っても差し支えない程度には店に出入りしているグルーシスは、なまえはもちろんのこと店長や他のスタッフとも顔馴染みだ。信頼関係もあり、最初は何を頼むかいつものパターンが分かりきっているからこそのやりとりなのだが。
「…お前と同じでいい」
分かってはいても面白くない。自分の部下と、一目惚れした相手が親しそうに会話しているその姿は。フォビオの表情はともかく、上下に振れる尻尾がなによりも雄弁に彼の苛立ちを表していた。その様子に顔を引きつらせそうになったグルーシスだが、なまえは特に気にする風もなく「ビール二つね」と、注文を確認して下がっていった。
いつもは強くて格好良くて頼りになる上司なのだが、何故だかこう、残念なことになる時がある。いつぞかは暴走してテンペストに迷惑をかけ、カリオンの鉄拳制裁を喰らったという噂まである。フォビオ本人の頼みということもあって、なまえと接点を持てるよう一緒に飲みに来たグルーシスだったが、何となく先が思いやられるなと思って頭が痛くなった。
「仲がいいんだな」
妬みとも羨望ともとれる響きでもって呟かれた言葉はグルーシスにもしっかり届いた。
「まぁ、顔馴染みというか…」
ヤキモチですか?なんて揶揄う余裕はなかった。そもそも、リムル様のお役に立ってこい、とグルーシスをテンペストに長期滞在させたのはフォビオの命令である。同じ街の中にいれば自然と顔をあわせる機会も増えるものだ。ユーザラニアにいるのが基本のフォビオとはスタートラインが違う。むしろ、グルーシスにはすでに心に決めた人がいるので、その点からしてもフォビオの恋敵とはならないのだが。
「そうか」
ただの顔馴染みで名前を呼び捨てするか?とでも言いそうなフォビオの不満顔に、グルーシスは早くも前途多難な上司の恋模様を見たのだった。
「ビールお待ち遠様」
店は繁盛していてビールを持ってきたのはなまえではないスタッフ。待ち望んだはずのビールは何故かひどく苦味を伴ったものになった。
END