026


 こんこん、という控えめなノックと、ドアを隔てたせいか少しくぐもった声。その微かな音にゆるゆると意識が覚醒していく。重たい瞼を持ち上げれば、カーテンの隙間から差し込んでくる日射しが予想より随分高い位置にあることに気が付いた。
 あァ、寝坊だ。

「ロイスさん、そろそろ起きてください」
「・・・・・・あー」
「もうすぐ『赤髪』さんが来ちゃいますよ」
「あ?もうそんな時間・・・・・・、うわっ」

 起き上がろうと手を付いた場所が悪かったらしく、私の身体はあえなく床に転がった。いっで、と悲鳴混じりに舌打ちすれば、ドアの向こうから心配そうな声が飛んでくる。

「ロイスさん?大丈夫ですか?」
「だー・・・・・・大丈夫、ライカは先に行ってろよ」
「・・・・・・二度寝しないでくださいよ?」
「しねェよ!!私を何だと思ってんだ!!」
「寝坊ばっかりの『二番隊隊長代理様』、ですよ!ほら、いいから早く着替えてください!」
「分かった!!分かったから先に行ってろ!!すぐ行くから!!」

 服に手をかけながらそう言うと、基本素直で良い子な後輩は納得してくれたらしい。待ってますからね、なんて可憐なソプラノを残して足音が遠ざかっていく。まったく、だんだんマルコに似てくるな。
 私は寝すぎて怠い身体を引きずって、タンスから適当に服を出す。『赤髪』が来るなら、今日の服は『男』じゃなきゃダメだ。

「めんどくせェ・・・・・・」

 寝間着を脱いで、まずサラシを胸に巻き付ける。ライカにはやめろやめろと言われているが、我が隊長様の指示なのだから、仕方がないのだ。もう随分と慣れてしまったそれの上から男物のシャツを被り、細身のパンツを履いて、男用のごついブーツを履いた。
 髪を適当に後ろで括り、顔を洗ったりなんなりと適当に身支度をして、ふらふらと部屋を出た。甲板のほうが騒がしい。もしかして、もう『赤髪』が来てしまっているのかもしれない。慌ててそちらへ向かうと、近くにジョズにマルコ、そしてさっき私を呼びに来たライカが並んでいるのが見えた。

「来るぞ、『赤髪』が」
「若ェ衆は下がってろい。身が持たねェぞい」

 マルコがそう言った途端、びり、と肌を裂くような覇気がなだれ込んでくる。マルコに質問していた新人が泡を吹いて倒れるのを見ながら、あいつは相変わらずド派手にやってくれるなァと苦い顔をしてしまう。倒れた新人の中には私が預かっている二番隊の隊員もいる。全く頭が痛いことだ。
 ため息をついた私に気付いたらしいライカが、ぱっと顔を輝かせてこちらを見る。ふわりと揺れる桜色の髪が隣のマルコの腕をくすぐったのか、つられて彼もこっちを見た。

「あ、ロイスさん。おはようございます。ちゃんと起きたんですね」
「おはよ・・・・・・」
「オイ、ロイスまさかお前、今起きたんじゃねェだろうな」
「そのまさか。・・・・・・まァいいだろ、『赤髪』登場までには間に合ったんだし」
「よくねェだろい。お前は旦那から二番隊預かってんだ、しっかりしろい」
「旦那は余計だクソ!!!」

 きい、と怒鳴った瞬間、またぶわりと覇気の気配が濃くなる。マルコが私から注意を逸らし、こちらへ向かってくる人物を気だるげに、それでいて油断なく見据えた。

「相変わらず・・・・・・スゲェ、覇気”だ」
「あー・・・・・・『俺』も“覇王色の覇気”使えたらいいのに」

 私の言葉に、ジョズが一瞬不思議そうな顔をして、それから「ああ、」と納得したように音を零した。なんだよ、とそちらを見遣れば、彼は大きな身体を少し丸めて私の顔を覗きこむ。

「いや、『男』のほうは久しぶりだからな。・・・・・・赤髪が来るからか」
「そうだよ。ったく、ようやく『俺』に慣れたころに『私』に戻して、それからまた『俺』・・・・・・めんどくさくてしょうがねェ」
「仕方ねェだろい。旦那のお願いはちゃんと聞いてやれ」
「だから旦那は余計だっつってんだろ!!!」
「ロイスさん、あの、今から一応会合が始まるので静かにしないと・・・・・・」
「あ?ああ・・・・・・そういやそうだった」

 ライカに言われて口を噤めば、こちらを見ていたらしい赤髪に小さく笑われる。それを睨み付ければ、そいつ一瞬だけ笑みを深くして私たちの前を通り過ぎる。
 そして、――――堂々とオヤジの前に立つと、あれほどだった“覇気”をするりと引っ込めてみせる。

「失礼。敵船につき・・・・・・少々威嚇した」
「てめェの顔ァ見ると、あの野郎から受けた傷が疼きやがる」
「療治の水を持参した。戦闘の意志はない。話し合いたいことがあるんだ」
「“覇気”をムキ出しにして現れる男の言い草か、バカヤロウ・・・・・・グララララ・・・・・・!!」

