016


「ここへ来た本分を忘れるな!お前らの暴れる場所はここじゃねェ!!」

 そう言って、走り出した私たちを“キングブル”の上に引き上げたのはパウリーさんだった。
 確かにこの包囲網、抜けるには一苦労だと思っていたところだ。“キングブル”なら一瞬で突破できるだろう。私が引き上げられたソドムの上には麦わらの一味とガレーラの三人、そしてセノンがいた。見たところ、セノンに怪我はないようで少し安心する。しかし彼女は何故か後ろを真剣な表情で見つめていて、――――ああ、そういうことか。

「・・・・・・セノン、頼んだよ」
「ええ。ミナトも気を付けてね」

 ゆるりと傾げられた首もいつも通り。でも、その瞳には覚悟があった。
 ソドムを追いかけてくる敵勢を一睨みしたセノンは、これからここに残って敵を食い止めるつもりだ。おそらくはガレーラの人たちと一緒に。案の定、飛び乗ってくるつもりらしい敵に悲鳴を上げるチョッパーくんやナミさんを余所に、パウリーさんがサンジさんへ手綱を渡した。

「あいつらに会ったら、言っといてくれよ、――――てめェらクビだと」
「・・・・・・必ず」

 にやりと笑ったゾロさんの返答を聞くか、聞かないか。そのタイミングでガレーラの三人組がソドムから飛び降りる。最後に残ったセノンも、一味の顔を順に眺め、――――最終的にゾロさんへと目を向けて、「ミナトをよろしくお願いします」と言うや否や空中に身を躍らせた。
 大丈夫。セノンは、自分のできることをわきまえている人だ。無茶はしないはず。三人の背中へ向かって駆けていく姉を見下ろして、私はそっと胸を押さえた。彼女は華麗に舞い、時に能力を使い、敵を確実に仕留めていく。ガレーラ職長だけあって、三人の腕前もなかなかのものだ。あいつら強ェ!!と驚いたチョッパーくんの頭を軽く撫で、振り返るのをやめた。
 私は進まなくてはならない。喧噪が遠ざかる。

「ここは、請け負った!!!」

 どうかあの人が、私のやさしい姉を守ってくれますように。




 昔、聞いたことがあった。
 誰に聞いた話だったかは覚えてねェ。たぶんくいなか誰かだったんだろう。話の内容のほうが衝撃的過ぎて、話をした張本人を俺はすっかりと忘れていた。それでもそもそも話自体も今の今まで忘れていたんだ。
 この広い海のどこかに、不思議な能力を持つ人々が住まう島があるという。その島の住人は誰もかれもが不思議な能力を持ってして生活している。島はその島出身の者がいなければ見つけられず、影さえも見つからない。その能力欲しさ故に世界中の人間がその島を探したが、いまだ一度も見つかっていない、――――まるで御伽噺だ。
 その能力者は悪魔の実の能力に滅法強く、そして滅法弱い。人さえも生き返らせる力を持ち、万物を操る権限をも持つ。俺がこの話をミナトに結び付けたのは、本当にただの思いつきだ。それでも何故か、俺にはミナトがこの話に関わっているだろうという妙な確信があった。
 ちらりと隣を見遣れば、赤い髪を風に靡かせたそいつが映る。やけに神妙な顔付きで先を見据えているが、今からそんなでどうするんだか。俺は彼女の肩を刀の柄で軽く叩く。ぱちりと目を瞬いて、青い瞳がこっちを向いた。

「まだ早ェ。力入れ過ぎてんぞ」
「あ、・・・・・・そう、ですね」
「・・・・・・緊張してんのか」
「柄にもなく」

 参ったな、と苦笑するその面はとても海賊とは思えない。だが彼女を構成する何かしらが『海賊』なのだろう。一目見たときから海賊だとしか思えなかった。この細い、白い首に7千万もの金がかかっているという事実は、にわかには信じがたいが。
 いや、実力は申し分ねェ。ただ、少し。7千万もの首を支えるには、その精神も身体もいささか脆弱だ。
 そんなことを考えていたら、俺のほうをぼんやり見つめていた瞳が急にはっと見開かれる。右手が持ち上げられ、彼女の唇が「“風壁”」と紡いだ。迫撃砲から放たれた弾が、ミナトの右手から現れた風の障壁に阻まれ、撃った奴のところまで弾き飛ばされていく。

