025


「うーん・・・・・・」

 かつかつと、万年筆の先が紙面を叩く。私はその上に連なっている文字を三度読み直して、それからその紙をぐしゃりと潰した。重苦しいため息が勝手に唇から零れていくのが分かって、思わず万年筆を放り出す。椅子にお行儀悪く体重を預け、振り仰いだ先にあったのは私の手配書だ。セノンが皆に見せるために剥がしていったそれが、もう一度張り直されている。

「・・・・・・海賊か」

 私は結局のところ、どこまで行っても海賊なのだ。今回はそれを深く思い知らされた、――――いや、思い知らせてもらったという方が正しいかもしれない。
 エニエス・ロビーの一件から二日が経ち、このウォーターセブンも徐々にいつも通りの日常を取り戻しつつある。ルフィさんたち麦わらの一味と一緒にここへ帰ってきた私は、怪我によって丸一日意識を失っていたという。メリー号を見送ったあとの記憶がないから、気を失ったのはそこだろう。そして次に目を開ければ心配そうなセノンの顔があって、ぽろりと涙を零した彼女につられて私も泣いてしまった。抱きしめたセノンの身体が、ちゃんと温かいことが、叫び出したいほどに嬉しかったのだ。
 昨日今日と、一味の人たちとは会っていない。絶対安静だったのもあるけれど、会ってしまったら、自分がどうなってしまうか、よく分かっていたから。

 ――――今まで大切にしてくれて、どうもありがとう。ぼくは本当に、幸せだった。

 今でも瞼の裏に焼き付いている、メリー号の最後。思い出すたびに胸の奥が苦しくなって、泣いてしまいそうになる。私にも聞こえたあの船の声は、何故かひどく私の胸を突いた。ああこの一味に加わりたいなあ、――――そう、思ってしまったのだ。
 あの人たちと戦っている間、何度もそう考えた。いいなあと、そう思った。海にもう一度出たい。私だって故郷を見つけたい。それでも、最後の一線はぎりぎり保っていた。あのメリー号の一件がなければ、今だって普通に一味の人たちに笑顔でお別れが言えただろう。
 私も、一緒にメリー号を悼みたかった、なんて。思い出を共有していたかったなんて。あの人たちだけで完成された世界に、私の居場所があればいいのにと願ってしまった、なんて。

「セノン・・・・・・」

 私の言葉に返事はない。彼女は私が気絶している間に、色々あってアイスバーグ市長の新秘書に就任してしまったらしいのだ。街の復興を一手に担うガレーラカンパニー、その社長秘書ともなればとてつもなく忙しいのだろう。今日だって、昨日の夜退院したばかりで本調子でない私を一人、家に残していくことをひどく躊躇っていたけれど、どうしても行かなければならないからと申し訳なさそうな顔で出かけていった。
 ガレーラカンパニーの社長秘書。セノンの居場所が、このウォーターセブンに出来上がっていく。
 私のたった一人の家族。大切な姉。彼女を置いていくなんて、私には出来ない。私は、まだセノンを一人にしたくない。居場所と家族は違うのだから。

「・・・・・・」

 窓から吹き込んできた風が、机の上の原稿用紙をふわりと攫う。
 私が書きなぐっていたのは、今回の私と、麦わらの一味のひとたちにまつわる全てだ。小説ではなくて、ただ事実を書き並べただけの、覚書のようなもの。
 私はまた、他人のふりをして、物語だけを綴るのか。
 そう思うと、また胸の奥が痛んだような気がした。




「セノンさん!!」
「・・・・・・ナミさん」

 走り寄ってきた海賊の少女の顔を見て、私はついに『そのとき』が来てしまったと、そう思った。彼女は真剣な顔をしている。私は、――――私は?どんな顔をしているのだろう。自分では、よく分からない。
 ガレーラカンパニーの社員用プールで突如始まった宴会は、あっという間に盛り上がり、今ではガレーラの職人たち、解体屋さんに麦わらの一味と、人々が入り混じり、溢れかえり、誰がどこにいるのかもよく分からない状況だ。そんな中でナミさんに見つけられてしまったのは、これもまた、運命と呼ぶべきなのだろう。

