012


 はぁ、と息を吐いたその女に視線をやって、やっぱり意外だと思った。
 電伝虫の受話器をハレンチ女に返した借金取りは最初と同じ位置、すなわち俺の隣に再び腰を下ろす。隣、ってのは嫌でも視界に入る。だから冷静で無表情が常だと思っていた女の肩が、小さく震えてることなんかに気付いちまうんだ。いっそ舌打ちでもしてやりたい気分だったが、どうにかそれを押しとどめる。
 この女の妹だというからどんな奴かと思えば、電伝虫から聞こえてきたその声は、怒鳴り声の体裁は保っているものの気が抜けていてゆるかった。それに面喰ったのが初撃。二手目はそれに怒鳴り返した借金取りの声音と勢いで。危うく俺は葉巻を落とすところだった。
 くどくどと小言のような、心配のようなものを並べ立てて妹を委縮させている女は、あの無表情な借金取りと同一人物だとはとても思えなかった。最後に心配をかけるなと泣きそうな声を絞り出したのも、そして今肩を震わせているのも、全部アレイス・セノンなのだ。そう思うと何だか変な感じがして、気付いたときには勝手に言葉が零れていた。

「・・・・・・お前やっぱ、妹絡みだと変わるな」
「・・・・・・そうですか?」
「あァ」

 こちらを向いた目がぱちりと瞬く。肩の震えは止まっていたが、睫毛が濡れていることに気付いてしまう自分が恨めしい。やっぱり話しかけるんじゃなかった。視線を外し、窓の外を流れていく景色に目を留める。海ばかりで代わり映えしないが、涙目の女を見ているよりはずっと気が楽だ。
 視界に入らなくなった借金取りがどこを見ているかなんて分からない。だからとっくに俺たちの会話は終了したと思っていたのだが、しばらくの間を空けてからアレイス・セノンは俺の名前を呼んだ。

「心配してくださったんですよね」
「あ?」
「さっき。私を同行させることに反対してたじゃないですか」
「・・・・・・賞金首だかなんだか知らねェが、戦えるように見えねェからな」

 こいつの手足は細い。下手すりゃ、あのハレンチ女より細くて白くて、うっかり強く押せば折れてしまいそうだった。これであの脚力なのだから恐れ入る。
 俺の言葉に驚いたのか、借金取りは再び目を瞬かせる。その表情も初めて見たな、と思考が横道に逸れた。

「・・・・・・そんなに弱そうでしょうか」
「あァ。本当に戦えんのか」
「当たり前です。大体パウリーさん、私が戦うところなんて見たことがないでしょう」
「そりゃそうだろ。・・・・・・つか、俺にも追いつけねェでお前『神速』なのかよ」
「失礼ですね、純粋に『走るだけ』が苦手なだけです」
「はァ!!?」

 走るの苦手、って、アレでか。
 下手を打てば一瞬で追いつかれる恐怖は、他の借金取り相手では味わえない地獄だった。でもこいつは真顔で苦手だと言い切った。つまりこいつが冠する『神速』とやらは、何か別の要素からくるものなのか。
 驚きと共にまじまじとその顔を見た。借金取りは満足そうに微笑んで、「パウリーさん」

「安心してください。私、そこそこ強いので」
「・・・・・・走るの苦手な癖にか?」
「それでもパウリーさんとほとんど同じスピードですけど」
「うるせェよ。で、『走るだけ』が苦手ってのはどういう意味だ」
「相手を斬るために走るのなら得意、という意味です」

 さらりと告げられた言葉に思わず固まった。

「相手の死角を計算して近づくので、一瞬で距離を詰められたように見えるんでしょうね。走る速度はいつもと同じなのですが、――――パウリーさん?どうかしましたか?」
「・・・・・・いや、やっぱりお前も海賊なんだなと思ってよ」
「だから先ほどからそう言っているじゃないですか。・・・・・・ああ、でも、走るのだって男性にも負けたことなかったんですよ。パウリーさんの逃げ足が速いんです」

