002


 原稿が書きあがったのは、セノンが出て行って一時間は経ったころだった。ようやく最後の一文を捻り出し、震えそうになる手でそっとしたためて、完成だ。この大量の原稿を送るのは明日でいいだろう。締め切りまではまだ二日ある。私は思い切りベッドに倒れ込み、思う存分手足を伸ばした。

「あー・・・・・・疲れた・・・・・・」

 肩も腰も凝りが酷いことになっている。職業病なので致し方ないと思いつつ、こんなざまではもう『海賊』とは呼べないだろうなと自嘲が零れた。船も持たない自分が海賊かと言われると少し怪しいが、私が海賊に対して何らかの拘りを持っていることは、自分でも気付いている。
 父親が海賊だからだろうか。写真の中でしか知らない父は、愉しそうに唇の端を吊り上げていた。
 私はしばらく転がったまま天井を眺めていたけれど、海や海賊のことを思うとだんだん気が急いてきて、気付いたときには壁に立てかけておいた弓と矢筒を掴んで、家を飛び出していた。久しぶりの外の空気は、いっそ鳥肌が立つぐらいに海の香りがしている。
 私は陸に下りても無意識のうちに、海の姿を探しているのかもしれない。通りがかった本屋で自分の本が大々的に売られているのを横目に見ながら、あれこそ私が海に縋っている証拠だと思った。

「船医さんあそこ!本屋があるわよ」
「ホントか〜〜!!?」

 トナカイが喋ってる。
 目の前から歩いてきた二人組。声に釣られ顔を上げて、私は目を見開く。可愛らしいピンクの帽子を被ったトナカイが、黒髪の美女と会話しながら向かってきたのだ。そりゃあ驚きもするだろう。その一人と一匹は、驚かれることには慣れているのか、町の人の視線も気にせずに私の横をすり抜ける。

「寄っていいか!!?」
「・・・・・・勿論。入りましょ」
「あっ、そうだ!ナミに本頼まれてたんだった!」
「あら。どんな本?」
「ええと・・・・・・なんだったかなァ。今すっごく人気だって言ってたけど」

 なるほど。黒髪の美女がくすりと笑う。私は思わず立ち止まってしまっていた。トナカイが首を捻るのを余所に、彼女は平積みになっていた私の本を一冊取り上げると、「これじゃないかしら」

「あっ!そう、それだ!すげーなロビン!何で分かったんだ!?」
「ふふ、分かるわよ。人の顔色を見るのが得意だって言ったでしょう。航海士さん、この本の記事を随分熱心に読んでいたもの」
「そうなのか?」
「私も出版されたばかりのころに読んだわ。面白かったから覚えていたの」
「そっか・・・・・・『ファンタジア』。うん、これだな。よしロビン!俺ちょっと医学書見てくる!」
「はいはい」

 私は再び歩き始める。赤くなった顔を、俯けて隠しながら。
 人に褒められるのは慣れていない。セノンは私の文章を素敵だと言ってくれるけれど、身内から褒められるのと、まったくの他人から褒められるのとではまた違う。
 目を閉じると、海風が顔の熱を冷ましていく。そして海へと開ける道を覚束ない足取りで進みながら、私はふと思うのだ。今の黒髪の美女、どこかで見たような顔だった気がする、と。
 どこだったかなぁ。あんな美人、一回見たら忘れないと思うんだけど。私とは比べ物にならないぐらいのプロポーション、ミステリアスな雰囲気。普通の人には見えなかった。
 掴めそうで掴みきれない思考はしばらく私の頭を占めていたけれど、視界が開け、潮の香りが強くなるとそれはどこかへ飛んで行ってしまう。岩場が剥き出しのこの岸は正規の港ではなく、海賊などが停泊する裏の港だ。今日も一隻の海賊船が泊まっている、が。

「羊・・・・・・?」

 あまり見ないタイプの船首だ。可愛らしい羊をかたどった船首は海賊には不釣合いのように思える。どこの海賊団だろうとひとしきり船体を眺め、途中でこんなことをしている場合ではなかったと我に返った。
 背負っていた弓を下ろし、弦の張りを確かめてから小さく息を吐く。原稿のせいでここしばらく使っていなかったが、手入れだけは欠かさなかったので緩んではいないようだ。矢筒から一本の矢を取り出してつがえると、呼吸を整えて勢いよくそれを引く。
 狙いを定めたのは遥か遠くの岩。集中しなければ焦点が合わないぐらいだから、ざっと百メートルはあるだろう。ぎりぎりまで引き絞り、緊張が頂点に達した瞬間、放つ。矢は一直線に岩へと飛び、

「・・・・・・えっ、」

 矢は岩を砕き、そのまま後ろの岩壁を貫いた。
 私はガラガラと音を立てて崩れていく岩壁と、手に握る弓を呆然と見比べる。ほんの試しに射っただけで、力加減はいつもと同じだったはずだ。岩を砕くぐらいの力で、と加減したつもりだった。その結果がこれだ。最近鍛錬をしていなかったから、力が有り余っていたのだろうか。
 かなり派手な音がしたけど、この海岸にはあまり人が寄り付かない。誰にも見咎められていないはずだ、と胸を撫で下ろす。私はこの町では『ただの町娘のミナト』だから、こんなところを見られたら、――――

「おい」
「っひ!」

 どん、と肩を叩かれて跳び上がる。ついでに心臓が口から飛び出そうになった。
 後ろから響いてきた声は男の人の物だ。肩に置かれた手も、重くて大きい。このタイミングで声をかけられたということは、恐らく今のを見られていたんだろう。背中に冷たい汗が伝う。とてもじゃないけど振り返ることができない。
 わざわざセノンに“幻惑”をかけてもらってたのに。