「・・・・・・ゾロさん、今わざと私に対処させた?」
「さァな」

 こいつの姉は、俺に自分たちの話をして、何を理解してほしかったのか。ミナトが離れていくであろうことを、悲しそうに、諦めたような顔をして受け入れた女。きっといつか『別れ』がやってくると知っていたんだろう。
 故郷の目途はまだ立ったとは言えない。それでも、この船の奴の多くは『失う辛さ』を理解している。セノンとやらの心境を聞いてなお、こいつの故郷探しに反対する奴もいねェだろう。
 次はゾロさんがどうにかしてくださいよ、と困ったように眉を下げたミナトに仕方ねェなと返して、俺は再び刀を抜いた。

「・・・・・・そういえばそげキングさんがいないけど、いいの?」
「え?」
「ん?」
「え゛えェ!!?」
「あっ・・・・・・ダメだったんだ・・・・・・もうちょっと早く言えばよかった・・・・・・」

 ほんと仕方ねェなこいつ。




「とにかく・・・・・・乗ってねェモンは今更迎えに戻れねェ・・・・・・!!あいつはあいつで何とかやるさ」
「でも衛兵だらけの島よここは!!ルフィじゃあるまいし一人でいたら命が・・・・・・」
「一つの島を越えるたび俺たちは全員、知らず知らず力を上げてる。あいつも行く島々で毎度死線を越えて来てんだ」

 私が『そげキングさんがいない』というリークをし損ねたせいで大変なことになってしまった気がする。本当にすみませんでした。サンジさんにはあんな奴どうとでもなるって!という首を傾げたくなるような言葉をもらってしまったが、おそらくこれは私に責任を感じさせまいと言ってくれたのだろう。とりあえず頷いておいた。
 前方にはもう裁判所が見えている。確かにここまで来てしまったら引き返すわけにもいかないだろう。ウソップさん、一人で大丈夫かなぁ。あまり戦闘は得意じゃないみたいだったけど、――――そう思考を巡らせた瞬間、爆発音と共にぐらりとソドムの身体が傾いた。誰かの、息を呑む音がいやにはっきりと聞こえた。

「しまった・・・・・・!!キングブル!!」
「ソドム!!!」
「大変だ、すぐ手当てしなきゃ!!」
「え・・・・・・」

 ちらりと見えたソドムの左胸の辺り。べしゃりと血に濡れたそれは一目で重傷を分かるものだった。一瞬止まった思考がまた動き出す。おそらくこれは迫撃砲でやられたんだろう。私がもう少し気を付けていれば防げたかもしれない、のに。ゾロさんの刀やサンジさんの足では届かないそこも、私であれば守れたのに。すっと血の気が引いていく。解体屋さんの「飛び移れ!」だとか「ソドムはもうだめだ」なんて言葉が耳を通り、頭の中で反響した。

「ミナト!!行くぞ!!」
「・・・・・・」
「・・・・・・ッち、来い!!」

 ゴモラに乗り移ったのか。ゾロさんに腕を掴まれ、空中に引っ張り出されたのち何かに着地した私は、頭を押さえて立ち上がる。だめだ、しっかりしないと。私がぼんやりしていたらソドムの二の舞になってしまう。――――そう思うのに、心臓の音ばかりが耳について、離れない。
 私が今挑んでいる戦いは、『そういう戦い』なのだ。やっぱり私はどうしようもない馬鹿で、未熟者だ。セノンだって分かっていたであろうことが、ちゃんと分かっていなかった。彼女のあの目は、何かを成しえるために何かを犠牲にすることを覚悟した目だったのだ、と私は唐突に理解する。
 一味の人たちは司法の塔への渡り方をココロさんに聞いているみたいだけど、まったく頭に入ってこない。でも、動かなきゃ。繰り返す前に。私は私の、手の届く範囲のものを守らなくちゃ。