 そう言われてみれば、この女の太腿にはベルトが巻き付いていて、そこに何本ものナイフが挟み込まれている。いや、太腿なんてハレンチなモンを視界に入れるのは恐ろしいので、ちらっとしか確認してねェが。
 斬るために、という言葉はこいつの顔のつくりには似つかわしくないが、あの無表情を考えると納得できるところもあった。普通の女なら空恐ろしい話だが、海賊ならば別だ。こいつにはそうせざるを得ない事情があったんだろう。海で生き残るためか。それとも妹を守るためか。どちらにせよこいつは、人を殺す必要があった。
 やり切れねェ話だ。自分の胸にわだかまっている感情が憐みなのか同情なのか、それとも別の何かなのかは自分でも判別ができない。

「納得していただけましたか?」
「・・・・・・実際見てみねェことには難しいが、まァ、自分の身ぐらいは守れんだろ?」

 曲がりなりにもこいつは賞金首で、海賊だ。どうして今借金取りなんかやってんのかは分からねェが、腕が立つのは本当なんだろう。人を殺す術を知っている。それは分かっている。
 しかしどうにも、あっさりとこの女を戦わせてしまうのが躊躇われるのだ。いったいどうしちまったんだ俺は。頭では納得しているはずなのに、口から出たのはやはり煮え切らない答えで、俺は自分で自分に呆れてしまう。

「・・・・・・パウリーさんって、」
「なんだよ」
「いえ、自分を追い掛け回してた借金取りを心配するなんて、変な人だなと思いまして」
「オイ」
「・・・・・・ありがとうごさいます」

 心配してくれて。
 そう言って笑った瞳には何かの色が浮かんでいた気がしたが、アレイスはハレンチ女に呼ばれて顔ごと振り返ってしまったので、それが何なのか確かめることはできなかった。
 ただ少し、胸の奥が焼け付くように痛んだ。




「よし!戦闘準備バッチリよ!!」
「すみません、私の分まで」
「いいのよ、セノンさんスーツじゃ動きにくいだろうし」
「ありがとうございます」
「いーえ、・・・・・・で、そこの男共は何してんの」
「てめェ何堂々とここで着替えてんだ!!ハレンチ女!!!あと借金取り!!!」

 ナミさんに貸していただいた服は、少々胸のあたりが余るものの身の丈はぴったりで、少し悲しくなる。胸のすぐ下辺りで裾を結ぶように作られた白いシャツと、中に着る胸までのキャミソールにホットパンツ。スタイルがいいとこういうのも映えるのだろう。選り好みできる立場ではないので大人しく着たが、足が出過ぎて恥ずかしい。あとできればお腹も隠したい。

「――――、の割には堂々と立ってんじゃねェよ!!隠せ!!!
「隠せるようなものを持っていませんので。仕方がないです」
「おいコラハレンチ女ァ!!こいつの服もっとマシなのなかったのか!!!」
「ないわよ。大体、今から着替えさせるとなるともう一回脱がすことになるけど、いいの?」
「・・・・・・」

 パウリーさんが静かになったところで、『麦わら』さんたちも着替えを終えたようだ。ズボンのポケットにお肉を詰めようとしているのが微笑ましくて、つい顔が緩んでしまう。
 『麦わら』さんが高額の賞金首で、名の売れた海賊であることは分かっている。それでもその振る舞いに、世間が思い描く『海賊』とは違う何かを感じてしまうのも事実だ。ミナトが惚れたのはこういうところかな、と彼女に聞いたアラバスタ事件のことを思い浮かべていると、同じく着替え終わったらしい『海賊狩り』さんがこちらを振り返った。

「・・・・・・靴はそれでいいのか」
「ええ、はい。私はいつもこれなので」

 視線がピンヒールに走らされたのが分かって、私はかつりと踵を鳴らした。この細いヒールで戦うなんて、男の人には考えられないことなのだろう。怪訝な顔の彼にこの靴が鉄入りの特注であることを話したのだが、それでも首を傾げられてしまったので、仕方なく種明かしをすることにした。

