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「『期待の新人』、『気鋭の若手作家』ねぇ・・・・・・」
「ナミ、何読んでんだ?」
「・・・・・・ちょっとね」

 ルフィの質問をはぐらかしながら再び見遣ったのは、新聞の一面記事。
 そこに大見出しになっているのは緋色の髪が美しい、年若い女の子。私より少し年下だろうか。豪奢な装丁の本を掲げて、にっこりと笑っている横顔の写真。どうやら記者が勝手に撮ったもののようだ。
 彼女が着ている黒いサマーニットの襟ぐりから、白い肌に走る刀傷がちらりと見えていて、思わず眉をひそめた。一見ただの傷や痣にも見えなくもないが、見る人が見れば分かってしまう代物だ。普通に記事に載ってるんだから、問題ないんだろうけど。小さく息を吐き、今度は記事のほうに目を通す。
 今回取り上げられている本は、彼女が出版社に持ち込んだ原稿がそこの編集者の目に止まり、そのままの勢いで出版が決まってしまったのだという。『ファンタジア』と銘打たれたそれは、どうやら海賊と一人の少女のラブロマンスを描いた物語らしい。
 海賊物は昔から一定の需要があると聞くけれど、こんなに大きく取り上げられるのは初めてじゃないだろうか。海賊のイメージアップに繋がるから、と海軍がいい顔をしないという話は有名である。
 しかし書いたのは美しくて可憐な少女。しかも処女作で、壮大なラブロマンス物。話も面白い。そりゃ世間も騒ぐか、と妙に納得して、私はサンジ君作のパイユの、最後の一口を飲み込む。
 次の島で売ってるといいけど。ちらりと見遣った水平線には、ぼんやりと島影が浮かんでいた。




「・・・・・・お、終わらない・・・・・・」

 私は頭を抱え込み、机に額から突っ伏した。こうしたところで何も変わらないのは分かっているけれど、さっきから一文字も進まないのだから致し方あるまい。握り締めていた万年筆は、いつの間にどこかへ転がって見えなくなっていた。
 机の上の原稿用紙は、最後の数行で止まっている。もう一時間はこのままだ。私は再び深いため息をついた。

「大体、あの本の続編ってのが無理な話なんだよね・・・・・・」

 半年前に出版した『ファンタジア』というタイトルの本を思い出す。強くて男気のある海賊と、その海賊に見初められ、彼についていくために家の決めた婚約者を捨て、家を飛び出した少女のラブロマンス。まるでお伽話みたい、と評されることが多いこの作品だが何のことはない、ただの実話だった。勿論、自分で体験した出来事ではなく、実は私の両親の馴れ初めなのである。
 私は生まれついた故郷を知らない。物心がついたときには別の島で祖父母に育てられていて、両親の記憶もない。遺されたのは一枚の写真と、このどろどろ甘々な馴れ初めから新婚生活までが綴られた母の日記だけだ。私はこの日記を頼りに、『ファンタジア』を書いた。
 何故こんなことをしたのかと問われれば答えは一つだ。両親を知っていて、彼らが住んでいた島を知っている人。この世界を探してもいないかもしれないその人を、私は探している。そのためにこの物語を書いたのだ。流石に日記の通りの実名は出していないが、気付いた誰かが名乗り出てはくれないかと、半年経った今でもどこかで期待をしていた。
 私は、故郷を見て、そこで両親の墓に手を合わせたかったのだ。「――――それなのに、」

「どうして続編なんて書かなきゃいけないの・・・・・・」
「仕方ないでしょう、ミナト。貴方の本がそれだけ素晴らしかったということよ」
「故郷に帰りたいだけなんだけどな・・・・・・」
「・・・・・・そうね」

 後ろから私に声をかけたのは、仕事へ向かう準備の最中らしいセノンだった。いつものように品の良い、タイトスカートのスーツ姿だ。彼女は私の姉のような存在だが、本当の姉ではない。親戚でもなく、ましてや薄い血の繋がりすらない、まったくの他人だ。ただ私たちには共通点があった。
 セノンも私と同じように故郷を探していたのだ。そして同じように天涯孤独の身。たまたま町で顔を合わせた私たちは意気投合し、二人きりの海賊として海に出て、今はこのウォーターセブン、――――セノンの故郷に二人で家を借りて住んでいる。

「色々島の情報は集めているけど、ミナトに記憶がないというのが痛いわね」
「そうなんだよね。セノンはちゃんとこの町の特徴を覚えてたから、ここを見つけられたわけだし」

 それに比べて私はどうだ。何も覚えちゃいない。
 私がここに留まっているのは、単純に故郷の情報がないためだ。母の日記は航海中の話ばかりで、故郷についてはあまり触れられていない。国の名前に至っては一度も出てこないのだ。
 他に仲間がいればその仲間と海に出たかもしれないが、現状私は一人きり。せっかく故郷を見つけたセノンを連れて行くわけにもいかない。八方塞がりだった。
 床に転がっていた万年筆を握り直し、私は原稿用紙に向き合う。この話は『ファンタジア』の続編として担当さんに打診されたものだった。二人の息子が海賊になって、その船に匿われていた王女様と恋に落ちる話だ。躓いている場面は、二人が海賊を続けるという選択をするところ。その選択を持ってこの話は終焉を迎える。

「どうして今回はそんなに大変そうなのかしら」
「ん、ああ、これ?」
「そう。前作はもっとすらすら書いていたでしょう」
「まぁ前作はお母さんの日記もあったし・・・・・・今回は一から書いてるから」
「それだけ?」
「・・・・・・あとは、私自身が『本当の海賊』をしてないっていうのがあるかも」