 しかし、――――現実はそう甘くはない。

 鉄球に打ち据えられて、壁に叩きつけられるゴモラを、守ることもできずに見つめるだけ。
 頭の中が真っ白になる。分かっている。分かっているのだ。これはそういう戦いだ。私とセノン、二人だけのときとは違う。犠牲を出してでも前に進まなきゃいけない、のに。そう思ったところで、自分の中の何かが切り替わるような気がした。
 ふらりと踏み出した一歩から、ゾロさんのところを目指す。早くしないと間に合わなくなるということだけが、いっそ冴え冴えとした頭の中で、明確に分かっていた。私は、何をすべきか『知っていた』。

「・・・・・・ゾロさん」
「あ?なんだ、ミナト」
「刀を貸してください。一瞬でいいから」
「何言って・・・・・・って、オイ!!」

 時間が惜しくて、私は無理やりゾロさんの腕ごと刀を持ち上げ、左手の、白くて柔らかい部分に一筋の傷をつける。持ち上げた時点でゾロさんが勘付き、慌てて取り上げようとしたけれど、私の腕にはもう赤い血が滲んできていた。いたい、けど。ゴモラのほうがもっと痛いはずだ。
 私は、自分が何をしようとしているか理解してはいるが、自分がそんなことができるなんてまったく知らないし、心当たりもない。ただできるという確信だけがあった。垂れてきた血を右手で救い、手の届く範囲にあったゴモラの傷に、べしゃりと擦り付ける。

「ミナト!?こんなときに何して、」
「――――“蘇生”」

 右手が温かかったことだけは、覚えている。




「ッ、どうした借金取り!!喰らったか!?」
「・・・・・・いえ、」

 気のせい、かしら。
 思わず振り返ったのは、ミナトが進んだ方向。あちらも相変わらず混戦しているようだ。敵の攻撃をバックステップで避け、パウリーさんの隣に並ぶ。ルルさんとタイルストンさんも少し離れたところで戦っているけれど、私たち四人はもうかなりぼろぼろだった。
 何よりも敵の数が圧倒的に多すぎる。さばいてもさばいても、無限に溢れてくる敵。これは少し嫌気が差すのも致し方あるまい。
 ミナトが無事であればいい。ただ、――――先ほど覚えた違和感は。

「パウリー、さん、・・・・・・このままじゃ分が、悪すぎます」
「ッチ、そんなことは分かってんだよ!!」
「ハァ、ッ、は、そう、ですよね」

 腕が重い。振るい続けた肩が限界を超えている。息が上がっていく。また一人を血の海に沈めながら、私たちは確実に追い込まれていった。パウリーさんたちはまだいけるだろう。むしろ足を引っ張っているのは私だ。不覚を取って斬られた左足がじくじく痛み、先ほどから何度も危ない場面を彼らに救われている。
 止血なんてする暇もないから、血は垂れ流し状態。血がどんどん失われていき、体温が下がってきたのも感じた。
 こんなに死を明確に意識したことなんて、あっただろうか。――――ああ、二回目、かしら。
 私がまだミナトと旅をしていたころ。私が海賊に腹部を斬りつけられ、血液を大量に失い、もうここで死ぬんだと思ったときがある。そのときのミナトの顔は、蒼白どころの騒ぎではない。まるで何もかもを無くしてしまったかのような無表情。そのまま私を斬った海賊を射抜き、その足でふらふらと私の横にしゃがみ込んで。おもむろに自分の腕を、私の短剣で斬った。
 声を出すのも辛い状態だったのに、後を追うつもりだと考えた私は怒鳴って彼女を止めようとした。でも、ミナトは首を傾げて、「じっとしてて。今治すから」と呟いて、――――

「・・・・・・“蘇生”の力」

 私の傷を、自身の血を使ってすっかり治してしまったのだ。何が起きたか分からなかった。ぼんやりとしているミナトを揺すって、今のはどういうことだか尋ねても、彼女は覚えていなかった。自分が何をしたのかすら、すっかりと忘れていた。
 あれが、私の考える『生きたまま捕えよ』――――その真意である。
 彼女が何者なのか、私には分からない。
 きっと解き明かしてくれるとしたら、あの緑の髪の剣士さん、だろう。彼は何となく、何かを掴んでいるような顔をしていた。
 刃を振り回すさなか、私はもう一度振り返る。そこに赤い髪の愛しい姿はないけれど。
 どうかあの人が、私のやさしい妹を守ってくれますように。


僕の名を呼んでさよなら

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