022


『エニエス・ロビー本島における、生存者“0”』

 呼吸が、止まる。
 海軍同士の通信から聞こえてきたそれは、とてもじゃないけれど信じられるような内容ではなかった。私は思わず勢いよく起き上がり、本島のほうを見遣る。業火が立ち上るそこには、生き物の気配はない。ぞっと心臓が冷えていく。

「セ、ノン・・・・・・?」
「ミナト!?」
「セノン・・・・・・セノン、どこ、はやく、はやく血をあげないと」
「血?なに言ってるの、ねえ、ミナトしっかりして!!」
「おいナミ、ちょっと代われ」

 視界がぼやける。頭の芯がぐにゃりと崩れたような感覚。私は脇腹の傷に手を遣る。包帯が巻かれたそれでは血が足りなくて、私は自分の手に自らひっかき傷をつける。もっと。もっと血を出さないと。足りない。足りない足りない足りないセノンを生き返らすには足りない、――――
 ぐい、と頭が引っ張られる。ひどく遠く感じられる感触から、頬を両手で挟まれているのだと分かった。

「オイ、ミナト」
「・・・・・・セノンに血をあげにいかないと」
「・・・・・・」
「セノン、セノンが死んじゃう、――――セノンに血を、」

 ぱん、と乾いた音がした。頭が左に勢いよく振れる。じわじわと痛みのような、熱のようなものが伝わって、そうして私は自分が叩かれたことに気が付いた。急に意識がはっきりして、自分の状況を唐突に理解する。
 目の前にはゾロさんがいて、その奥には心配そうなナミさんが見える。ひりひりと痛む左腕のやわい部分には、赤いひっかき傷がついていた。いつの間にこんなことしたのだろう。一瞬、意識も何もかもが飛んでいたみたい。さっきまでの私が何をしていたのか、よく分からない。あの放送を聞いた瞬間からの記憶がすっぱりと抜けている。

「あ、・・・・・・あれ?」
「・・・・・・目ェ覚めたか」
「ちょっとゾロ!何も叩くことないじゃない!!!」
「そうでもしねェと正気に戻らねェだろうが。・・・・・・今やるべきことを見失うな」
「いま、わたし」
「・・・・・・錯乱してたみたいだったわ」
「・・・・・・」
「ミナト」
「そっか・・・・・・ごめん、大丈夫」

 じわじわと、身体に力が戻ってくる。セノン、と音に乗せると、ぽろりと一粒だけ涙が滑り落ちていった。頑張らなくちゃ。今は立ち止まっている場合じゃない。生き延びないと。生きて、帰らないと。そうじゃないとセノンだって。
 痛む心臓を押さえつけて、私はゆっくりと立ち上がる。揺らめく炎と粉塵、そして私たちを取り囲む軍艦。改めて見ても、状況は最悪だ。でもここを乗り切って、ウォーターセブンに帰らないと。セノンのためにも。
 目元を拭って、私の目を覚まさせた彼を見据える。

「もう大丈夫。ありがとう、ゾロさん」
「・・・・・・あァ」

 あとで好きなだけ泣け。最後に囁かれたその言葉は、たぶん、彼なりのやさしさだったのだろう。




 ミナトに、なんて声をかけていいのか分からなかった。もちろんフランキーにも。でも二人とも、今はもうまっすぐ前を向いている。それがひどく哀しいことだと思うと同時に、頼もしいなと思った。
 私たちに任せて。そう彼女に言ったことを思い出す。どんな顔をしたんだっけ、――――ああそうだ、泣きそうに、嬉しそうに、笑ったのだ。セノンさんは。その彼女が死んだなんて、信じられなくて、まだ上手く飲み込めない。私でさえそうなのだから、ミナトはぐちゃぐちゃになった身体の中身を必死に押さえつけているんだろう。
 来たる戦闘に備え、迫りくる軍艦を睨み付ける。第一支柱が切り離され、軍艦が急接近してきた。海軍はロビンを今度こそ奪うつもりだ。

「ロビンをまた奪いに来るぞ」
「そうはさせないわよ!!」
「・・・・・・!!」
「おいあそこ見ろ!!」

 ウソップ、じゃなかったそげキングの声に、第一支柱を見遣る。戦塵が上がるその中に、見慣れた、小さいようで大きい背中が見えた。隣にいたミナトがぽつりと呟く。

「ルフィさん・・・・・・」
「ルフィ君〜〜〜〜っ!!!ここだ――――っ!!!」
「全員無事橋へ着いたぞーっ!!!」
「こっちは心配いらないぞルフィ君!!!」
「ロビンちゃんも助けたァ!!!」
「あとはお前!!!そいつに勝て!!!」
「生きてみんなでここを出るんだ!!!」