「蹴られると相当痛いですよ。穴ぐらい開くかもしれません」
「あァ、なるほど」
「ミナトにはやめろと再三言われているんですが・・・・・・一つでも武器を増やしたほうがいいでしょう」
「・・・・・・いいのか?」
「はい?」
「アイツ、もうあの島にはいられねェぞ」

 急に切り替わった会話と『アイツ』。少し考えて、その答えがミナトだと気付くと、彼の言いたいことがよく分かった。彼が本当に聞きたかったのは靴のことではなく、こちらだったに違いない。
 今回のことでミナトの所在は政府側に知られてしまうだろう。運よく連れて帰ってきてもらっても、今後政府の攻撃がないとも限らない。その全てからあの子を守りきることは、私にはできないのだ。私は弱い。気持ちだけでどうにかなる世界ではないと、もう気付いてしまっている分だけ性質が悪かった。
 『海賊狩り』さんの目を真っ直ぐに見据えると、それがゆっくりと眇められる。口を開くのは、彼のほうが早かった。

「――――ウチの船長は、仲間にするって言って聞かねェが」

 胸にじくりとした痛みが走る。
 ああ、ついに。恐れていたもう一つの事態に、私はいっそ泣いてしまいたいとさえ思った。

「そう、ですか。・・・・・・あの、『海賊狩り』さん」
「・・・・・・姉妹揃ってその呼び方かよ」
「あの子は、私の本当の妹じゃないんですよ」
「あ?」

 言いたかった、のだろうか。誰かに知ってもらいたかったのか。
 視線は逸らさなかった。どこかで予感がしていたのかもしれない。あの子が海に焦がれていると気付いたとき、『麦わらの一味』に憧れていると知ったとき、彼らがウォーターセブンへやってきたとき。ミナトが、彼らに攫われてしまうという予感が、私の中には確かにあった。そして『仲間にする』――――その言葉を聞いた瞬間、その予感は明確な形を持って私の前に立ち塞がる。
 だから、彼らの中の誰か一人でもいい。知ってほしかったのだろう。私から、ミナトを奪うことがどういうことか。
 その相手に何故彼を選んだのかは、よく分からないけれど。

「あの子も私も、身寄りがないんです」
「・・・・・・」
「天涯孤独の年端もいかない女の子が二人。ぞっとしない状況ですね。私たちは互いしか支えがありませんでした」
「確かにぞっとしねェ」
「でしょう?・・・・・・あのときの私は、ミナトが死んだら一緒に死んでいたかもしれませんね」

 ミナトを私から奪うなら、私におけるミナトの重みを正しく理解してほしい。
 でもそれと同時に、彼女を問答無用で海に連れ出してほしいとも思っているから、困るのだ。私はふっと息を吐いて、肩の力を抜く。私は、ミナトが私を捨てる手助けをしてあげたいと思っている。それを成し得るのがこの海賊たちなら、私は喜んでミナトの手を放さなければならない。

「私たちが海賊になったのは、互いの故郷を探すためでした」
「故郷?」
「私は父親の事業のために故郷を離れて、その先の事故で両親を失いました。幸い記憶が少し残っていたので、自分の故郷を探し当てるのは難しくなかったのですが」
「ウォーターセブンか。・・・・・・じゃあミナトは」
「あの子の故郷は分かりません。何という名前の島で、どこにあるのかも。ただ唯一の手がかりは、あの本です。ミナトが書いた本。あれは、あの子の母親の日記を元に書かれています。ミナトはあの本を読んだ、故郷を知っている誰かが名乗り出てくれる日を待っているんですよ」
「・・・・・・先の長い話だな、そりゃあ」

 ええ、本当に。

「でも、――――貴方たちと共に行くのなら、その必要はないでしょう」

 これが私の答えだ。
 『海賊狩り』さんはゆるりと口の端を持ち上げると、「肝に銘じておく」と笑って、ひらりと手を振る。
 彼の答えを理解した私は微笑んでみたけれど、その視界は、まるで外の雨を映したかのようにじわりとぼやけた。

 

マイディア

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