 セノンが形の良い眉をぴくりと動かした。
 私とセノンがやっていたのは、所詮『海賊ごっこ』だ。二人とも腕にだけは自信があったが、航海術はさっぱりだったので、自分の船では航海していない。適当な商船や海賊船に乗せてもらっていただけだし、何よりウォーターセブンへは海列車があった。セノンの話を聞いて、彼女の故郷をウォーターセブンだと確信してからここに至るまで半月もかからなかったのだ。
 一応、それなりに戦闘もしたのでフダ付きではあるものの、何かが違うという思いはあった。
 だから『海賊』らしさを出すのがなかなか難しい。
 私がそう説明すると、彼女は納得したように頷いた。そしてほどほどにね、と笑う。そういうセノンは今日も仕事に追われるのだろう。私よりよっぽど重労働なくせに、――――そう思って、ふと気付いた。

「今回の『ターゲット』は手強いの?」
「え?」
「もうずっとお休みがないから」

 セノンは、普段あまり変わらない表情を、驚いたそれに変えていた。短く揃えた黒い髪と、硝子玉のような翡翠色の瞳に美しい顔のこの姉は、澄ましていると作り物めいた感じがするだけに、私はこういう表情のセノンのほうが好きだ。
 そしてさらに驚いたことに、振り返った先でセノンは嬉しそうに顔を緩めていた。

「・・・・・・すごく逃げ足が速いの。まだ一回も捕まえられていないわ」
「えっ、」
「驚いたでしょう」
「・・・・・・『神速のセノン』から逃げ切れる一般人がいるとは思わなかった」

 私が昔の通り名を呟けば、恥ずかしいからやめなさいと苦笑して、彼女はピンヒールに足を沈める。そしてくるりとこちらを振り向いた。ドアが開く、十二時ジャスト。ターゲットの仕事が休憩になるこの時間帯が、セノンの勤務時間だ。

「行ってきます、ミナト」
「行ってらっしゃい、セノン」

 ぱたり。ドアが閉まった。
 その風圧で、壁に貼られた手配書がひらりと揺れる。そこでは今よりいくらか幼い私が、緋色の髪を晒して笑っていた。今の髪色とは似ても似つかない、明るく、温かい色。
 私の指はゆっくりと文字を刻んでいく。最後の言葉を書き終えて、長い息を吐く。
 読み返して、やっぱり気に入らなかったそれを、ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へ投げた。外れた。

「あーあ」




 ピンヒールで走っている私を見ると、道行く人がぎょっとした顔付きになるのには、もう慣れた。自分では普通だと思っていたのだが、今日も今日とて私に追いかけられる彼には、それがどうにも信じがたいようだ。

「だああァ!!だから何でお前はそんな靴でそんなスピードが出るんだよ!!!」
「出るんだから仕方がないでしょう」
「あとそんなハレンチな格好で走るなっつってんだろォ!!何回言えば分かるんだテメェは!!!」
「ハレンチではありません。スカートです」
「それがハレンチだっつってんだよ!!!!」

 ガン、と細いヒールがコンクリートを蹴る。折れないのは特注の鉄入りヒールだからなのだが、これは重いのが難点だ。そう零せばミナトには「ヒールやめれば?」と呆れた顔で言われてしまった。
 迷路のように入り組んだ路地を、目の前の背中を追って走り抜ける。右へのターンに一瞬反応が遅れて、思わず顔をしかめた。いつも使っているヒールを重いと感じてしまうのも、この『ターゲット』の足が異様に速いからだった。
 私の仕事は、所謂借金取りである。返済期限を過ぎた借金を直接取り立てる仕事。当然危険が付きまとうので、女性の借金取りは自分以外でおよそ見たことが無い。最初は会社のほうにもあまりいい顔をされなかったのだが、他の人がこなせないような仕事を率先してやっていけば、あっという間に『最速借金取り』の異名を頂くまでになった。
 そして辿り着いたのがこの男である。

「今日こそは逃がしませんよ、――――パウリーさん」

 泣く子も黙るガレーラカンパニー1番ドック、艤装・マスト職の職長、パウリー。
 最高難易度を誇るこの依頼は、私をもってしても二週間成果なし。1ベリーですら回収できていない。
 ただ足が速いだけならば、いくらでも対処のしようがある。しかし彼はあのガレーラの1番ドック職長なのだ。水路の近くで足を止めたパウリーさんが、私を振り返ってニヤリと笑った。

「まァ、悪いな。今日も残念でしたということで、――――“ロープアクション”!!」
「あっ」

 水路の対岸にあった欄干に、彼が繰り出したロープが伸びていく。ロープはまるで生き物のように動き、欄干に結びついて、パウリーさんはそのまま向こう岸へ飛び移ってしまった。見渡した限りで橋はない。またやられてしまった。水路に来る前に捕まえなきゃいけなかったのに。
 呼吸を整え、顔を上げる。もうそこに彼の姿はなかった。

「・・・・・・これで三十連敗」

 そろそろ社長に怒られそうだ。いつもならここで諦め、また彼の終業時間まで待つことになるのだが、生憎と私にも生活がある。今日こそは何が何でも返済してもらわないと不味いのだ。
 私はスーツの乱れを直し、髪を撫で付けると、ガレーラカンパニーの本社に向かって歩き出した。




「ああ、――――見つけた」

 どこかの島のどこかの国。緋色の髪の少女を見て、その男はとろけるように甘く、笑った。


始まりのファンタジア

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