「よかった、来てくれてたのね!!」
「ええ。・・・・・・ナミさん。今回のこと、本当にありがとうございました」
「頭なんて下げないで!私たちだってセノンさんに助けられたし・・・・・・それに、ミナトにも」
「っ、」
「ねえセノンさん、ミナトは・・・・・・」
「ナミさん」

 彼女の言葉を遮るようにして名前を呼べば、その口は動きを止める。私たちに任せて、――――ミナトが連れ去られたと聞かされて呆然とする私に、そう言ってくれたひと。
 優しくて美しい海賊の少女は、私の顔を怪訝そうに見つめている。私はゆるりと首を傾けて、彼女に笑いかけた。

「その話をするなら、一味の人全員に」
「えっ・・・・・・あ、ああ、そうね!ちょっと待ってて!全員呼んでくるから!」
「はい」

 家に一人残してきてしまった、大切な妹を脳裏に思い浮かべながら、走りゆくその背中を見つめる。
 私は、あの子が私を見捨てるための手助けをしなくちゃいけない。そう思うと苦しくて死んでしまいそうだと思うのに、ミナトには自由に生きて、故郷を見つけて、好きなことをしてほしいと思うから。
 だから私は、手を放すのだ。




「――――ミナトのことを、よろしくお願いします」

 そう言って深々と頭を下げるセノンさんに、思わず絶句したのは私だけじゃないはずだ。サンジくんもロビンも、チョッパーだって、息を呑んで彼女の旋毛を見つめている。
 それに当て嵌まらないのは、またゾロとルフィだ。二人は静かな目をしている。どうしてこう、この二人は変なところで鼻が利くのだろう。セノンさんが初めから、私たちにミナトを託すつもりだった、なんて。

「まァ、言われなくても連れてくつもりだったけどよ。なァ、ゾロ」
「・・・・・・俺は先に話を聞いて、知ってただけだ。ただ、今回の一件でミナトは居場所を完全に海軍に押さえられた。ここにいたって捕まるのは時間の問題だろ」
「あんたたちはどうしてそう・・・・・・」
「ミナトちゃんはなんて言ってんだ?」
「ミナトは・・・・・・特に何も。私がこうして、皆さんにミナトのことを頼んでいるなんて夢にも思っていないでしょう。でも私には分かります。貴方たちについていきたい、でも私を置いてはいけない、――――そう思っているはずです」
「そうか・・・・・・」
「ここにいても、ミナトのためにはならない。それに、私では一緒に“海賊”になってあげられない。故郷を見つけてあげることも出来ない。・・・・・・私だってミナトのことは大切です。でも、それ以上に、あの子には自分のやりたいことを大切にしてほしい。だから、」

 セノンさんは、しっかりとした眼差しで私たち一人ひとりの顔を見渡した。そして最後は視線をルフィに戻し、少しだけ目元を緩ませる。それが何だか泣きそうな顔に見えてしまって、私は哀しいような虚しいような、そんな気持ちで胸がいっぱいになる。

「あの子を、ミナトを、――――私から攫っていって」
「ああ、――――あいつは俺の仲間にする!」

 力強く頷いたルフィに、セノンさんは一粒だけ涙を零して、「ありがとう」と囁いた。




 失うのを恐れるくせに、随分と早くからアイツを手放す準備をしていた女は、俺たちに今一度頭を下げて去っていく。
 ルフィがミナトのことを請け負ったあと、女が口にしたのは、大体俺が予想していた通りのミナトの『事情』だった。故郷を探しているというのは聞いた話だったが、『ALIVE ONLY』の理由についてはゴモラの一件で考えていた通り、血の能力だと考えるのが妥当らしい。
 曰く、“蘇生”の力。傷や病を血によって癒すことが出来る、――――そしてその事実にミナト本人は気付いていない。あの女はそれが、ミナトの故郷に関係していると考えているらしい。そこは概ね俺も同意見だ。そしてさらに、一歩踏み込んだ意見を出した奴がいた。
 ロビンだ。

