わたしの心臓は誰に捧げた?否、誰にも捧げてはいない。誰かのためではなく人類のために捧げたのだ。誰に命じられたわけでもなく、そうすることをわたし自身が選んだ。自由と、ほんの僅かな願望を求めて戦うことを選んだ。
「なまえさん!」
ピクシス司令がもう少し遅ければ、恐らく彼らの命はなかっただろう。それほどまでに危機的状況の中で、エレン少年の持つ巨人の力の有用性を説いたのは他ならぬ目の前の彼だ。説いた、と言うより最早あれは叩きつけたようなものだったか。
「なまえさん?」
何にせよ、あの怒号に揺さぶられた一人なのだ、わたしは。
「どこか、具合でも悪いんですか?さっきから心ここに在らずでボーッとしてるし、」
「気のせいだよ。ちょっと想い出に浸ってただけ」
「想い出?」
「そう」
納得していないのだろう、彼は眉をわずかに寄せたが何も言わなかった。頭の回転が速く人の心の動きにも聡い彼は、たまにその年代の子たちとはまったく違う反応を示す。だから、わたしも。
「あなたたちがここに来たときのことを。そして、あなたと出逢う前の自分を振り返っていたの」
なんと甘く愚かだったか。845年の巨人侵攻以来多少は改善されたが、いまだ駐屯兵団の兵士たちは危機意識が低い。憲兵団よりはマシだと豪語する者もいるが、わたしにとってはどちらも同じようなものだった。
10年とたった数年を生きた彼に、これがこの世界の現実なのだと改めて気づかされた。それでいて今自分がどうするべきなのかを突き付けられたのだ。
「わたしね、調査兵団に異動しようと思うの」
「えっ!?」
「今度、あなたたちが所属兵団を決める時、一緒にね」
「どうして急に…いや、それよりどうして僕にそんな大事な話を…?」
「あなたに預けたいから」
「預けるって、一体な」
何を、と言おうとしたであろう彼の言葉を触れた指先で閉じこめる。ふくり、柔らかな感触を惜しみながら今度は同じように自分の唇にあてる。
「秘密。その時までのお楽しみってことで、ね?」
首を傾げながらそう言えば、顔を真っ赤にしながらもコクコクと勢いよく頷いてくれる。こういう時は年相応の反応なんだと、彼の新たな一面に頬が緩んだ。
「ち、誓います!なまえさんが受け取りに来るまで預かることを!」
果たして、わたしたちはその誓いを破らずに済むだろうか。それはきっと彼にも、わたしにも分からない。だからこそ、それまでは甘い幻想に蓋をする。仄かに芽吹いた感情を彼に預けて忘れたフリをするのだ。
忘れ去られた少女
(そうしてわたしは夢見る朝を抹消し続ける)(約束を迎えに行ける、その日が来るまで)
END