 遠目でも、はっきりと分かった。ルフィの目に、いつもの光が舞い戻るのが。
 ゆるりと口角を上げたルフィが小さく頷く。それだけで、絶体絶命のこのピンチだって切り抜けられるような気がしてくるから不思議なのよね。一味の奴なら、たぶん全員そうだと思う。まァ船長が頑張ってんだから、私たちも頑張らないとね。そう気合いを入れ直した私の横で、ミナトがこちらを向かないまま話しかけてきた。

「ナミさん」
「なに?」
「不思議だね。・・・・・・ルフィさんのあの顔見たら、負ける気がしなくなってきちゃった」
「・・・・・・!」
「ナミさん?」
「ええ・・・・・・そうね」

 ミナトは小さく微笑んで、頑張ろうと呟いた。私はそれに頷き返しながら、彼女の横顔を見つめる。
 彼女はまるで、もう一味の一員のように感じられる。なんてったって、私と考えていることが一緒なんだもの。ルフィがあれなら負ける気がしないって。
 風に靡く赤髪が綺麗だ。たぶん、彼女が一味に加わる未来もそう遠くはないだろうな、なんて思いながら、私は軍艦への迎撃体勢を取った。




 ――――ニコ・ロビンを奪還せよ!!
 その言葉と共に、海兵たちが一斉に私たちに襲い掛かる。精鋭二百名、なんて言っていたから、恐らくこの人たちは私が風龍塔で吹き飛ばした彼らよりずっと強いのだろう。戦い方を考えないと。
 場が狭いのも問題だ。あまり大きな技を使うと味方にまで攻撃が当たってしまう。私は敵の攻撃を躱しながら、両手で空気を弾いて攻撃する。合間に手を振り抜いて、風の刃でその身体を薙いでいった。

「“風鼬”!!!」
「オラァ!」
「ッ“風壁”、――――“風爆”!!!ああもう!!」

 本当にきりがない。ルフィが来るまで堪えろ、そうゾロさんが叫んでいるのが微かに聞こえた。弱音を吐きそうになる唇を噛みしめて、ぎりぎりのところで敵を躱しながら一人ずつ確実に倒していく。欲張っちゃだめだ。足元を掬われる。
 ぱちん、ぱちん。鳴らし過ぎて皮が剥けたのか、指がぬるりと滑る。思わず舌打ちを零して私は腕を振り抜いた。

「――――“ダウンバースト”!!!」
「ルフィ――――!!!」

 そげキングさんの、――――ウソップさんの、叫び声が聞こえた。まさかと思いながら乱闘の合間に視線をそちらに遣れば、ルフィさんが倒れているのが見える。ぞく、と背筋が粟立った。
 私だったらあの足場まで飛べる。ルフィさんを助けなきゃ。そう思うのに、周りの敵が邪魔で思うように動けない。その間にもウソップさんの声が何度もルフィさんに投げかけられる。内容は上手く聞き取れないけれど、なんとなく、ルフィさんはまだ負けていないのだと思った。ウソップさんが彼を立ちあがらせようとしているんだ。

「――――ここが地獄じゃあるめェし!!!お前が死にそうな顔すんなよ!!!心配させんじゃねェよチキショー!!!!」

 負けないで。立ち上がって。祈りを込めながら、私は目の前の敵に集中することにした。ルフィさんならきっと大丈夫。
 指を拭って、また敵へ立ち向かう。指が痛くたって斬られた身体が軋んだって、戦わなきゃ。歯を食いしばって、足を無理やり動かした。身体がついていかなくなってきた。血を失いすぎた身体は、少し動かすだけでもかなりの労力を要する。ルフィさんが勝つのが先か、私の身体が限界を迎えるのが先か、――――思わず苦笑した瞬間、ものすごい轟音を立てて、第一支柱の壁が吹き飛んだ。

「ルフィさん・・・・・・!?」
「ルフィ!?」

 誰もかれもが、動きを止める。固唾を呑んで第一支柱を見つめる私たちに、その声は戦塵を切り裂いて届けられた。

「一緒に帰るぞォ!!!ロビ〜〜〜〜〜〜ン!!!!!」


ネヴァー・ネヴァー・ランド

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