「『アルカディア』・・・・・・と言ったかしら」
「アルカディア?」
「ミナトの小説を読んだときに、引っかかっていたのよ。・・・・・・あの小説の主人公の青年は、能力者でもないのに風を操っていたわ。ミナトと同じ・・・・・・その謎もあの小説が、彼女の母親の日記を頼りに書かれたというのなら説明がつく。つまりあの青年の血を、ミナトは引いていることになる。そして、あの小説については何人かが考察を出しているわ。ミナトは知らなかったみたいだけど・・・・・・」
「つまり、どういうことだ?」
「考察に書かれていたのは、青年と少女が『アルカディア』の人間ではないかということ、――――私が『ファンタジア』を読んだのも、この考察が気になったから・・・・・・悪魔の実の能力者ではないのに、様々な能力を操る者たちが住まう島、それが『アルカディア』」
「ミナトの故郷がそこだってことか?」
「そうなるわね・・・・・・この話、聞いたことある人も多いんじゃないかしら?『アルカディア』という名前は一般にはあまり知られていないみたいだけど」
「あァ、俺は知ってる」
「俺も」
「私も聞いたことあるけど・・・・・・じゃあミナトはアルカディア人ってことになるわね。当然、故郷もそこか・・・・・・参ったわね」

 どうやらこちらの考察も当たりだったようだ。ロビンの言葉に俺とクソコックが頷けば、ナミがため息混じりに額へ手を遣った。ルフィが不思議そうな顔をして、「何でその『アルカディア』ってのだと困るんだ?」と首を傾げる。その隣に立っていたチョッパーも大体同じような反応だ。

「アルカディア人は滅多に島の外には出ない。ついでに島の場所も不明。珍しい能力者たちが住む島ってことで長年探されてるみたいなんだけど・・・・・・どうも島の出入りはアルカディア人にしかできないみたい」
「ええー!?じゃあ俺たちが探検できないじゃねェか!!!」
「島は常に『迷いの雲』っていうので覆われてて、島には辿り着けないらしいの。『記録指針』も効かないから、正確な島の場所は未だに分かってないわ。ただ、アルカディア人は島に辿り着く方法をちゃんと知ってるらしい、ってのは分かってるのよね」
「ええ。ミナトの小説でも、主人公二人は最後、故郷の島に戻っているわ。その際に『雲を抜けたその先には、私たちの故郷の大地が広がっている』――――そう書かれていた。アルカディア人は雲の抜け方を知っているはず」
「じゃあロビンちゃん、それならミナトちゃんがいれば俺らも『アルカディア』に行けるんじゃ・・・・・・?」
「普通はそうなるわね。・・・・・・ただ、ミナトは自分の故郷がどこかも知らない。雲の抜け方を知っているかしら」
「・・・・・・知ってるとは思えねェな。アイツより姉のほうがよっぽど『アルカディア』とやらに詳しいんじゃねェのか」
「ってことは、おれたちじゃミナトを故郷に連れてってあげられないかもしれないのか・・・・・・?」

 場に沈黙が落ちる。ミナトの故郷探しはなかなか難航しそうだ。まァそんなことでミナトを仲間にしたくないとか、そんなことをグダグダ抜かす奴は当然いない。よし、と呟いたルフィがぱしんと拳と手のひらを合わせた。

「とにかく、ミナトはもう俺たちの仲間だ!明日あいつを捕まえにいこう。故郷の話は!!後だ!!」
「・・・・・・そうね。『アルカディア』の話、たぶんミナトはまだ知らないでしょ、話してあげないと」
「ちゃんと『仲間になれ!』ってミナトに言わねェとなー!もう嫌だっつっても聞かねェ!」

 にしし、と愉しげに笑ったルフィを横目に、俺は風の中翻る赤い髪と、青い瞳を、また思い出す。


花瞼の記憶

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