「・・・・・・アレ、やったのお前か」
「え、ええと、」
「・・・・・・」
「・・・・・・はい、私です・・・・・・」

 すいません悪気はなかったんです別に怪しい者じゃありません。
 動揺しているのが丸分かりの早口で告白すると、後ろの人の気配が強くなる。品定めするかのような視線が突き刺さっているのがひしひしと感じられた。怖い。すごく怖い。肩に置かれた手は、ただ置かれているだけのはずなのに、ずっしりと重くて抜け出せない。退路まで塞がれて、いよいよ私は観念して彼を振り返った。
 短く揃えられた緑色の髪。派手な三連ピアス、鋭い目付き。感じられるオーラは、およそ街中で感じない、――――海でしか、感じられないあのオーラ。
 この人、海賊だ。ほとんど直感的にそう思って、ようやく腰に差された三本の刀に目が行った。緑色の髪と三本の刀で引っかかり、しばし考えてようやく思い当たる。毎日のように見ている、手配書の中にあった顔だと。そして、ずっと注目していた海賊団の、戦闘員なのだと。同時に、町で見かけた美女の正体にもようやく合点がいく。

「あ、」
「あ?」
「『海賊狩りのゾロ』」

 ぽろりと零れた言葉に、彼の眉がゆるく吊り上がる。正解のようだ。
 手配書が出ているんだから当たり前なのだが、直接見てみるとかなりの強者だと分かる。手配書の金額は安すぎるとさえ思えてきた。私より安かった気がするけど、私は彼に勝てるとは思えない。
 『海賊狩り』さんは、再び私の全身を眺めると、「お前も海賊か」

「・・・・・・いや、違います」
「嘘だな」
「えっ」
「逆に、アレだけやっといて一般人です、なんて言えると思ってんのか」
「・・・・・・まぁ、確かに」




「“ロープアクション”!!!」

 声が響いてきたのはガレーラのドック前からだった。自分の目当ての人間がそこにいることを確信し、私は自然と早足になる。このチャンスを逃す手はない。最悪アイスバーグ市長だけでも捕まれば、と思っていたのだが、当人がいるに越したことはないのである。
 騒がしい声が聞こえてくるほうへと足を向け、橋を下りて右に曲がれば、そこに『彼ら』はいた。

「・・・・・・麦わらの一味がどうしてここに」

 海賊がドックに用事となれば一つしか思いつかないけれど、あまりにもタイムリーな登場に思わず驚きの声が漏れる。毎日のように目に入る、家に飾ってある手配書の束の中にいたのだ。麦わら帽子を被った、快活そうな青年が。
 最弱と言われる“東の海”で結成された海賊団ながら、その実力は同世代のルーキーたちの中においても突出している。確か賞金首は三人だったはずだ。『麦わらのルフィ』、『海賊狩りのゾロ』、『悪魔の子ニコ・ロビン』。見たところ今いるのは『麦わらのルフィ』だけ。横の二人は仲間なのだろう。

「“オシオキ一本釣り”!!!」
「ちょっと!!そんな本気で・・・・・・!!!」
「ンマー、いつものことだ・・・・・・」

 派手な音がして、思わず肩を竦ませる。声から察するにパウリーさんが何かしたんだろうけれど、と再び角から顔を出せば、パウリーさんと同じように職長であるロブ・ルッチさんが片腕で逆立ちをしていた。目を凝らすと指がコンクリートにめり込んでいるのが分かる。流石1番ドック職長、と内心拍手を送りつつ、話が一区切りしたのだろうと判断して、彼らに歩み寄った。パウリーさんと市長のどちらに声をかけるかで少し迷い、私は市長を選んだ。

「・・・・・・あの、アイスバーグ市長」
「ん?」
「あっ、お前・・・・・・!」

 私に気付いたらしいパウリーさんが目を剥いた。小さく会釈をして、再び市長へと向き直る。パウリーさんの反応に思うところがあったのか、市長は額に手を宛がうと大きく息を吐いた。
 心中お察しします。心の中で呟き、懐に入れておいた名刺と、パウリーさんの借用書の写しを取り出す。先に渡すのは名刺のほうだ。

「私、ウォルター金融に勤めております。アレイス・セノンと申します」
「ンマー、金融ってことは借金取りか。うちのパウリーが迷惑をかけたようだな」
『かけた、ではなくかけているの間違いだっポー』
「うるせェよハト野郎!!!」
「・・・・・・こちらが借用書の写しとなります。返済期限を一ヶ月半超過しているので、早期の返済を要求したいのですが」

 ハトが喋っているのは気にしないようにした。
 市長はそれに一通り目を通し、傍らの美人な秘書に何やら耳打ちする。彼女はそれに頷くと、ドックへと入っていってしまう。パウリーさんの借金なのに、彼女が何か関係あるのだろうか。不思議に思いながらその背中を見送っていると、市長が「すまねェな」と笑った。

「今月は大型の仕事が入ってる。その分のコイツの給料から天引きすりゃあ何とかなると思うんだが」
「本当ですか、助かります」
「今カリファに確認させている。問題なけりゃ、明日には返済できるだろう」
「えっちょ、アイスバーグさん!!」

 そりゃあないっすよ!
 あんまり哀れな悲鳴だったので、ここ二週間苦しめられたことも忘れて、思わず私は笑ってしまう。
 次に顔を上げたとき、彼の顔は心なしか赤かった。恥ずかしかったのだろうか。私が首を傾げると、市長は苦笑しながら私の肩を軽く叩いた。


そのとき運命は巡る

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