 確かに赤髪は随分とデカい酒瓶を携えている。この分だと戦争はなさそうだ。まァ、端から戦争にはならないだろうと思ってたけど。はあ、と息をついた私の横で、ライカも同じように息を吐いていた。
 それをちらりと見たマルコが横合いから赤髪へと声をかける。

「オイ赤髪、てめェ何してくれてんだい!!」
「お!!一番隊のマルコだな。お前、ウチに入らないか?嫁も一緒でいいぞ」
「うるせェよい!!」
「じゃあ嫁だけでもくれ」
「ブッ殺されてェのか」

 ぴき、と青筋を立てたマルコを、ライカが腕を引いて何とか押しとどめている。相変わらずマルコは赤髪と相性が悪いらしい。これは今晩ライカが大変だろうな、なんてなまぬるい目をしてしまうけど、私は悪くない。
 そんなふうに他人事よろしく傍観していたら、赤髪の視線がするりとこちらへ滑ったのが分かって、思わず身構える。

「よォ、ロイス。元気か?」
「いやお前は俺の親戚か何かか!!!」
「お前の横にエースがいねェとなんか変な感じするな」
「・・・・・・あァ。『相棒』がいないと、まあ、それなりに寂しいモンだよ」

 つーか、私の渾身のツッコミはスルーか。私の答えに小さく頷いた赤髪は、またオヤジに向き直る。どうやらお遊びの時間は終わりらしい。オヤジが二人にしてくれと言われて、私たちはそこに二人を残して甲板の後方へと引き上げた。
 引き上げる途中、ライカが私を頭の天辺から足の先まで順に眺めて、不思議そうに首を傾げるので「どうした」と聞けば、彼女は首を傾げたまま小さく唸る。

「気付かないものですね、ロイスさんが『女』だって」
「そりゃそうだろい。先入観ってヤツは恐ろしいからねい。・・・・・・赤髪は、それこそ俺たち全員に『男』として接してる頃のロイスをよく見てた。今更疑えってのが無理な話だよい」
「だよなあ。俺もその格好したロイス見ると、未だに女だってのが信じられないときが・・・・・・って、痛い痛い、ダリア、痛い!!」
「私の可愛い可愛い妹に、失礼なこと言わないでくれる?」

 後ろから聞こえてきた男女の声に振り返ると、そこには声音から予想していた通りの二人が立っていた。白衣を着て、聴診器を首から下げた、金髪の美女と、――――フランスパンを頭に乗せたかのようなリーゼント姿のコックコートの男。

「ダリア姉さん、おはよ。・・・・・・あと、サッチも」
「俺はオマケかよ!!!」

 ひでェなァ、と項垂れてみせるサッチに、ダリア姉さんが「仕方ないでしょ、貴方が失礼なこと言うからよ」と追い打ちをかける。それを半笑いで眺めながら、私は遠く離れた場所にいるであろう、自分の上司で、相棒で、そして恋人である男の事を思い出す。
 嫉妬深くて束縛が激しくて、それでも格好良くて変なところが可愛くて、馬鹿で、強くて、最高の恋人。私が『女』であるとバレると、大変なことになる、――――そう言って『家族』以外の人間の前では頑なに男装をさせ続けるぐらい臆病なくせに、戦うときは勇敢で、変に正義漢な、大好きなひと。
 無事でいてくれればいい。サッチを傷つけた報復なんて、一人でやらなくてもいい。早く、帰ってこねェかな、――――

「ロイス?」

 どうした、なんて顔を覗きこんできたマルコに、何でもないと返しながら、私はずきずきと痛む心臓をそっと押さえた。
 ・・・・・・嫌な予感が、する。




「・・・・・・!!」
「やりやがった、戦争か!?」
「そりゃしねェっつってたろ、お頭は・・・・・・」
「・・・・・・雲が割れた」
「ユール、お前お頭についてかなくて良かったのか」
「別に」

 私がいても邪魔でしょ。そう零せば、ベックは何だかすこし微妙な顔をした。

「・・・・・・なに?」
「いや、お前がいるとアイツは多少大人しくなるからな。・・・・・・それに、何だったか、『時跳びのロイス』と『華桜のライカ』だったか。友達もいるんだろう。会ってくればよかったじゃねェか」
「今回は、大事な話みたいだったから・・・・・・」
「・・・・・・まァ、それもそうか」

 割れた雲の下。そこにいるであろう男の姿を思い浮かべる。いつも私を引きずっていく、どこでも楽しそうな子供のような男は、今回に限って私を引っ張っていこうとはしなかった。それに、珍しく随分と真面目な顔をしていたような気がする。
 おかげで、『白ひげ』と何を話すつもりだったのかは聞けなかった。

「・・・・・・シャンクス、何をするつもりなの」

 この場にいない愛しい赤色からは、当然返事は帰ってこない。


逢瀬はまたいつか

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